社畜だったOLが審神者適正を機にホワイト本丸を築いた話

春一番かと思うほどの突風が、庭に桜吹雪を起こす。
その度に、また一振りが本霊に還ったのだと俺は思う。

この本丸の季節は、ここ一年ずっと変わらず春のままだ。



皆がくつろいでいた広間も、何頭もの馬がいた馬小屋も、多くの作物を実らせた畑も、短刀達が駆け回っていた庭も、今は静寂に包まれている。
なんせ、この本丸にいるのはもはや二人なのだからしょうがない。

縁側から声が聞こえた。
彼女のお気に入りの場所であるそこは、本丸の特等席。

「相変わらず歌が下手だな」
「これでも上手くなったでしょう?」

随分と痩せたな、と思いつつ主の隣に腰を下ろす。
彼女の見つめる先には、誰一人としていない。
五回ほど修理をしたブランコと、塗装が剥げたシーソー。途中から左文字兄弟が世話を代わってくれた花壇に花はなく、大典太がいた蔵からは何の気配もない。それでも楽しそうに目を細めてそちらを見ていた。

「みんなの声が聞こえる気がするんだ。いよいよ死期が近いのかな?」
「おい、笑えないぞ」
「笑ってよ。もう山姥切しかいないんだから話し相手になってくれないと」

何振りもの刀剣達を刀解し本霊へと還す中、彼女は一度だって涙を見せなかった。
彼等を抱きしめ、頭を撫で、「ありがとう」の言葉を何度も言って笑顔で見送った。

「そういえばここで飲んだこともあったね」
「あぁ。その度に二人して潰れて兄弟たちに迷惑をかけたな」

色褪せることのない記憶を辿り、彼女は笑う。
そしていつも最後には「さすが私の自慢の刀ね」とお決まりとなった台詞を添えるのだ。

ぐらりと前のめりに倒れそうになる彼女の身体を支えた。そろそろ中に戻った方がいいだろう。しかし、それを彼女は制した。

「ここでいい」と言うので俺は静かに頷いた。
その言葉の意味は分かっている。

主の唇が、微かに動く。

「みんながいたから今まで言わなかったけどね」
「なんだ?」
「山姥切が私の一番の刀だよ」
「そうか」
「誰よりも、何よりも、私の自慢の刀」
「ありがとう」

彼女から力が抜けていく。座っているのも難しそうだったので横にさせ、俺の膝の上に頭を乗せてやる。
彼女の髪をそっと撫で耳にかけると目が合った。年をとっても、痩せても、その瞳の色と力強さは出会った日から何一つ変わらない。

呼吸が浅い、脈が弱い。 

「ありがとう、山姥切国広」

優しく笑ってゆっくりと目を閉じた。

自分の目から溢れ出た涙が彼女の頬を濡らした。

「あんたは素晴らしい審神者だった」
「うん……」

嗚咽に交じった俺の声は彼女に届いているのだろうか。

「あんたの自慢の刀になれて幸せだった」
「うん……」

強い風が吹いた。春一番とも言える突風が。

「おやすみ。* * *」

人間が最期まで残る五感は聴覚だと言われている。
俺の声は届いたのだろうか。
 


主の頬を撫でると、自分の指が透けていることに気が付いた。
そろそろ自分も還るのかと、主と交わした"誓約"を思い出す。

主を神域へと連れていく前にした誓約、それは俺が再び真名を呼んだら本霊として還ることだった。

俺も主が顕現させた刀剣男士だ。主としてももしこのまま連れて行かれたら、という不安があったのかもしれない。
でも、刀剣破壊を誓約として結ばせなかったあたり主は俺に対して甘かったなと思った。

また、裏本丸での一連の騒動においてはこんのすけにはバレた。一晩、本丸から主の霊力が消えたので不審に思ったらしい。

俺から経緯を説明すれば、このまま政府へ報告すれば監査が入り面倒になると思ったらしく上には上手く報告しておくと言ってくれた。
ただし、俺の神域まで主を連れて行ったことを知るとこんのすけは俺と一つ誓約を交わさせた。それは主の命が尽きる時、強制的に本霊へと還すというものだ。

今この身体が消えかけているのは主との誓約か、それともこんのすけとの誓約かは分からない。だが必然的に起きたことなのだ。

誓約を結ばせなくても主を連れて行くつもりはなかった。でも彼女を看取る時、つい手が伸びてしまいそうになったので線引きをしておいてよかったと思う。

この本丸から霊力が消えたのを合図に政府が主を迎えに来ると言っていた。でも縁側に横たえておくのは些か気がかりなので奥の布団へと移動させた。

指先から体温が失われて、身体が軽くなるのを感じる。
俺もそろそろいこうか。

今日という旅立ちは決して悲しいものではない。

俺達は十分に使命を全うした。

そして俺は今、強く願う。


天寿を全うした主よ、
あんたの来世に幸多からんことを———