「颯音!!」
「なに?」

いつも通り本を読んでいた俺の前の席に座った多田野が両手を合わせて頭を下げる。

「勉強、教えて!!」
「は?」
「……もうすぐ、考査だろ?」

恐る恐る顔を上げた多田野に首を傾げながら黒板に書かれた日付を見る。

「あぁ、ホントだ」
「赤点あると補習とか再テストで試合行けないらしくて…」
「へぇ…で?何で俺?先輩に聞けばいいんじゃ…」

俺の言葉の途中多田野は無理無理と必死に首を横に振る。

「…なんで?」
「だって…鳴さんとか…」
「あー……まぁお世辞にも頭はよさそうじゃないね」

さらっとそう吐き出せば多田野は申し訳なさそうに頷いた。

「俺も別に頭良くないんだけど…」
「俺よりはいいから!!」
「…それは、そうだな」

そこ認めるの!!?と肩を落とす多田野に机の上に広げられた教材に視線を落とす。

「英語?」
「うん。あと、数学も…国語はまぁなんとかなるはずなんだけど」

本を閉じて引き出しの中の筆箱とルーズリーフを取りだす。

「英語、何がわかんない?」
「え?教えてくれんの?」
「別に。よくあることだから…」

え?と目を丸くする彼に首を傾げる。

「なに?」
「…なんか、颯音がどんな人かだんだんわからなくなってきた」

そう?と首を傾げてペン先でトントンとルーズリーフを叩いて。

「何がわかんない?」
「あ、うん。えっと、まずこれとか…あと、これも」
「…あー…一から説明するから」

お願いします、と申し訳なさそうに頭を下げた多田野。

「じゃあまずこれから。これは…」

予鈴が鳴って多田野はまた後で頼むと自分の席に戻っていった。

また後でって、いつ?

俺は首を傾げてまぁいいかと教科書の準備をした。





自主練習が終わって、投球練習の移ろうとすれば颯音!!と彼が俺を呼んで。

「なに?」
「このあと、暇?」
「…ちょっと用事あるけど」

多田野は目を丸くして、じゃあ用事が終わってからは?と首を傾げた。

「終わってからなら、平気」
「さっきの続き教えて!!」
「わかった」

部屋にいるから、終わったら来て欲しいと彼は言って部室に戻っていく。

「樹とは仲良くできているみたいだな」
「キャプテン…まぁ、どうですかね」

それだけ言ってブルペンに入ればキャプテンも入ってくる。

「このチーム、どうだ?」

俺のボールを捕ってそう問いかけたキャプテンに首を傾げる。

「どうっていうのは?」
「この間、鳴に言ったこと。信頼させるんだろ?…このチーム悪くねぇってことじゃねぇのか?」
「あぁ…そう、ですね。良いチームだと思いますよ」

キャプテンは驚いたように目を丸くする。

「自分で言っておいて何で驚いてるんですか…」
「いや、そんな素直に答えるとは思ってなかった」
「……日本の野球も、悪くない…て、ことですよ」

キャプテンはどこか複雑そうな顔をして俺を見ていて、首を傾げる。

「なんですか?」
「お前は変わるのに、鳴は変わらねェなって」
「あぁ…いいですよ、別に。嫌われるのは慣れてますから」

構えられたところにボールを投げて。

「前のチームでも、俺のこと嫌ってる奴がいて」

キャプテンは何も言わずに俺の話に耳を傾ける。

「顔合わせれば喧嘩して。試合中でも喧嘩して…真面目な会話してても喧嘩をし始めるような関係の人がいて。仲は最悪だったのに、一番長く俺と同じチームにいるんですよ」
「……苦労してるな、お前」
「そうですね。…けど、そいつが言ったんですよ。俺に」

なんて?と俺に尋ねたキャプテンに俺は苦笑しながら口を開く。

「俺はお前が嫌いだ。だけど、お前の実力だけは信頼してるって。何言ってんだって思ったんですけどね。けど、信頼のない状態よりはマシだって、思って」
「…そいつとは、今は?」
「一応交友はありますよ。電話もかかってきます。けど、結局喧嘩して切りますけど」

多分まだお互いに嫌いあってはいるけど、俺は今はそいつを信頼してるんですよ。
俺がそう言えばキャプテンは少しだけ笑った気がする。

「鳴ともそうなってくれりゃいいんだけどな」
「まず、実力だけでも信頼してもらえるように頑張ります」
「申し分ねぇと思うけどな」

決められた球数を投げて、練習を切り上げる。

「いつも付き合わせてすみません」
「気にすんじゃねェよ。さっさと風呂入ってこい」
「はい」





ノックの音が聞こえて、解いていた問題から視線をドアに向ける。

「誰か来たよー、樹」
「わかってますよ。てか、なんでここにいるんですか、鳴さん!!」
「いいから、出てやれよ」

神谷さんにそう言われてドアを開ければタオルを首にかけた颯音がいて。
視線を俺の後ろに向ける。

「わ、悪い…」
「樹、誰ー?げ…玖城…」
「取り込み中なら明日でもいいけど」

颯音はそう言って首を傾げる。
確かにここじゃ嫌だよな…
けど、なんとなく理解出来てきたところで。
明日に持ち越すのはなんとなくモヤモヤする。

「あと少しでわかりそうだから、出来れば今日お願いしたい…他の場所でも…」
「いいよ、ここで」
「え?」

お邪魔します、と呟いて颯音が部屋に入る。
驚く俺を無視して、机の横に立って。
机の上にあった問題集と解きかけのノートに視線を落とす。

「さっき聞いたとこ、やってみたんだけど」
「あー…ここ、スペル違う」
「え、嘘!!どこ?」

椅子に座ってノートに視線を落とせば、細い指先でノートの英文を指差す。

「ここ」
「あ、本当だ」
「他は…多分平気じゃない?」

よかった、と笑って教科書を開く。

「ここまで、聞いたんだけど。最後の辺りもう1回いい?」
「あぁ…まず、これが…」


颯音の教え方はわかりやすい。
分からないと言えば何度も教えてくれるし。

視線を颯音に向ければ微かに濡れた髪から落ちた雫が首筋を伝っていて。

うわ…こんな近くで見るの初めてかも。
睫長いし…
颯音って普通にカッコイイよな…

「多田野?」

彼を見ていれば颯音がこちらを見て、交わった視線。
多分、初めてちゃんと目を合わせた気がする。

彼の瞳を見て体が動かなくなって、目を逸らせなくなる。

「おい、大丈夫か?」

赤色を帯びた瞳がじっと俺を見つめて。

「おい!!」

肩を揺らされてやっと体が動いた。

「疲れた?なら、やめるけど」
「いや、平気…ごめん」

颯音はそう、と言葉を返してまた説明を始める。
けどすぐに手を止めて。

「どうしたの?」
「いや…あの、なんですか…?」

颯音が振り返って、俺もつられて振り返ればノートを覗き込む先輩達。

「…字、綺麗だな。お前」
「あぁ…どうも」

神谷さんの言葉に少し困ったように返事をして。
鳴さんは眉を寄せて颯音の字を見つめていた。

「樹、何で玖城に勉強教わってんの?」
「え、あ。もうすぐ考査なので」
「ふぅん…で、玖城が教えてるんだ」

鳴さんは颯音を見て、フンッとすぐに視線を逸らしてベッドに寝転び漫画を読み始める。

珍しく突っ掛かっていかない鳴さんに俺と神谷さんは顔を見合わせて首を傾げる。

「多田野、続き…」
「あ、うん」

颯音も気にした様子もなく説明を再開して。
けど、たまに鳴さんが颯音を見ていた。
嫌悪じゃない、けど何か気持ちを込めた瞳で颯音を見ていて。
颯音は気付いているのかいないのか、1度も後ろを振り返ることはなく説明を続けた。

「あ、颯音。今のとこもう1回」
「ここ?ここは…」

この狭い部屋に喧嘩もせずに2人がいる。
それが凄く、不思議だった。

「どう?」
「なんとなく、分かった気がする!!」
「そ。問題解いてみて、わからなかったらまた説明する。数学は、明日でいい?」

彼の問いかけに頷けば、俺は部屋に戻ると言って出ていって。

「ありがと、颯音!!」

俺の言葉にひらりと手を振って、ドアが閉じた。



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