学校に帰ってきて、2日のオフを貰った。
オフが明けたら、俺達は新しいチームで次を目指す。

早朝、白河さんがまだ眠っている時間。
出掛けてきます、と書置きを残して俺は部屋を出た。

夏だから太陽は既に昇っていて明るい。
普段は騒がしいグラウンドは酷く静かだった。

「本当に……負けたんだな…」

ポツリと呟いて俺は学校を出た。
電車に揺られること数分。
目的の駅で降りて改札を抜ければ、壁に背をあて俯く彼がいた。

「おはようございます」
「あ?あぁ、はよ」
「待たせましたか?」

別に待ってねぇよ、と彼は笑った。

「たく、甲子園終わったら電話しろとは言ったけどよ…本当に終わった日にかけてくる奴がいるかよ」
「迷惑でしたか?倉持さん」
「別に。つーか、腹減った」

俺もお腹すきました、と言えばファミレスでも行くかと彼は歩き出した。

「おしかったな、甲子園」
「おしくても負けは負けですよ」
「まぁな」


ファミレスのモーニングセットを頼んで、それを食べながら口を開く。

「急に呼び出してごめんなさい」
「別に。俺のとこもオフだったしな。邪魔されずに話してェとは思ってたし」

コーヒーを飲んで、頬杖をつく。
視線を窓の外に向けて、俺は目を閉じた。

「俺ね、分かったんです」
「は?」
「どうして帰ろうと思わないのか。どうしてここに居ようとするのか…」

目を開けて、窓ガラスに映る自分が見えた。
情けない顔、してる。

「自分の力を自然とセーブしてることも、わかってる。ここにいるべきじゃないことも。俺を待ってる人がたくさんいることも…ちゃんとわかってるんです」
「…玖城」
「けど、俺は…あの人に。成宮さんに、どうしても必要とされたい。…それが俺が稲実にいたい理由です」

倉持さんと視線が交わった。
彼は目を丸くして俺を見ていた。

「初めて、俺が信頼されたのはJoker'sを作ってからでした。あの時には、もう俺はエースとしてエース番号を背負っていたんです」
「あぁ…」
「だから、俺は…エースに信頼されたことが一度もないんです」

Joker'sが出来る前のチームでも俺はすぐに1番を背負っていたし。
それ以前に1番を背負っていた奴は…エースと呼べるような男ではなかった。
だから俺が初めて出会ったエースは彼、成宮鳴だった。

「よくチームの奴らが言うんです。試合中俺が信頼してるって言うと、なんでもできる気がするって」
「まぁエースに信頼されてるって言われりゃ出来る気にはなるな」

それが、俺にはわからなくてと言えば倉持さんは眉を寄せて呆れたように溜息をついた。

「馬鹿みたいでしょ?けど俺はアイツらが感じている感情を俺は知りたいって、知らなくちゃいけないって思ってるんです」
「結局、お前の中にあるのはJoker'sの奴らじゃねぇか?」

まぁ、確かにって俺が言えば彼は笑った。

「けど、お前さ…」
「はい?」
「もし、お前がここに残って成宮に信頼されたとして」

倉持さんの表情から笑顔が消え真剣な目を俺に向けた彼に、俺は首を傾げる。

「お前は帰るんだろ?」
「え?あぁ、はい」
「それってただの裏切りだろ」

倉持さんの言葉に俺は、マグカップに伸ばした手を止めた。

「え?」
「だって、お前信頼されたら帰るってことだろ?それって成宮からしたら信頼した途端に裏切られるってことじゃねェか」

…そう言われてみればそうだ。
止めた手をぎゅっと握りしめた。

「けど、もし成宮を裏切りたくねぇからってここに残ったとしてもそれはJoker'sを裏切ることになる。お前は…どっちかを選ばなきゃなんねぇんだよ」

どちらを裏切るかを、選ぶ…か。
俺は握りしめた手の平を見つめた。

「お前が信頼されたい気持ちも必要とされたい気持ちも分かる。Joker'sの奴らの気持ちを理解したいってお前の感情も決して間違ったもんじゃねぇよ。逆にエースとしてそれは正しいことだと思うぜ?けどな…」

お前は、特別なんだと彼は言った。

「…あー…そっか。そういうの…考えてなかった」

俺は苦笑して、窓の外に視線を戻した。

「………裏切り、か…」





甲子園が終わった日の夜。
玖城から電話がかかってきて、会えますかと尋ねられた。
丁度オフが被って会うことになって…

玖城が切り出したその言葉は少し驚くものだった。

成宮に信頼されたい。必要とされたい。
だから、ここにいる。

けどどうしたってコイツが何かを選んだ先には裏切りがある。

「裏切るのは、嫌ですね」
「…だろうな」

窓の外を見たまま彼は言った。
その横顔はどこか寂しそうだった。

「俺個人の意見としては、お前には帰って欲しい。信頼されてェお前の気持ちもわからなくはないけどな。やっぱり、Joker'sにいるお前の方がお前らしいぜ」
「そうですか?」
「おう」

今のコイツのプレーはどこか窮屈そうに見える。
昔とはどこか違う。

「こんなとこにいるよりも、あっちにいた方がメジャーに近いだろ」
「それは、関係ないですよ。ここにいたってメジャーには行ける。てか、まず…メジャーに行きたいわけでもないし」

は?と俺が言えば彼は首を傾げた。

「メジャー目指してるわけじゃねェの?」
「別に、そういうのは。まぁきっと行くんだと思うんですけど…」
「え、じゃあ…なんで野球そこまで強くなったんだよ?」

世界を変えたかった、玖城はそう言って少し照れくさそうに笑った。

「世界を、変えてみせたかった」
「はぁ?」
「当たり前だと思われてることが異常だって知らしめてやろうっていうのが…始まりだったんです」

けど、今はアイツらがいるからと言った。
そう言った玖城は酷く優しい瞳をしていた。

「そこまで思ってるなら…やっぱり帰るべきだろ」

結局こいつの気持ちはJoker'sに向いたままだ。
それにこいつは気付いていないのか…

「つーかさ、思ったんだけど」
「何ですか?」
「どっちも裏切らない方法」

玖城は目を瞬かせて首を傾げた。

「今すぐに、帰ればいいんだよ」
「はい?」
「そしたら成宮もJoker'sも裏切らないで済む。まぁお前はエースから信頼されることを知ることは出来ねェけど…」

玖城は眉を寄せる。

「まぁ、それじゃあ意味ねェんだよな」
「…はい」

彼は俯いて、小さく頷いた。

「結局お前は選ばねぇといけねェ」
「…はい」
「稲実かJoker'sか、お前自身か…」

逃げ道はねぇぞ、と言えば分ってますと彼は答えた。

「……道は、自分で決めます」
「そうかよ」

朝食を食べ終わって、玖城はごちそうさまと両手を合わせて言った。

「けど、俺」
「あ?」
「一度Joker'sを裏切ろうとしてるんですよ」

話が突然で俺は目を瞬かせる。

「日本に来るとき、脱退届を監督に提出したんです」
「はぁ!!?」
「中途半端はダメだろうって思って」

初めて聞く事実に俺は開いた口が塞がらなくて。
玖城は気にした様子もなく、言葉を続ける。

「そしたら、監督がこれを受け取るのは俺じゃないって言ってLeoたちを集めてそれを渡したんです。そしたら、どうなったと思います?」
「え…破かれた、とか?」
「正解。破かれて捨てられた挙句殴られて説教されました」

玖城はバイオレンスですよね、なんて眉を寄せて言った。

「高校3年間を日本で過ごすってことは、戻ったらアイツらと一緒にプレーすることはできないってことだってわかってるはずなのに」

アイツら、言ったんですよと玖城は優しい顔をしていて。

「お前はどこにいたって俺達のエースなんだって。だから、脱退なんて許さないって」
「エース…」
「戦列を離れてるやつがエースなんて、なんだそれって思ったのにアイツら聞かなくて。脱退も認められずに結局日本に来て」

今でも毎日のように帰って来いってアイツらは言うんです。
そう言った玖城はどこか嬉しそうだった。

「俺もすぐに帰るつもりだった。けど、目標が出来ちゃって…Joker'sに帰りたい反面帰りたくなくて…まぁ、ただの欲張りなんですけどね」
「いい奴らだな」
「…はい。最高の仲間だと思ってます。もし俺が3年間ここで過ごすことになっても」

俺はアイツらには先にメジャーに言って欲しいんです、と彼は言った。
その目には迷いはない。

「一緒に試合したい気持ちは確かにあるけど。それでも、俺がアイツらの未来を壊すことは決して許されない。敵同士になっても…俺達は壊れたりしないから」
「……その口ぶりじゃ、お前…帰る気はねぇのか?」
「…いえ、正直凄く悩んでます。今のはただの、もしもの話です」

これから毎日俺は悩み続けると思います、と玖城は言ってそろそろ出ますか?と首を傾げた。

「そうだな」

奢りましょうか、なんて言った玖城の頭を叩いて。

「馬鹿言うな」
「冗談です」

彼は笑っていたが、きっと心の中は目茶苦茶にかき乱されているんだろう。
彼が背負うものは多分、1人で背負うには重すぎる。
そんな気がした。



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