「明日の試合のスタメンを発表する」
1試合目は井口さんだったから次は鳴さんだろう。
鳴さんもどこかわくわくとしていて。
「次の先発は1年、玖城」
「はぁ!!?」
ざわついた部屋。
声を荒げた鳴さん。
俺の隣に座る玖城はいつも通り、俯いていた。
「なんで!?アイツは投手じゃないじゃないですか!!練習だって」
「投球練習はしてる」
雅さんがそう言って、鳴さんは目を丸くする。
「どういうこと…?」
「玖城は寮に入ってから投球練習をしてる。お前らの自主練が終わった後に。球は俺が受けている」
「そんなの知らないんだけど!!?」
俺も、知らなかった。
けど、言われてみれば颯音は自主練が終わってからもグラウンドに残っていたし。
俺達と風呂に入ったこともなかった。
「もし、練習してたとしても。俺は認めない」
「……玖城は、井口さんと同じくらいの球…投げてた」
小さな声でそう言ったのは鳴さんの近くに座っていた白河さん。
「白河…知ってたの?」
「偶然見ただけ。…俺は、1試合任せられると思う」
「どんなの投げるかしらねェけど、俺も平気だと思うぜ?」
神谷さんもそう言って鳴さんの眉間のしわは深くなる。
「なんで!?だって、見たこともないんだよ?俺達は負けられない!!見たことないものなんて、信じられるわけない」
「負けられねぇってことはわかってるよ。けど、玖城が1軍に上がるとき俺達が感じた不満はたった1球のアイツの球で消えた」
「俺は認めてない」
確かに、そうだ。
1軍に上がると言われた時の不平不満はたった1球投げただけでなくなった。
鳴さん以外は、だけど。
「それはただ鳴が意地張ってるだけじゃん」
「俺は別に意地なんて張ってない!!!」
白河さんの言葉に鳴さんはまた声を荒げて。
雅さんは溜息をついた。
「鳴、これは「監督の決定でも聞けない。だって、俺達は…甲子園に行くんだよ」甲子園に行くことを諦めたなんて誰が言った。あそこに行くために玖城を投手に選んだんだ」
「それがわからないって言ってんの!!」
「アイツの実力は俺が保証する。それでいいだろ」
よくないっ!!と鳴さんが叫んで、隣に座っていた颯音が小さく息を吐き出した。
「…颯音?」
がたっと音をたてて、颯音が立ち上がって。
顔を伏せたまま、鳴さんの前に立った。
「…なんだよ。俺は絶対に、お前にマウンドは譲らない」
「……成宮さんが言ってることは、間違ってないですよ。俺はずっと隠れて練習していて、そんなもの信じられないって、それは間違ってない。けど…」
颯音が左手を握りしめていて。
微かにその手は震えていた。
「……けど、今回だけは…譲れません」
「なんだよ、それ」
颯音が、深々と頭を下げた。
「は?」
また、ざわついた部屋。
颯音がそんなことするなんて、誰も思っていなかったからだろう。
そんなことするキャラでもない。
「…お願いします。絶対に勝ちます。だから…この試合だけでも、俺を信じてください」
「な、に言ってんの?てか、何で頭なんて下げて…お前、プライドとかないわけ?」
「…プライドよりも…大切なものがあります。それだけは…絶対に、失うわけにはいかないから」
鳴さんが目を丸くして、颯音の姿を見つめていて。
「…選ばれなかったことに抗議するお前のために1年が頭下げてんのに…お前はまだ文句言うのか?」
「っ!!……わかったよっ!!けど、ダメそうなら俺が交代する」
「それは、困ります」
颯音は体を起こして、でも顔を伏せたまま。
いつも以上に髪が目にかかっていて、目元が全く見せない。
「明日の試合。何があっても、何を見ても…ベンチで凛としていてください」
「は?」
「エースらしく、堂々と…そこにいてください。」
どういう意味?と鳴さんが問いかければ颯音は何も言わないで。
「ねぇ、それ。どういう意味?玖城!!」
鳴さんの問いかけに応えず背中を向けて、俺の隣に颯音が座る。
チラッと、視線をそちらに向ければ今までに見たことないくらいに冷たい瞳をしていた。
手の平を睨みつける彼の瞳。
鳴さんに怒った時は比べものにならないくらいに冷たい瞳に背筋が凍える。
「他に文句がある奴はいるか?……いないな。玖城、任せたぞ」
「……はい」
その後の発表を聞く颯音は目を閉じていて。
さっき見たあの冷たい瞳が見間違いだったんじゃないかって、思った。
「じゃあ、これで解散だ」
解散の声を聞いて、颯音は目を開く。
その目はいつもと変わらなくて俺は首を傾げる。
やっぱり、見間違い?
颯音があんなあからさまに表情に出すとは思えないし…
「颯音…」
「何?」
「あ、いや…頑張って。明日」
俺の言葉に颯音は眉を寄せて微笑んだ。
「え…」
俺に微笑みかけたことも驚いたけど。
それよりもその微笑みが明らかな作り笑いだったのに驚いた。
俺に背を向けてさっさと出て行く颯音の背中を呆然と見つめることしか、俺には出来なかった。
なんて声をかければいいか、わからない。
▽
部屋に戻れば玖城は椅子に体育座りで座っていた。
その手には以前鳴が見ようとしていた鍵のかかった本があって。
鍵は開いているけど、本は開かずに表紙を見つめていた。
「…それ、見てるところ…初めて見た」
玖城はその本の表紙を手で撫でて。
「…開かないの?」
「あんまり、見たくないのが本音です。けど、いつもマウンドに上がると決まった日にはこれを見てます」
玖城の横顔はどこか悲しそうに見えて、首を傾げる。
「さっきは、ありがとうございました」
「別に。任せられると思ったのは…本当だから。けど、頭下げるとは思わなかった」
「成宮さんを納得させるためなら…仕方ないです」
彼をマウンドに上げるわけにはいかない。
玖城はそう言って表紙を開いた。
「プライドより大切なものって?」
「約束です。…誓いっていうかなんというか…」
「誓い…」
パラっとページを捲る音が聞こえる。
「それの為なら…俺は頭だって下げるし。恨まれたって、嫌われたって…構わない。まぁ成宮さんにはもう嫌われてますけどね」
「…アイツはただ意地張ってるだけ。別に嫌ってはないと思う」
「ありがとうございます」
俺も自分の椅子に座って、ヘッドホンに手を伸ばす。
玖城はただ静かにその本のページを捲った。
一瞬だけ見えたそれは印刷された字じゃなくて。
誰かが買いた英字。
「それ…手書き?」
「…はい。俺が、書いたものです。全部憶えているんですけどね。間違っても忘れてしまわないように」
俺だけでも、憶えていたいと言って彼は下手くそな笑顔を見せた。
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