1点を追う形で迎えた9回の表。
先頭打者の御幸さんは初球のカーブを空振り。
だが続く2球目のストレートを捉えライト線へボールを運んだ。
ノーアウトランナー2塁で次打者の降谷はアウトで御幸さんを3塁に進めて。
打席に立つのはうるさい奴。
ここでマウンドへ2度目の伝令を送った。
「引きずってるか?」
神谷さんの言葉に首を振る。
「引きずってはいないですけど。あれですね、スゲェ悔しい」
帽子を脱いで、前髪をぐしゃぐしゃとかき乱して大きく息を吐いた。
「似合わねぇな、そういう表情。普段は飄々となんでもこなす癖に」
「ほっといてください」
「ま、相変わらず汗ひとつかいてねぇけどな」
背中をバンッと叩かれる。
「ここ0点に抑えりゃ必ず逆転するぜ」
「知ってますよ、そんなこと」
1アウトランナー3塁で、試合が再開になる。
ずっとバントばかりしていたから、この回もバントかと思ってたのにが初球をあててファール。
2球目、ランナーが走り出す。
うるさい奴がバントをして勢いを殺し絶妙な位置に転がったボールに成宮さんが頭から突っ込んでいった。
投手がするには危険すぎるプレーだけど、そのプレーは勝利への執着そのものに見えた。
「アウト―――!!!!」
審判の声に、球場が歓声に包まれた。
次の打者を三振で抑え、交代。
9回を1人で投げ抜いた成宮さんに歓声と拍手が贈られた。
「さぁて、あとは俺達の仕事か」
「…任せました」
「わかってるよ」
最後の回。
監督の周りに輪になる。
「どうだ、勝利のイメージは固まったか?」
「「「はいっ!!」」」
「あの1年投手、確かに情報も少なく思った以上のクセ球かもしれんが…決して手も足も出ないボールではない。焦らず攻めれば必ずボロを出す!!」
それに、と監督が言葉を続ける。
「川上を抑えとして信頼しているなら必ず川上で来たはず…。それをしなかったということは継投に何らかの不安があると言うことだ。いいか!2点いらない!!1点でいい!!」
延長になれば必ずウチが勝つ!!監督ははっきりとそう言い切った。
打席には代打の矢部さん。
俺は一番前でアイツの打球を見つめる。
1球目はファール。
2球目を前に叩きつけ、2塁前へ飛んでいったが小湊春市のプレーでアウトになった。
次の打者の神谷さんがベースに覆いかぶさるように構える。
デッドボール覚悟のインコース封じだ。
投手の表情が微かに、歪む。
1球目はボール。
2球目を神谷さんのバットが捉えるがファール。
表情は、さっきよりもはっきりと曇った。
「白河さん!!」
3球目、レフトに捕られてアウトになったがはっきりとこの目に映った。
「玖城?」
首を傾げた白河さんにそれを伝えれば、口元が綺麗な弧を描いた。
「ただじゃ倒れないね、お前」
そう言って打席に入った白河さんもベースにかぶさるように構える。
1球目はファール。
2球目、投げられたボールは真っ直ぐとインコースへ。
「危ないっ!!!!」
何処からともなくそんな声が聞こえて頭に当たったボール。
その場に倒れた白河さん。
悲鳴が聞こえる中、立ち上がろうとする白河さんは笑って、ガッツポーズをした。
「デッドボール!!!!」
審判の声が球場の空気を揺らした。
▽
手が微かに震える、
それを隠すようにぎゅっと握りしめて、白河さんの傍に行く。
「大丈夫?」
コーチの問いかけに白河さんは頷いた。
「大丈夫です。ヘルメットにしっかり当てたんで」
立ちあがろうとする白河さんをみんなが止める。
「玖城の言う通りだったな…。怖いもの知らずの1年かと思ったけどしっかりプレッシャーは感じてたみたいだな…」
白河さんは笑う。
「アイツがプレッシャーを感じないようなただのバカじゃなくてよかったよ…」
臨時代走で神谷さんが1塁へ行き、そして続く打者は吉沢さん。
あのうるさい奴はベンチに下がり、サイドスローの川上さんがマウンドへ上がる。
初球はアウトコースにストライク。
2球目はスライダーで空振り。
3、4球目はボール。
ベンチからもスタンドからも聞こえる応援と湧き上がる歓声。
5球目、ファールボールで神谷さんが2塁へ走り。
そして立て続けに2つのボール。
「フォアボール!!!」
歓声が球場を包み打席に入るのはキャプテン。
この緊張感と溢れんばかりの歓声が少しだけ、昔に似ていて胸が熱くなる。
俺達はこんな場所で試合をしていたんだ…。
2アウト1、2塁。
青道のタイムでマウンドに伝令の丹波さんが走る。
彼らには笑顔が見えて、俺達は願うように打席を見つめる。
外野は定位置よりやや後ろ。
同点で延長の覚悟はあるようだ。
1球目アウトコースにボール。
キャプテンの肩に力が入っているように見えた。
そんなキャプテンに成宮さんが笑いながら声をかける。
「おいしいとこ俺にも残しておいてよ!独り占めはダメだからね」
成宮さんのその一言でキャプテンの肩の力が抜けた。
バットがボールを捉え、投手の横を抜ける。
それを小湊春市が捕ったが、倉持さんに投げられたボールは軌道がずれていて。
その隙に2塁に突っ込む吉沢さん。
聞こえたセーフの声。
「バックホーム!!!カルロス!!!!」
青道の誰かが叫んだ。
3塁を蹴って、ホームに神谷さんが入ってきてベンチが今までにないくらいに沸いた。
パンッと音をさせてハイタッチをした彼が笑う。
「ナイスランです」
「おう」
続く打席、成宮さんの打球が外野を越えた。
「ゲームセット!!!」
試合終了を告げる声にガッツポーズをして、顔を見合わせて笑う。
「「「「よっしゃぁぁああ!!!」」」」
泣き崩れる成宮さんと、目に涙を浮かべたキャプテン。
みんな嬉しそうに笑っていて、多田野が凄い勢いで俺に抱き着いた。
「勝った、勝ったよ颯音!!!」
「うん、勝ったな」
キャプテンの横、泣き顔を帽子で隠しながら成宮さんは小さな声で呟いた。
「…よかった。あれだけ…ずっとでかいことばっか言ってきたから…勝ててよかった…」
整列してる間も成宮さんは神谷さん達にからかわれながら泣いていた。
成宮さんから視線を逸らして見えたのはあのうるさい奴。
…沢村、だっけ。アイツ…
最後に、俺はアイツのボールを打てなかった。
俺がお前に負けたとしてもチームが勝ったならそれでいいなんて言ってたのに、スゲェ悔しい。
頭へのデッドボール。
そう簡単に立ち直れないだろう。
野球で人を傷つけることは自分が思うよりも深いところに傷を作る。
野球が好きなら好きなだけ、その傷は深く大きく治らない。
…俺がそうであったように
沢村から視線を逸らせば倉持さんと視線が交わって。
目を合わせることは好きじゃないのに、どうしても逸らすことが出来なかった。
「玖城」
名前を呼ばれて、振り返れば白河さんがいてこちらに拳を差し出した。
「え?」
「お疲れ」
俺は白河さんの拳に自分の拳をぶつける
「…はい」
「帰るよ」
視線を戻せば倉持さんは俯いていた。
▽
球場を出ても沢山の声をかけられて。
それを列の一番後ろでぼんやりと眺める。
バスまでの道、青道のユニフォームを着た女の人が4人いた。
手には千羽鶴。
「チーム全員の重いが詰まっています。がんばってください…甲子園…」
「重たいね…」
「118校分だと思ったら余計にな…」
千羽鶴を受け取ったキャプテンが口を開く。
「西東京代表としてみっともねぇ試合はできねぇ。これからが夏本番だ」
歩き出した先輩達を追いかけようとした俺の手を誰かが掴む。
「あ、の…?」
振り返れば先ほどの4人のうちの1人が俺の手を掴んでいた。
他の3人の姿は見えない。
「これ」
渡されたのは折りたたまれた紙切れ。
「倉持から試合前に預かったの。勝っても負けても、渡してくれって」
前髪に隠れた左目も真っ赤に染まっていたその人は俺の手にぎゅっとそれを握らせた。
「…頑張って」
「あ、ありがとうございます」
走って行く彼女の背中を見送ってから、手の平に視線を落とす。
「玖城!!!早くしろー」
「あ、はい」
ポケットにそれを入れて、先輩達を追いかけた。
←→
戻る