そこに駆け寄れば颯音の左手は紅く染まっていて。
右腕のアンダーシャツは引き裂かれ血が流れていた。
相手の捕手は顔を青くしていて。

「颯音、大丈夫!?」
「…あぁ、平気」

自力で立ち上がった颯音が相手の捕手に視線を向ける。

「すみませんでした」
「い、いえ!!こっちこそ。あ、あの…投手なのに…腕を…」
「プレー中に怪我をすることは珍しいことじゃないです。頭から突っ込んだこちらも悪いですから」

颯音はそれだけ言って自分の足でベンチへ戻っていく。

「颯音、それ…」
「踏まれて切れただけだから。平気」

颯音はベンチに座って、ユニフォームを脱ぎ始める。

「悪いんだけど、俺のバックから替えのシャツとってもらっていい?」
「あ、うん」

言われた通り替えのシャツを取ろうとバックを開けて、一番に見えたそれに首を傾げる。

「…グローブ…?」

それを避けてシャツを取って颯音の方を向いて、俺は言葉を失う。
俺だけじゃない。
みんな、目を丸くして颯音を見ていた。

「な、に…それ」

鳴さんが小さく、そう吐き出した。

「何がですか?」

手当てを受けながら颯音は首を傾げる。

「その体の傷!!」

颯音は自分の体を見てあぁ、と言葉を零す。

「昔の怪我ですけど」

神谷さんと白河さんもベンチに戻って来て目を丸くした。
試合は一時中断となって、観客のざわめきが増えていく。

「これでも治った方ですよ。昔は痣だらけでしたから。残ってるのは痕だけです」

恐る恐る颯音の方に歩いて行けば背中だけじゃない。
腕にも肩にも傷痕がある。

「つーか、細いのに無駄のねぇ筋肉だな」
「それ、今言う必要ある?空気読めよ。バカルロ」

白河さんの言葉に神谷さんは悪いと小さく呟いた。





手当てを受けた右手を数回開いたり閉じたりする。

「平気か?」

キャプテンの言葉に頷いて、多田野からアンダーを受け取る。

「大丈夫です。出血の割に浅いみたいなので」
ユニフォームを着直して立ちあがれば成宮さんが声を荒げる。

「大丈夫じゃないだろ!?投手が利き手を怪我して、大丈夫って何!?」
「成宮さん…」
「代われ!!俺が出る」

グローブをバックに取りに行こうとする成宮さんの右腕を掴む。

「それは、困るんですって」
「何でだよ!!怪我して何強がってんの!?そんなんで投げれるわけないじゃん」
「…昨日、言いませんでした?」

え?と成宮さんが振りほどこうと動かしていた手を止めた。

「何があっても、何を見てもベンチで凛としていてくださいって」
「お、前…もしかして…」

目を丸くする成宮さんの手を離す。

「勝ってきますから。座っていてください」
「どうやって!?てか、お前!!わかっててマウンドに上がったのかよ!!」

成宮さんの言葉に俺は小さく息を吐き出した。

「こういうのは、慣れてますよ」

俺の言葉に神谷さんが口を開く。

「お前の傷って…全部ラフプレーの…」
「全部ではないですけどね」

そう答えて、監督に視線を向ける。

「いけるか?」
「はい、問題なく」

不服そうな成宮さんの横を通り過ぎて、バックから取り出したグローブ。

「じゃあ、キャプテン。お願いします」
「あぁ」

試合再開のアナウンスが響いた。
グローブを右手にはめて数回動かす。

「は?」

目を丸くしている成宮さんに俺は首を傾げる。

「なんで右手につけてんの!?てか、投げれないならやっぱり代われ!!」
「いるんですよ?」
「は?」

スイッチピッチャーって、と言ってベンチから出る。

「待て待て待て!!聞いてない!」

神谷さんが俺の肩を掴んで俺を止める。

「言ってなかったので。けど、問題ないですよ。元々俺は左投げなので」
「は?」
「じゃあ、後ろはお任せします」

俺はそう言ってマウンドに上がった。
俺が戻ったこととグローブを右手に付けていることに観客が騒がしくなる。

「まぁ…これでも少ないよな」

向こうではもっとうるさかった。

左手で持ったボールをクルクルと指先で回して小さく息を吐いた。

ミットに収まる音。
歓声がまた増えた。





「…凄い」

右で投げていたよりキレがある。
ストレートは同じくらいだけど他の球種もスピードがある。

「樹。スイッチピッチャーって…」
「両方で投げられる投手ですよ。あんまりいないと思いますけど…」
「玖城。球種なに投げた?」

じっと玖城を見たまま問いかけられた言葉。

「ストレート、カーブです。コントロールは右の方がよかったですけど。それでも普通以上です」
「今フォーク投げたよね?」
「はい」

4回の裏も無失点に抑えて颯音がベンチに戻ってくる。

「お疲れ。腕、平気?」
「平気」

俺の隣に颯音は座って、右腕に手を添える。

「…スイッチピッチャーって…本当にいたんだね」
「元々左投げ。けど、必要になったから右も練習した」
「何で隠してたの?」
「成宮さんがいるから」

颯音の言葉が聞こえたのか鳴さんは目を丸くした。

「マウンドに上がる気なんて更々なかったし。けど…今回は別」
「怪我…するってわかってたの?」
「まぁ…」

颯音はそれっきり口を閉ざした。
ただ右腕を何度も撫でていた。


5回6回と得点を重ね、11-0で迎えた6回の裏。
これで相手を0点で抑えればコールド勝ち。

「あれ…」

マウンドに上がった颯音の肩が上下する。

「颯音が…疲れてる…?」

どんな練習も平然とやってのけていた。
汗なんてかかず、息も乱さずに。
そんな颯音が、肩で息をしていた。

「やっぱり俺が代わった方が…!!」
「黙って見てろ」

監督はそう言ってグラウンドに視線を向けていた。

「けど!!」
「何のために玖城は頭を下げた」
「え?」
「1試合だけでも信じてくれ、と言っていただろ」

監督の言葉に鳴さんは唇を噛んで視線をマウンドに戻した。

「シュート…それに、チェンジアップも」

肩で息をしながらもキレは衰えず、球種も増える。

試合終了の声が聞こえて、颯音はマウンドの上で顔を俯かせた。
帽子を深く被って肩が上下に動く。
沢山の歓声にも答えずに整列をした。

「玖城、お疲れ」
「やるじゃん」

神谷さん達に絡まれる颯音はありがとうございますと言葉を返してベンチに入る。

「颯音、お疲れ様」
「サンキュ」
「凄かった」

俺の言葉に颯音は答えずに小さく頷いた。
颯音はベンチに置いたグローブに手を伸ばそうとして、動きを止める。

「…ちょっとトイレ行ってくる」
「わかった。代わりに片づけておくから」
「悪い」

奥に入っていく颯音を見送って自分のものを片づける。
それを終えて、颯音のものを片付けようとグローブに手を伸ばして俺は首を傾げる。

手首の辺りが赤くなっていて、それに触れれば指先が濡れる。

「…血…」
「樹、玖城どこー?説教してやるっ!!」
「トイレって言ってましたけど」

本当に?
俺は指先についた赤い血を見て眉を寄せた。

「すいません、ちょっと見てきます!!」
「ちょ、樹!!?」

慌てて走り出した俺を鳴さんも追いかけてきた。
通路を曲がれば壁にもたれてしゃがんでいる颯音が見えて。

「颯音!!?」

颯音に駆け寄って、声をかけても颯音は返事をしなくて。
鳴さんはそこに立ちすくんで、颯音を見ていた。

その後駆け付けた白河さんが監督を呼んで、颯音は車で病院に運ばれた。



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