ようこそ、裏本丸へ(後)

本丸で一番のお気に入りの場所は縁側だ。

現世に居た頃はアパート暮らしだったし、実家もマンションだったから物珍しかったというのも理由の一つ。
だけど本丸で過ごすうちにそこは私にとって特別な場所になった。

短刀達と食べたお八つの味も、内番に励む刀剣達の姿も、宴に騒ぐ酒好き達の声も———
全部全部好きだった。

でもそれを思い出にしてしまうのはまだ早い。
だってそこは私の帰る場所なのだから。


◇ ◇ ◇


彼は誰時に見るその姿は、天下五剣の中でも最も美しいという呼ばれに恥じない様だった。

「やぁ主。待っておったぞ」

ようやくたどり着いたその場所に、まぁやはりというべきか三日月が私を待っていた。
これが私の本丸ならいつもと変わらぬ光景だったかもしれない。近侍として万屋に行くときは、決まっていつも三日月が先に準備をして待っていたのだから。

「待たせたね、三日月」

縁側に座っていた三日月は、自分の横をぽんぽんと二回叩いた。隣に座れと言う事なのだろう。「はいはい」と頷いて私は隣に座る。
半歩ほど離れて座り庭先を見た。いつもなら歌仙が手入をしている花や短刀たちのために作った遊具、その奥には蔵まで見えるというのに今は霧がかかって何も見えなかった。

三日月との間に、ゆったりとした時間が流れる。のんびりしている暇などないのだけれど、私も正直休みたかったので黙ってそれを受け入れた。

「主よ、じじいの今生の哀願として酒を注いでは貰えぬだろうか」

三日月は盆に乗ったお猪口と徳利を差し出して、少し恥ずかしそうにそう言った。
“お酌をする”という行為がここでの身の危険に直結はしないはずだ。盃を交わすわけではないから問題はない。

私は「いいよ」と返事をして徳利から三日月の持つお猪口へ酒を注いだ。このお猪口と徳利は、彼の初めての褒美として買ったものだった。かなりの安物であるが天下五剣の三日月が持っているとすごく高価なものに見える。彼ならきっと徳利より銚子の方に馴染みがあったかもしれないと購入してから気が付いた。

三日月は一気に酒を呷り、満足そうに目を細めた。その視線の先には昇りかけの太陽がいる。朝酒のせいで酔ってしまったのだろうかと少し不安になったが、視線はそのままにゆっくりと口を開いた。

「主は俺を顕現した時の事を覚えているか?」

予想外の質問に頭が回らず彼の横顔を見つめていれば、もう一度私の目を見て同じ質問をした。
三日月を顕現した時は……一期一振目当てで鍛刀していたなんて口が裂けても言えない。
私は曖昧に頷いた。

「主にとっては何度目かの鍛刀で来た刀であったとしても俺はよく覚えている。目を開けて、お主がいた。そして隣にいた骨喰藤四郎を主は俺に自慢の刀だと紹介した。あの時の光景は今も目に焼き付いている」

何と答えればいいのか分からない私は、空のお猪口へ酒を注いだ。
ありがとう、と言われたものの三日月は酒を飲まずに遊ぶように水面を揺らす。

「その時、俺はなんと良い主人に恵まれたのだと思った。訳ありであった昔のよしみをああも大切にしてくれているなんて」
「骨喰だけじゃないよ。私の本丸にいる刀はみんな大切。もちろん三日月だって、私の大切な刀だよ」

三日月の形が浮かぶ彼の瞳、その目が真ん丸になるのは一瞬でゆっくりと目を閉じた。
それがあまりにも静かで、その後めっきり動かなくなってしまった。もしや寝たのかと思い三日月に触れようとすると長い睫毛がふるり動いたので慌てて手を引っ込めた。

「あぁ、そうだ。お主はそういう人間だったな。俺も主にそう言われたかっただけなんだ。誉を取ったら頭を撫でてほしかった、自慢の刀だと言われたかった。頭では分かっていてもどうしても行為として、言葉として欲しくなった」

意外だった。外見も正直あるが三日月はそういうことをされるのは嫌だとばかり思っていた。
元来、歴史のある刀ほど癖がありプライドも高いのだとこんのすけには教えられていた。主従関係を結んでいたとあっても、一定の礼儀はわきまえて接すること。さもなくば、恨みを買い呪われたとしても責任は取りかねると口酸っぱく言われたのだ。

今思えばそれはブラック本丸にならないための牽制だったのかもしれない。でも私はそれを純粋にとらえ、千年以上の歴史があり神格が高いと刀剣に対しては一線を引いていた。
しかし、刀剣たちから見ればそれはある種の差別でもあったのだろう。

ごめんと小さく謝れば、三日月は首を横に振った。しゃらりと音を立てて揺れた装飾が光を反射する。そして私の言葉に続けて彼は「俺の方こそ悪かった」と謝った。一瞬何のことなのか分からなかったが、事の発端を思い出す。
いよいよ真相が分かるのかと、私は生つばを飲み込んだ。

「お主と話す時間が増えれば……そう思い、昨晩主の元へ行ったんだ。山姥切がいると難しいからな」

意識を失った時の事を思い出す。
端末の電波が悪く外に出ようと戸を開けるとそこに三日月がいた。その途端、一瞬にして気が遠くなった。

「この盆を持って主の部屋を訪ねた。しかし声が聞こえ、山姥切と話しているのが分かった。その時、俺は嫉妬したのだ。今宵の三日月が浮かぶ夜にさえ、お前は俺から主を取るのかと。実にくだらん、童の我儘よ」

お猪口の中身を一気に煽り、濡れた唇から吐息が漏れた。

「しかしそこで戸が開いて主が出てきたではないか。その時につい願ってしまった、このまま連れていけたら、と」

三日月が浮かぶ瞳と目があった。その瞳はとても澄んでいて、私が今までに見たどの宝石よりも美しかった。

「すまなかった。些細な願いがここまで大きくなるとは思わなかった」
「それは私も今まで言葉足らずだったから…三日月は私を神隠ししたいんじゃないの…?」
「うむ……したくないと言えば嘘になるが、しようとは思わんなぁ」

はっはっはっ、と月を見上げて笑った三日月に一気に肩の力が抜けた。
とりあえず、今すぐどうにかされるわけではないらしい。

「さて、結果として俺が招いてしまったことだ。幕引きは勤めようぞ。さぁ主は行ってくれ。帰り方は分かるな?」
「大丈夫」

私は縁側から降りて、霧の先を見つめた。ほぼ真っ白で先は見えにくいが、ただ一本だけ一筋の光のように道が見える。
三日月に背を向けて走り出そうとしたとき、私はひとつ約束をしておこうと思った。
絶対的に守らなければいけない、神との約束を。

「帰ったら私にもお酌してね」

彼は一瞬目を満月の様に真ん丸にして、それから幼子のように笑っていた。





そういえば薬研に手当てをしてもらった時、脱いだ足袋をそのままにしてきてしまった。そのせいで裸足で土を踏む羽目になってしまったが、その感触のおかげで“生きている”という実感が沸き励みになった。

目指すは畑の先にあるお墓。目的地までは一本道だ。と言わなくてもその道以外、辺りは霧に包まれていて何も見えなかった。一歩でもそこへ迷い込めば私は一生外には出られないだろう。

「っ見えた!」

思わず声を上げる。
小さなお墓を囲うように竜胆の花が咲いている。青江は今も欠かさず墓の手入れとお祈りをしているのであろう。どういう言葉で表せばいいのか分からないが、そこに近づくにつれて穢れが落ちていくように体が軽くなった。聖域とでも言えば良いのか、良い気がたくさん集まっている。

太陽はすでに半分程その姿を現していたが何とか間に合った。
ようやく私は帰れるんだ。




















ガシャンッ———

そう上手くいくわけがない。

そういえばずっと引っ掛かっていたことがある。

皆はいつまでもあの刀剣を近侍に着かせようとはしなかった。
私の側には常に誰かがいた。廊下を歩いている時でさえ、何かと理由を付けて私の側に居たがった。朝早く目覚めても、夜遅くまで起きていたとしても一歩部屋から出れば誰かしら声をかけてきた。

元は付喪神、人間の事が好きだからなのだろう。
刀剣も増えてきたし、偶々か。

そんなことない。
短刀達はよく庭先で遊んでいた。審神者部屋と蔵が良く見えるその場所で。

「………主、ようやく見つけた」

大典太光世———
朝から外にいるなんて珍しい、なんて軽口はもちろん叩けず私はその場に固まる。

三池典太光世作の太刀。
枕元に置けば病も治るとされた霊刀。
今、目の前でお墓を叩き斬った刀剣。
彼は、私がブラック本丸から引き取った刀だ。

「ねぇ、なんでお墓を壊したの?」
「あんたが帰るからだ」

元凶は大典太だったのか。
三日月は私を連れていきたいとは言ったが、文字通りの願いであるなら私だけがここに来たのだろう。三日月に便乗して自分の願いと力を上乗せしたのが大典太だ。二人の霊力が混ざり合った結果がこの不安定な裏本丸であり、そのときの歪みで本丸にいた刀剣もここへ連れてこられたと考えると辻褄も合う気がする。

大典太が刀身を引き抜くと、砕け散った墓石がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
なんて罰当たりな。
帰れなくなってしまった事実よりも、その行為に腹が立った。社畜時代、有休を上司に消化扱いにされた時並みに許せない。

「帰るよ!だってそこが私の本丸なんだもの!大典太の帰る場所でもあるんだよ?」

彼との距離は保ったまま。まだギリギリ間合いには入っていないはずだ。でも刀剣男士の動きに人間が追いつけるはずなどない。気を抜けば一瞬で距離を詰められる。

大典太の動きを一瞬でも見逃さぬよう、視線を外さない。
彼は姿勢を正し、刀を抜いたまま私を見た。

「人間はすぐに汚れる。些細なことで、少しの過ちで。審神者であろうと堕ちる時は一瞬なんだ」
「……私は貴方の前の主とは違う」

彼の前の持ち主である審神者は一振りの刀剣破壊をきっかけに精神のバランスを崩し、時間遡行軍へその身を捧げたのだと言っていた。それを止められなかった自分と失っていった仲間たち。大典太はその時のことを繰り返したくないのだ。

「俺は今代で二度も主を失いたくない。それにお前にはずっと傍に居て欲しい。俺が何からもお前を守ってやろう」

その気持ちは素晴らしいと思う。彼はとても優しい刀だ。
でも私は守ってもらうほど弱い人間じゃないし、守ってもらうためにみんなを顕現させたわけでもない。
しかし、この状態では何を言ったところできっと彼の耳には届かないだろう。

一歩分、大典太に距離を詰められる。
肩にのしかかるような重い空気、息が浅くなり呼吸がしづらくなった。

「走って!ここは私が止めます!」

狭まる視界の中、背中を押され靄のかかっていた頭が一瞬に晴れた。

鈍く揺れた数珠の音は、彼の名をそのまま表す。
私を鼓舞したのは数珠丸で、刀身を抜いて大典太を威嚇した。
僅かに隙ができ道が開ける。しかし、お墓が壊されてしまった以上、私に帰る手段はあるのだろうか。でも、数珠丸がわざわざ来てくれたということはまだ手立てがあるということだ。まぁどちらにしろ私はまだ諦めていない。

「大典太のこと、傷つけないで!」
「……善処します」

諦めていないのはここから帰るということ。そして一振りもかけることなく、またあの本丸で過ごすことだ。
数珠丸が足止めをしているうちに、私はさらに先へと進む。後ろから刀と刀とぶつかり合う音が聞こえた。どうかふたりとも無事であってくれと願う。

私は駆ける。
周囲の景色は相変わらず霧がかかりぼんやりとしか見えない。本丸ならばこの先は塀で仕切られていて行き止まりであるのだが、いつまで経っても道は続いている。
大丈夫なのかと不安になりかけたとき、黒い影が見えスピードを落とした。

「来たか、主」
「鶯丸!?」

裏本丸にて最後の一人に出会う。
鶯丸はいつも通りの穏やかな声と立ち振る舞いで、こっちだと優雅に手を振っていた。彼はこの事態の意味を理解しているのだろうか。もう太陽はおおよそ姿を現している。あと数分あるかないかだ。悠長に鶯丸に状況を説明する時間は残されていない。

「もう準備はできているぞ」

しかし説明は不要とでもいうように鶯丸はしめ縄で囲われた穴を指さした。
底が見えない。どうやらかなり深い穴らしい。こんなの掘ったのは誰だ?落とし穴にしたって深すぎる。

「これ、なに?」
「大包平が来たら共に主を神域に連れていこうと準備していたものだ」
「………は?」
「冗談だ」

にっこりと笑った鶯丸の顔からは真意が読み取れない。
この状況でよくもそんな事が言えたなと怒りたくなったが、今はそれどころではない。

「鶴丸と共に先ほどまでこれを掘っていたんだ。実に骨が折れた」
「ずいぶんと深いみたいだけど…」
「本丸へと繋がる道を墓石からこちらに移していたんだ。数珠丸はこうなることを予想していたようだったからな。そして、“ しるべ”もちゃんと持っているな?」

確かに、青江から数珠丸は裏で準備を進めていると言っていた。万が一の可能性まで考えていてくれたのか。それと“標”ってなんだ?お札はもうないぞ。

聞きたいことは山ほどあるが、もう時間がない。
バンジージャンプなんてやったことないし、しかも初めてが命綱なしなんて度胸試しもいいところ。でも最終的に女は度胸だ。

しめ縄を乗り越え、息を止めて大穴へと飛び込んだ。
もちろん鶯丸への感謝の言葉は忘れずに。

「主!帰ったら大包平の鍛刀を頼んだぞ」

ごめんな鶯丸。大包平は鍛刀での顕現は確認されていないんだよ…
そんなことはもちろん言えず、重力を感じながら私は暗闇の中へと落ちていった。


◇ ◇ ◇


奇妙な浮遊感と、胃が浮くような気持ち悪さがある。
目をつぶって身を任せていると、しばらくして今まで感じていた浮遊感が消えた。

目を開けてみるが、真っ暗闇なので目を閉じているのか開けているのかすら自分でも分からなくなる。
三半規管がまだ平衡感覚を取り戻していないようだが立ち上がることは出来た。

さて、ここからのことは何も聞いていない。
少なくとも本丸には帰れていないし誰かの神域と言うわけでもなさそうだ。
もしや穴に飛び込んだはいいが、朝陽が昇り切っており時間切れだったのか。

……詰んだか?
さすがの私も泣きそうである。

―あの、私の声聞こえますか……?―
「!?誰?」
―よかった…!―

女の人の声がする。落ち着きがあり、柔らかみがある声だ。しかし、姿は見えない。ついに幻聴まで聞こえだしたか不安になったが、その声は確実に私に話しかけていた。

―まだ助かりますからね。私の声がする方に歩いて来てください―

果たしてこの声を信じていいのだろうか。しかし、悪意は感じられないように思える。
兎も角、他に頼れるものもないのでおとなしくその声に従い歩いてみることにした。

―ようやくお話しできたと思ったのに、これじゃあゆっくりできないわね―
「私達、どこかでお会いしたことありましたか?」

彼女は楽しそうに笑う。でもそれは嘲笑っているのではなく、私を安心させるような温かみがある声だった。

私の親でも友達でもない声。もしかしたら演練で出会った審神者さんかもしれないが、そこまで親しいと呼べる人はいない。一瞬、政府からの助けかと思ったがそれにしては砕けたような話し方だった。

―会ったことはないけれど、割と長い時間一緒にいるわよ―
「……もしかして守護霊的な存在ですか?」
―守護霊!?ふふっ貴方面白い事を言うわね。どちらかと言えば座敷童かしら―

余程ツボに入ったのか、その声はしばらく楽しそうに笑っていた。声に似合わず意外と陽気な性格らしい。
暗闇の中、彼女の声は聞こえるがそれが響いている様子はない。閉鎖された空間ではないようだが奥行や高さなどはよく分からなかった。それに先ほどから歩いてはいるが何かにぶつかる様子はなく、足の裏にはひんやりとした感触があった。

「えぇっと、では何故貴方はここに?どうして私を助けてくれるんですか?」
―ここに来たのはある意味必然よ。私のお社とも呼べる場所が滅茶苦茶にされてしまったんだもの―

お社ってなんだ?
神棚なら石切丸の部屋にあるがそれとは違うのだろうか。
一人眉を潜ませていると、彼女には私の表情まで見えているのか小さく笑った。

―もう一つの質問の答えは貴方が私の大切なひとを助けてくれたからよ。……さぁ、もうお喋りはお終いね―

彼女の声を合図に目の前に薄っすらとした灯りが見えた。
今まで真っ暗闇だったというのにまるで縁日の提灯のように一つ二つ…と計四つの灯りが空間に浮かぶ。おっかなびっくり近づいてみるがその灯りは消えない。寧ろその灯りもこちらへと近づいてくる。

「えっ陸奥守!?」

一番近くにあった灯りに触れれば、存在が見えなくともその正体が分かった。私の本丸の陸奥守吉行だ。
残りの三つの灯りにも順に触れる。江雪に太郎太刀、そして骨喰。まぎれもなく彼らも私が顕現させた刀剣だ。

―貴方、愛されてるわね―

相変わらず姿の見えない彼女はそう言った。
特命調査のため文久土佐藩へ向かわせた彼等がどうしてこんなところに。いや、もしかしたら彼らが霊体としてこの場にいることを考えると私の本丸に近い証拠なのだろうか。

体が光に包まれる。急なファンタジー要素にビビりつつもこれで帰れるのではないかという希望が生まれる。
彼女も、もう大丈夫だからと優しい声で言った。そして「最後に一つだけ」、とぼやけた光の中で影を揺らした。

―貴方はきっといい審神者になれる。…いいえ、もうなっているわね。でもだからこそ、お別れはしっかりやるのよ。私のように大切なひとを一人ぼっちにしてはいけないのだから―

光と影の境界線。
姿形は不鮮明だが、私へ手を振る着物の袖が確かに視えた。
見覚えはないが知っている。
「青紫色の着物がよく似合っていた」とあの刀剣はお墓の前で言っていた。

―にっかり青江をよろしくね―
「っありがとう!」



穴に飛び込んだ時のように目をつむる。
しかし先ほどと違うのは、ぐるりと身体が一回転したことだ。まるで洗濯機の中に放り投げられたようにぐるぐると回る。

遠心力に耐えるよう、ハリネズミのように丸まり息を止めた。
刺すような耳鳴りで頭が割れそうだ。


「 * * * !!」


ひどい頭痛の中、その言葉は確かに私の元まで届いた。
魂が引っ張られるような感覚。
長いこと呼ばれることがなかった私の名前。

その声は、本丸就任日からずっとそばにいてくれた刀だ。
私のことを支えてくれて、私が最も頼りにしている刀。
そして、私の真名を唯一知っている刀剣———

その声が誰のものなのか、考えるまでもなく答えは出ている。

「山姥切国広っ!!」

私が最初に名を呼んだ刀剣男士だ。


◇ ◇ ◇


瞼を通しても眩しいと感じる光。
薄っすらと目を開けると目の前には白色の景色しかない。
加えて足と手には感覚がない。
だから「ここが天国かぁ」なんて思ってしまったのもしょうがないことだと思う。

「主…!」

雪を踏みしめる音に、遠くから白色の布が揺れるのが見えた。いつもは頭の上まですっぽりと被っているのに珍しい。
金色の髪と青い瞳は朝の日差しを浴びて目が痛くなるほどに反射している。雪が積もる銀世界の中であっても、なによりも美しく輝いて見えた。

「主、主!しっかりしろ!俺が分かるか?」

自分では鉛のように重いと思えた体がいともたやすく抱き起こされる。
焦点が合わず、揺れる瞳を見て心配になったのだろう。頬を何度も叩かれる。だが、強すぎて頬が痛いのだが。繊細そうに見えて、意外とガサツなところは相変わらずだと妙に嬉しくなった。

「山姥切、迷惑かけたね」
「っ本当だ!」

私の絞りだした声を聞き、山姥切は怒ったような泣いたような、笑ったような顔をした。
何かあればすぐに布で顔を覆ってしまうので彼の表情を見れる機会は滅多にない。しかし今、彼の様々な表情が一度に見れている。

「勝手に電話を切るな!勝手にいなくなるな!俺たちがどんなに心配したと思ってっ……!!」
「山姥切なら何とかしてくれると思ったよ」
「あんたは俺のことを買い被りすぎだ」
「そんなことないよ。山姥切国広は私の自慢の刀なんだから」

青色の目から一粒の涙が零れる。
綺麗だねと言ったらきっと布を被ってしまうから、私は黙って流れ落ちる宝石のような涙を拭った。

「おかえり主」
「ただいま、山姥切」

東の空から太陽が昇り切る。

長い長い夜がようやく明けた。