ロイヤルな執事

久しぶりに飲んだ栄養ドリンクは舌の上でピリピリとして、こんなに不味いものだったのかと思うほどであった。
以前は毎日お世話になっていたその缶を机に置き、再度目の前のパソコンに向かい合った。

時刻は子一刻を過ぎ、本丸内はとても静かであった。まだ起きている者もいるだろうけれど、執務室は私がキーボードを打つ音しかしなかった。

「主、まだ起きていらっしゃいますか?」

襖越しに声を掛けられ、世話しなく動かしていた指先が止まった。少しぼんやりとする頭ではその声の主が誰であるか気付けない。
拳で二回ほど頭を軽くたたき、意識をはっきりさせ襖を開けた。

「起きてますよ」
「夜分にすみません。もしよろしければ暖かい飲み物を、と」

そこにいたのは一期一振で、盆にのせたマグカップを見せてそう言った。カップの中には温かな牛乳が注がれており甘い香りを放っている。
こんな夜更けになんて気が利くのだろうか。服は寝間着用のものを着流した姿であったけれど、その優しさたるはロイヤルホスト。いや、この場合は有能執事というべきなのだろうか。

「わざわざありがとう」

お礼を言い、盆を受け取ろうとしたところでその手が不意に遠ざかった。何事かと思えば、彼は私の横を通り過ぎそのまま執務室に入り机に盆を置き、振り返った。
先ほどまでのロイヤルな彼はどこへやら、その綺麗な顔の眉間には皺が寄せられていた。

「主、またこれをお飲みになっていたのですか?山姥切に止められているのでしょう」
「あー…今日はそれがないと……」

就任してから数日の間は、夜遅くまで事務処理に追われることが多々あった。その時のお供は当然、以前より助けられていた栄養ドリンクになる。それを山姥切が一度飲んでみたいと言ったので飲ませたところ「体に害のある味しかしない」と言い放ち、その後私が摂取しているのをみると取り上げるようになってしまった。

今日は隠し持っていたそれを飲んでいたのだが、まさかそれが一期一振の耳にまで入っているとは思いもよらなかった。

「これは没収です」
「ちょっと待って!それがないと仕事が終わらない!」
「今日の分の書は終わっているのでしょう?今されている分は急ぎではないはずです」

確かに彼の言う通りこれは急ぎの仕事でもない。
本丸に新しい刀剣男士を顕現させた場合、その刀毎に書類を提出する必要がある。現世風に言うと出生届のようなものだ。それは政府が各本丸にどれだけの刀を所持しているか把握するためと、刀剣ごとのデータを取る為である。

同じ刀剣男士でも個体差というものがある。
それは演練に行けばよく分かるが、例えば他所の本丸に比べればうちの骨喰はお喋りな方だし、三日月は天下五剣っぽくないし、山姥切は私にダメ出しをする。
詳しくは分からないが、政府はそういった個体差のデータを集め分析しているのだそうだ。 

今やっている仕事はまさにそれ。提出期限が特に定められているわけではないけれど、現世からの習慣で月跨ぎで仕事を持ち越すのが嫌なのだ。

「とりあえず、一度お休みください」

一期一振は栄養ドリンクを盆にのせ、代わりにマグカップをそこへ置いた。彼が机の前に腰を下ろす。どうやら私がこれを飲まない限り彼は出て行ってくれないらしい。
しょうがないと思い、襖を閉め一期一振の向かいに座った。

「弟たちは大丈夫なの?」
「えぇ。ぐっすり寝ております」

マグカップを口に付け、温かな牛乳を一口含めばほんのり甘い味がした。蜂蜜だろうか。胃にじんわりと広がっていき、身体に染み渡っていくような気がした。

「真面目ですね。こんなに細かく書く必要はないでしょう」
「書き出したら止まらなくてね」
「厚が熱を出した時の事も書いているのですね」

紙として印刷されていた書類に目を通しながらそう言った。
迎え入れたばかりの厚藤四郎は、その身は短刀であるにも関わらず薬研に似て兄貴肌なところがある。そのせいか、先に来ていた薬研たちに追いつこうと夜も寝ずに鍛練をしていたところ、熱を出し倒れたのだ。
皆で看病をして大事には至らなかったが、刀剣男士も人間のような症状に見舞われることをその時初めて知った。

「あれから無理はしてない?」
「えぇ。厚自身も反省をしているようですし、限度を見極めて鍛練するようになりました」
「よかった。それと、鳴狐は元気にしてる?最近会いに来てくれなくて」

もう一度牛乳を口に含んだ。その様子を彼は目を細めて見ていた。

「元気ですよ。主が他の短刀達に囲まれていると遠慮してしまうようで…もしよろしければ主の方からお声を掛けていただけませんか?」
「もちろん。明日、お八つに誘ってみようかな」

飲み物のおかげでぽかぽかと身体が温まってきた。このままでは本当に寝てしまいそうだ。

「主、ずっと申し上げたいことがございました」
「なに?」

一期一振はまっすぐに背筋を正し、私を見据えた。
何事かと思い慌ててカップを置き目を合わせると、彼を一つ呼吸をして口を開いた。

「私をこの本丸に呼んで頂き、ありがとうございます」

丁寧に頭を下げ、私の目の前では空色の美しい髪がサラサラと靡いていた。
予想もしない彼の行動に眠気も吹き飛び、慌てて彼に頭をあげるよう頼んだ。

「いきなりどうしたの?」
「いきなりではありません。私を鍛刀し、倒れられたその日からずっと申し上げたかったのです。弟達の願いを叶えてくださり感謝しております」
「私だって一期一振に会いたかったんだから、お礼を言われるようなことではないよ」

ほんのり頬が桃色に染まったように見えたのは、光の加減のせいなのか。彼はひとつ咳ばらいをし、再び私を見据えた。

「今代、主の元で刀を振るえることを誇りに思います。この身が尽きるまで、貴方の力になることを誓いましょう」

“審神者”としての私に言うには、優しすぎる顔をして彼は言った。
今の私は、彼が思っている以上の器の持ち主ではない。
実際に戦場に行くのは彼等で、私は安全な場所で帰りを待つだけ。
新しい時代に出陣させるときはいつも不安だし、自分の采配ミスで刀剣達を必要以上に傷つけてしまうことだってある。
それでも————

「では、私は一期一振のために、そしてこの本丸の皆のために尽くしましょう。戦場に行けずとも心は一つ。あなた方が帰るこの本丸を私は最期の時まで守ることを誓います」

彼が思うような“審神者”になりたい。そしてそうなることこそが、私が彼等に対してできる精一杯の誠意なのだと思う。

ふわりと笑った表情は、童話に出てくる王子様のようだった。
さすがロイヤル。
彼は口元を綺麗な弧の形に動かし、桃色の薄唇を徐々に開いていく。あまりの所作につい見とれてしまう。

「ということは身体が資本でございましょう。お休みになられましょうか」

表情とは裏腹に、張り付いた笑顔のまま発せられた言葉は氷の様にひんやりとしていた。いや、文字だけ辿れば気遣いの塊だが、その言い方は有無を言わせない圧があった。

これは一期一振に一杯食わされたかもしれない。

私室まで送られて布団に潜れば、すぐに夢の世界へと落ちていった。
しかしその日みた夢が一期一振にずっと監視をされる夢だったので、寝起きはなかなかに凄まじいものであったというのが後日談である。