次の日から1週間。
甲子園に向けて練習が行われていたわけだが。

「え、俺投げるんですか?」

打撃と守備の練習ばかりしていた俺にキャプテンが声をかけてきた。
そして、言われた言葉に正直驚いた。

「なんで投げねぇと思ったんだよ」
「いや、成宮さんと井口さんいるじゃないですか」
「2人で回すには疲れんだろ」

バッドのヘッドを地面につけて眉を寄せる。

「嫌です」
「おいコラ。お前まで鳴みたいになんじゃねぇよ」
「……あの時は、仕方なく出ただけで。信頼されてないのにマウンドには上がりたくありません」

キャプテンは呆れたように溜息をついた。

「お前はもう信頼されてんだろ。なんでそれがわかんねぇんだよ。鳴だって本当は」
「してませんよ、成宮さんは確実に」
「どうしてそう思う?」

準決勝が終わった後、自室で成宮さんに言われた言葉を思い出す。

「……暗に信頼していないと、言われたからです」
「はぁ!!?」

あの馬鹿、とキャプテンが額を手に当てて溜息をついた。

「あー、もうめんどくせぇ。いいか、これは監督命令だ。お前がどれだけ嫌でも聞け」
「……気に入らないです」
「だろうな。けど、仕方ねェんだよ。優勝するためにはお前の力も確実に必要になる」

騒がしい練習の声を聞きながら、俺は地面を見つめる。

「言っただろ、お前。日本の野球が見てぇって」
「それ、テストした日の話ですか?懐かしいですね」

1軍入りを果たした日の前日。
練習がオフで家にいた俺をキャプテンが突然呼び出して、能力テストをした。
その時、聞かれたのだ。
お前は何故、稲実に来たのかと。
俺は日本の野球を知りたいと答えて、「はぁ?」と呆れられたのを憶えている。

「日本の野球の頂上見せてやるって言ってんだから、少しは手伝え」
「……わかりました」

ここまで言われたら折れるしかなくて溜息をつきながら頷く。

「ブルペン行くぞ」
「はい」

ブルペンには不機嫌そうな成宮さんと練習中の多田野と井口さん。

「あ、颯音。遅かったけどどうしたの?」
「全力で抵抗してただけ」
「は?」

左手にグローブをつけて、ボールを受け取る。

「また右投げかよ」
「絡むな、鳴」
「左の方が速くない?お前」

左投手は成宮さんで十分でしょと言って、キャッチボールを少ししてキャプテンに座ってもらう。

「鳴、お前いつまでここにいる気だ」
「いいじゃん、別にー」
「玖城。気にしなくていいからな」

気にしてません、と言ってミッドにボールを投げ込む。

「ナイスボール」
「いーや、甲子園じゃ今のは外野まで運ばれてるね」
「うるせぇよ鳴」

キャプテンの顔に青筋が浮かぶ。
言い合いになる2人の声を聞き流しながら手の中のボールをくるりと回す。

甲子園。
日本の高校野球の頂上。
……それを見たら、俺は…。

言い合う2人をじっと見つめて、それに気づいたのか成宮さんがこちらを見た。
交わった視線に成宮さんは目を丸くする。

「な、なんだよ…」
「……いえ、別に」

俺は視線を逸らして、首を横に振った。





時間は随分と速く過ぎて、8月7日。

今日、甲子園が開幕する。


「暑〜まだ終わんないの?話長くない?」

お偉いさんの話の最中に聞こえた成宮さんの声。
それを聞き流しながら欠伸をすれば多田野が首を傾げる。

「眠いの?」
「眠い。電話してたら朝になってた」
「誰とそんなに電話してるの…」

昔のチームメイトって言えば、仲良いんだねと彼は微笑む。

「まぁね。てか、早く終わらないの…?暑い」
「もう少しかかるんじゃない?」

燦々と照りつける太陽を見上げる。

「この中、試合ってきつそうだな」
「え?あぁ、まぁね…真夏だし」
「けど…悪くないよな。こういう空気」

ピリピリと肌に感じる緊張感。
照りつける太陽と、熱気。

「え?」
「なに?」
「いや、なんか…意外だったから」

多田野には俺がどんなふうに映っているのか、なんとなくわかった。
まぁ、確かに俺がハイテンションだったり熱くなってたりしたら気持ち悪いけどな…

開会式が終わって会場の外へ出る。
明日からは試合か…

初戦の先発は成宮さん。
俺は今回もレフト。

「明日試合で緊張してる?」

声をかけてきたのは白河さんだった。

「するように見えますか?」
「見えない」
「…緊張はしてませんよ」

ただ、1試合1試合この目に焼き付けたいとそう思っていた。
口にはしなかったけど。

「玖城!!」
「はい?」
「飲み物買ってきて」

成宮さんの言葉に吉沢さんと平井さんが顔を見合わせて溜息をついた。

「…何がいいですか?」
「アクエリ」
「わかりました。白河さん、荷物見ててもらってもいいですか?」

わかった、と彼が言って鞄の中から財布を取り出す。
その時に一緒に落ちた小さな紙切れ。

「落ちたけど」

白河さんがこちらに差し出したそれには11ケタの数字。
差し出されたそれを受け取るときに微かに手が止まった。

「……ありがとうございます。白河さん、飲み物いいですか?」
「俺は平気」
「わかりました」

紙切れを受け取って、集団から外れた。
近くの自販機で飲み物を買って、溜息をつく。

結局電話をかけることもできなくて。
そのまま持ってきてしまった倉持さんが渡してきた番号。

「勝っても負けても、渡してくれ…ねぇ…」

電話、かけた方が良いのかな…





「どこの小学生だよ」
「な、なにそれ!!意味わかんないんだけど!?」
「話したいなら普通に話せばいいじゃん」

鳴の顔は真っ赤になる。
これだからカルロスに坊やって言われるんだよ。

「……うかうかしてると本当に奪われるかもよ」
「え?」

さっき落とした紙。
中に書かれてたのは携帯の番号だった。
しかも男の字。

「そろそろさ……態度改めた方が良いんじゃない?」
「わ、かってる…」

戻ってきた玖城は鳴にアクエリを渡す。
その手にさっきの紙はない。

「あ、あり…がと」
「え?あぁ、いえ…気にしないでください」

荷物ありがとうございます、と玖城は言って鞄に財布をしまう。
ポケットから出したあの紙も一緒にしまおうとして、手が止まる。
真っ直ぐとその紙を見つめる彼の目は真剣だった。

「玖城」
「え、あ…はい?」
「移動だって」

わかりました、と鞄を閉めた。
その表情はいつもと変わらない。
樹に話しかけられて玖城は少しだけ表情を緩めて話しながら移動する。
いつも通り一番後ろ。

「白河」
「なに?」
「さっきの…本当?」

鳴が前を見ながらそう、問いかける。

「…俺の勘違いだったらいいけど」
「うん…」
「アイツって推薦でここに来たわけじゃないから」

引き抜かれる可能性はあってもおかしくないよと、と言えば鳴は俯いた。

「…アイツは誰にもあげない」

鳴は本当に小さな声でそう呟いた。



戻る