夏だ!暑いぞ!福利厚生だ!

この本丸という場所は、不思議な空間だ。

ある意味異空間であるこの場所は設定を変えれば夏でも真冬にできるし、秋でも桜を咲かせることだってできる。また、転移装置を使えば時代を超えることができるし、政府本部や現世に戻るのだって一瞬でそれが可能だ。

こんな最先端技術が集結されていると言っても過言ではない場所になぜ、なぜ———


「あ〜〜つ〜〜い〜〜〜〜」
「蛍丸君、うるさいよ。余計に暑くなるじゃないか」

エアコンがないんだ!!

二百年前ですら部屋を涼しくする電化製品があったのだ。そしてこの二百年で進化をし、二酸化炭素排出率が三十%もカットされた地球に優しい商品だって売られている。
それなのに!なぜ!エアコンが!ないのか!

それを青江に聞いたところ、以前の主は病弱な方だったらしく景趣は常に春か秋に固定されていたそう。またアレルギーの関係で温度を管理する電化製品も使いたがらなかったらしく、それ関係のものは設置していなかったとのこと。

それは良しとして、引継ぎのリフォームの時に付けてくれればよかったもののそこまでの気遣いはされなかったようだ。急いでエアコンの設置業者を手配したが、この時期は設置や修理の予約でいっぱいらしく本丸にエアコンが設置されるのはかなり先になるらしい。

というわけで、人の身を得た刀剣男士達も初の“暑さ”に随分と参ってしまっている。

「冷茶でも出すよ。だから歌仙も蛍丸に怒らないで」

非番である蛍丸は、執務室に置いてある扇風機の前で顔面に風を当てている。近侍である歌仙兼定も暑さでピリピリしているし、この部屋は実際の気温より暑苦しい。

部屋の隅に置かれた小さめの冷蔵庫を開け、グラスに冷茶を注ぐ。執務室に流しはついていないが、冷蔵庫、電子レンジ、食器は置かれているから随分と役に立っている。

「はいどうぞ」
「ごめん、主……」
「俺ジュースがよかった」
「ここにはお茶しかありません」

ここを現世の気候に合わせているのだから暑いなら季節を変えてしまえばいい、という最もな意見もあるのだが今それができない理由がある。何故なら、畑で育てている茄子やトマト、胡瓜に西瓜がもう少しで食べごろであるからだ。今まで大切に育ててきた野菜を無駄にするわけにはいかない。
幸い、暑いと言っても三十度前後。まだマシであるが、こうも毎日続くとあってはストレスも溜まる。


「脱ぎまショウ!!」
「待て村正!」

開け放たれた襖から見える庭先には半裸の千子村正が走り回っていた。それを追いかけるのは蜻蛉切。この暑い中、よくもまぁ炎天下の日差しの中走れるものだ。

「なんだい、あの雅でない連中は」
「暑いからしょうがないよ」
「むさ苦しくて見れたもんじゃない!」
「あんまり怒ると禿げるって燭台切が言ってたよ。歌仙、おでこ広くなっちゃうよ?」
「あ゛ぁ?」

雅じゃないよ、歌仙。そして蛍丸も一々突っかかるんじゃありません。二人が喧嘩することにより、室内の温度が上がっていく気がする。
こうなったら暑さを凌ぐためにも後で庭に打ち水でもしようか。気化熱で少しはマシになるだろう。

「おんし、ちょいとええかの〜」

内番着を着崩した陸奥守吉行が執務室へと姿を現した。彼の姿も中々に雅ではなかったが、蛍丸に激怒した歌仙は早くもバテたのか机に臥せっていた。

「どうしたの?暑いという苦情は受け付けないからね」

みんな口を開けば暑い暑いという。もう言霊で縛ってやろうかというほどだ。“暑い”という言葉を“寒い”に変えて縛ってしまうのも悪くはないかもしれない。

「いやぁ〜またあれを作ってくれんかのう。連隊戦ときに使うた水砲兵じゃ。今水風呂で遊んじょるけえの、あれがあったら盛り上がるんじゃとみんなで話しとうたところじゃ」

先日行われた、期間限定の政府からの通達で行われた連隊戦。海辺の合戦上では、四部隊を切り替えながら戦ったのだ。駆け出しのこの本丸では、政府からの成功報酬をしこたま貰えたわけではなかったが、刀剣達の錬度上げとしては充分な戦いであった。

その時使われたのは水砲兵という特殊な刀装で、簡単にいうと殺傷能力がある水鉄砲だ。それを遊びで使おうとは、さすがは坂本龍馬の愛刀。新しい物を積極的に取り入れる精神は、刀の方にも引き継がれていたのか。

「あれはもう作れないんだよ。ごめんね」
「残念じゃ…」
「あるじさん大変!ずお兄がお風呂場の蛇口壊しちゃった!」

シャツと短パン姿で執務室へと駆け込んできた乱がそう言ってきたが、怒る気力もないくらい私も暑さにやられていた。何をどうやったら蛇口が壊れるのかは不明であるが、鯰尾ならやりかねない。

「とりあえず納屋にあるテープで塞いで。業者には連絡しとくから」

もう何から手を付ければいいのか分からない。政府からのメールの確認、書類の作成、業者の手配、そして暑さで使えなくなった近侍。今の私には何が残されているのだろうか。
気分を切り替えようと伸びをして廊下に出てみるが、頬に当たる風は温風である。一刻も早く文明の利器にこの状況を何とかして頂きたい。

「主、大丈夫デスか?」

蜻蛉切に服を着せられたのか内番着を身にまとった村正が、庭先から私に呼び掛けてきた。いつもより胸元がはだけている気もするが、それくらいは許されたのだろうか。

「大丈夫じゃないけど大丈夫……。村正も暑いよね?」

常日頃、脱ぎたがっている彼にしてみればこの気温は地獄かもしれない。いや、でも彼が脱ぎたがるのは暑いからではなかったんだっけ?駄目だ、暑すぎて私の頭はショートしかけている。

「やはり脱ぎたいデスね。この肉体に吹き抜ける風を当てたいデス!しかし風呂場ではいいのに外で脱ぐのを蜻蛉切は許してくれません……外で水風呂ができれば万事解決できるのデスが…」

外、水、風呂、水砲兵————
その単語が全てつながった時、私の頭の中で一度に解決できる案が閃いた。

「そうだ、プールを買おう」

言うが早いが、私は仕事そっちのけで通販サイトを開いた。





思い立ったが吉日。
その日のうちに通販サイトで家庭用超大型プールを買った。やはり他の本丸でも考えることは同じらしく、通販サイトには多種多様なプールと水遊び用のグッズまで売られていた。それと人数分の水着も買った。

ちなみにお金の心配は無用だ。なんせ、審神者としての夏のボーナスが入った挙句、ブラック企業時代の退職金もしっかりと振り込まれていたのだ。通帳を見たときの手は震えた。
ということで、これは刀剣達のための福利厚生の一環として購入することを決意した。

お急ぎ便のおかげで翌日には注文した商品も届き、同じく購入した電動の空気入れでプールを膨らませ水を張った。
短刀用の浅めのプールと特大のプール、それぞれ一つずつ購入した。特大プールの方はかなり大きく、深さは太郎太刀の胸元まで浸かるほどだし、長さは二十五メートルはあるだろう。今この本丸に居る全員が入ったとしても余裕で遊べる。実にいい買い物をした。

今日は急遽すべての出陣を取りやめて、本丸の休日にした。
初めて見たプールという代物にみな驚いて浮足立っている。

「皆!はしゃぐ気持ちは分かるが、まずは準備体操からだ!」
「足をつる可能性もある。しっかりやるように!」

こういう時に長谷部と膝丸は頼りになる。
今にもプールへと駆け出しそうになる皆をまとめ上げてくれた。

「では主からのご挨拶です」

プール開きの開会式さながら、縁側に立った私は皆をみた。
庭先にはすでに水着に着替え、準備体操を終えた刀剣達がずらりと並んでいる。短刀も太太刀も、刀種類関わらず皆そわそわしている。

「皆さん、暑い中いつも内番や出陣お疲れ様です。日々のストレスもあるでしょうから、今日は存分に遊び、涼み、楽しんでください。いざ、出陣!」

私が言い終えるが否や、刀剣達は一斉にプールへと走り出した。
短刀達が勢いよく飛び込み、水しぶきが煌めく。陸奥守と鶴丸は早速水鉄砲を使いこなしているし、短刀用に買った浅いプールでは三日月と数珠丸が浸かっている。それだと単なる水風呂になるわけだが、本人たちが良いなら何も言うまい。

「主、そのお姿はどういうことですか?」

もうプールに飛び込んでいいにも関わらず、長谷部は私の方へ戻ってきていた。
彼が指摘した私の格好はというと、Tシャツに学生時代に履いていた体操着の短パン、そしてサングラスだ。
学生時代の短パンは、年齢的に現世ではアウトだがここではギリギリセーフであると信じて着用した。サングラスに関しては彼等の姿を直視しないための秘策だ。あんな顔の良いイケメンたちが上半身裸で目の前に大量発生した姿を想像して欲しい。私は鼻血を出してぶっ倒れる自信がある。

「夏を満喫する姿だけど?」
「俺が選んだ水着は!?」
「あれを購入リストに入れたのは貴方でしたか。あんなもの着られるわけないでしょう」

通販サイトのカートにいつの間にか紛れ込んでいた真っ赤なビキニは長谷部の仕業だったか。あんなものを着られるのはグラビア女優くらいだ。
そしてひとつ言わせてほしい、何故お前は私の胸のサイズを知っているんだ。

「冷たっ!主、何をするんですか!?」

長谷部の顔面に、手に持っていた水鉄砲をお見舞してやる。
十数年ぶりに使った水鉄砲は案外楽しくて、子供だった頃の思い出が蘇ってきた。よく友達や親戚の子たちとずぶ濡れになりながら遊んだな。

「長谷部、今日は無礼講だよ!いざ勝負!」
「いいでしょう主。私の機動を見くびらないでくださいね」

不敵に笑った長谷部から逃げるように庭に飛び出した。
すでに水鉄砲合戦を始めていた陸奥守たちに混ざり、子供時代に戻ったように馬鹿みたいに水を掛け合った。





さすがに日ごろ鍛えている刀剣達の体力にはついて行けず、一休みするために縁側に腰を下ろした。
私が付けていたサングラスは鯰尾にねだられたので貸してやった。どうやら先日見たマトリックスのあのシーンを再現するために使いたいらしい。

「主、お隣いいデスか?」

その様子をぼぅっと見ていたら、村正が私のすぐ近くまでやって来ていた。今日は思う存分脱ぐことができて嬉しそうだ。「もちろん」と返事をして隣に手招きすると一礼して腰を下ろした。サングラス越しに彼等の裸を見慣れた私は、その肉体を直視しても鼻血を吹き出すことはなく安心した。

「村正、今日は楽しい?」
「ハイ。蜻蛉切にも怒られていませんよ」
「それはよかった」

大きいプールでは何か新しい遊びを始めるらしい。刀剣達が集まってジャンケンをしている。どうやら水中騎馬戦をやるらしく、短刀達が担ぎ上げられていた。
ふと横から視線を感じると村正が何か言いたそうにしていた。どうしたのか聞けば、少し間をおいてから彼はゆっくりと口を開いた。

「ワタシには前世の記憶があるのデス」
「前世って"徳川家に仇をなす妖刀"と呼ばれていた時の?」

私がそう聞けば、彼は首を横に振った。
プールからははしゃぎ声や声援が聞こえてくる。戦い事になると遊びにも本気になれるところは実に彼等らしかった。
村正はそちらを見ているにも関わらず、瞳にその景色は映っていなかった。

「この本丸に来る前の、刀剣男士としての記憶デス」
「それって村正は一度他の審神者のところにいた、ってこと?」
「ハイ」

魂が輪廻していると考えれば彼が言っていることは分からなくもないが、"刀剣男士"としてそんな事があり得るのだろうか。
青江のように元々の主がいて、その状態で私が新しい主に代わったというのなら記憶があるのも分かる。しかし村正は私が鍛刀で迎えた一振りで、その時初めて"刀剣男士"としての肉体を得たはずだ。

「といっても断片的な記憶デスね」
「村正は、前の主の元へ帰りたい?」

彼の言う事が本当なのであれば、私はその意思を尊重したい。もちろん、この本丸にはいて欲しいけれど村正が前の主を忘れられないなら探してあげたい。その人が生きているなら尚更だ。

「イイエ…。あまりいい思い出はありませんから。ワタシは前の主には嫌われていましたからね」
「え?」

ドボンッ——
目の前で水飛沫が上がり、厚がガッツポーズをしている姿が見えた。どうやら水中騎馬戦は彼の勝利に終わったらしい。

「もしよければ、話してみて」
「……主は大人しくて幼い少女でした。ワタシはこんな性格でショウ?前の本丸には蜻蛉切もいなく、主はワタシと関わるのを苦手としていました。他の刀剣達もそんな主を見てワタシのことを煙たがるようになりました」

燭台切が西瓜を抱えて庭先に来た。冷やしておいたそれで西瓜割りをしようという。本丸内で抜刀は禁止なので稽古部屋から持ってきた木刀で行うようだ。

「記憶の限り、ワタシは近侍を任された事もなかったデスし、隊長に任命されたこともないデス。ある日出陣した戦場で、大将戦目前でワタシは重傷を負いました」

目隠しをし、短刀達から順に西瓜割りを行なっている。みんなの指示を受けながら木刀を振るうも外し、次々と挑戦している。

「それでも主に認められたかった。隊長に進軍するよう頼んだワタシはその戦で折れました。強がりに聞こえるかもしれませんがあそこで折れてよかったデス。本丸に帰ってもワタシの居場所はなかったデスから」

空振りの音を聞く中、空に響くいい音が聞こえた。歓声が上がった中央にいるのは蜻蛉切であった。西瓜は綺麗に割れ、水々しい赤い実が見えた。

「私は、村正が折れたら悲しいよ」

村正が私の方を見たのは気配で分かった。
西瓜はもう一つあったらしい。次は打刀組が割るらしく、皆張り切っている。
村正を見ながら話すのは気恥ずかしかった私は、その光景を見ながら言葉を続けた。

「もう少し錬度が上がったら隊長もさせるし、長曽祢の次は村正が近侍当番だからね。貴方の居場所はこの本丸。勝手に居なくなるなんて許さないから」
「主………」

歌仙が狙いを外し木刀の方を叩き割った。「ゴリラだ!」と叫んだ蛍丸はきっと後で歌仙の鉄拳を食らうことになるだろう。

「私は村正の性格好きだよ。今日だって村正がいなかったらこんな楽しい遊び出来なかったんだから。それにうちの子達はみんないい子だから、蜻蛉切が居なくたって村正を嫌う事はなかったよ」

本日二度目の、空に響くいい音が聞こえた。二つ目の西瓜を割ったのは長曽祢だ。さすが、その上腕二頭筋と胸筋は伊達じゃない。

「……アナタの元に来られて良かったデス」
「私も貴方という"千子村正"が来てくれて良かったよ」

同じだけど同じでない刀剣男士に、それを伝えるのは少し難しい。
姿形が同じ刀剣男士を何振り見ようとも、自分の本丸の子達が一番強くて、可愛くて、頼りになる。とんだ親馬鹿だけど、多分どの審神者もみんな思っている事だ。

村正の瞳には私が映っていた。その瞳はとても優しい色をしていた。

「ありがとうございマス。では主、一緒に脱ぎまショウ!!」
「それはお断りします」
「主、村正!西瓜が切れましたぞ」

不恰好に割れた西瓜を持って蜻蛉切が来た。私は席を空けて彼の居場所を作る。

「村正、主に迷惑はかけていなかっただろうな?」
「酷いデスね、蜻蛉切は。本当はワタシの事が好きなクセに」
「な、何を馬鹿なことを…!」
「はいはい、村正はいい子にしてたよ。西瓜ありがとう。三人で食べよっか」

今年初めて食べた西瓜はとても甘くて美味しかった。
暑いのは御免だけど、こんな夏の始まりも悪くはないだろう。