俺達は負けた。
ただでさえ打てていなかったスローカーブに加え、強カーブ。
足でのゆさぶりとバッテリーのサインのミス。

溶けた氷嚢を額から外して鏡に映る自分を睨みつける。

これが、現状だ。
これが、今…俺のいる位置だ。

無様な顔だ。
鏡を殴って、俺は大きく息を吐いた。

トイレから出れば監督が立っていた。

「頭は冷えたか?」
「はい」
「甲子園を終えてからの不調。周りは気付いていないかもしれないが確実に少しずつお前の調子は右肩下がりだった」

真っ直ぐと監督に視線を向ける。
逸らしてはいけないと、そんな気がした。

「原因はわかっているか?」
「…はい」

監督は俺の過去を知っている。
1軍に上がるとき、全てを話した。
だから、きっともうわかっている。

「お前は、知らなくてもいいことを知りすぎた」
「え…?」
「信頼のないチームなど、知らなくていいことだ。お前はそれを知ったからこそ強くなれたが…それを知ってしまっているからこそ、弱くもなる」

今はチームの調子がダイレクトにお前の調子に繋がっている。
監督の言葉に俺は目を逸らす。

「個々が強く思うあまり、周りが見えなくなった。あったはずの信頼が個々の気持ちに押し負けた。それをお前は誰よりも早く気づき、誰よりも影響された」
「それ、は…」
「今日、打席に立ったとき手が震えていたな」

…そこまで、バレてんのかよ。
身体の横で握りしめた手は今も震える。

「信頼のないチームで戦ってきたことは、そこで見て来たものはトラウマか?」
「…はい。自分で思っているよりも深く…俺のなかに植え付けられたものだと思います」
「そうか。…これからチームの調子は上がっていく。いや、上げていく。それに合わせて、上がって来い」

はい。
そう返事をしながらも俺の中に燻り続ける何か。

背を向けた監督が俺の名を呼ぶ。

「…ベンチにいる成宮を連れて来い」
「え?」

監督はそれだけ言って歩いて行ってしまった。

俺は少し迷って、でもベンチへ向かう。
膝に顔を埋め、嗚咽を殺す彼の姿が目に入って近づくのに躊躇った。

少し考えてから、彼の方へ近づいて背中合わせに座る。

「………笑いに、来たのかよ…」
「笑われるのは、俺じゃないですか?1打席で交代なんて…初めてですよ」

膝から顔を上げたのか、背中に彼の背中が触れた。

「……悔しい」
「…はい」
「スッゲェ、悔しい。負けると思ってなかった…」

涙声で彼はそう、言った。

「俺もです」
「……なんで、交代なんてしてんだよ…お前」
「すいません」

触れる背中から感じる温もりに俺は目を閉じて、額を撫でた。
冷える体と反してそこは熱を持つ。

「…気づいてた、のかよ」
「え?」
「信頼が…薄れてたって」

…はい。
小さく答えればぐっと、背中に重みが増えた。
こちらに寄りかかっているようだ。

「なんで、言わなかった…」
「……信じてたから、ですかね。きっと、すぐに元に戻るって…」
「……ごめん」

首筋に彼の髪が触れる。
柔らかい毛先が擽ったくて少しだけ身を捩る。

「…ねぇ、成宮さん」
「…なんだよ」
「背中合わせの意味を、知ってますか?」

は?と彼の声は少し間抜けな声を出した。
いや、まぁ突然話を変えたのだから当然の反応かもしれない。
けれど、驚く彼を無視して言葉を続けた。

「…比喩的な意味なんですけどね、仲が悪いって意味があるんですよ。俺達にぴったりじゃないですか?」
「は?お前…何言って…」
「けど…背中合わせなら倒れそうになった貴方を支えることが出来る」

成宮さんは何も言わなかった。

「…背中を、押すことも…できますよね」
「何が言いたいわけ…」
「貴方が倒れそうになったら、俺が支えます。だからどうか前に…進んでください」

貴方の背中を守ってくれる人はあんなにも沢山いるでしょ?
あんなにも信頼できる仲間が…
そこに俺はいないけど、それでも…少しでも貴方の力になれるなら。
貴方がまた前を見てくれるなら、きっとチームも前を向く。

「お前も映画とかの見過ぎじゃない?」
「映画はあまり見ないですけどね」

そろそろ、戻りましょうと言えば成宮さんの温度が背中から消えた。
皆が前を向いて、本当にチームになった時俺はまた元に戻れるだろうか。

「…お前に言われなくたって、前に進む」
「それなら、安心しました」

俺の前を歩いて行く彼の背中にある1という数字。
やっぱり、大きな数字だ。

「玖城、荷物持って」
「…肩、ちゃんとアイシングしてくださいね」

彼の鞄を持って、前を歩いて行く成宮さんの背中を見つめた。

「玖城、早く行くよ!!」

ねぇ、成宮さん。
俺はやっぱりダメみたいです。
やっぱり今のままじゃ、俺は前に進めない。
俺は、まだ…何も選んでない。
何も切り捨ててない。

前に進む貴方と一緒に前に進むには、この足は鉛のように重くて。
早く選べと急かされ、道が狭くなって俺の体は身動きが出来なくなっていく。
震える手を握りしめて、ゆっくりと1歩踏み出した。
迷いが俺を押しつぶす前に…道を選ばないといけない。

「玖城、遅いってば。帰ったら練習だ」
「…はい」





「あれ、玖城は?」
「シャワー」
「は?もう1時間位経ってね?」

白河の部屋に玖城の姿はなかった。
1時間前に風呂に行ったきり、帰って来ないと白河は言った。

「1打席で交代。結構キテんのか?アイツ」
「どうだろう?けど…あんなに感情を露わにしてるのは初めてだった」

交代した直後響いた鈍い音。
思い出して、自分のことじゃないのに痛くなった。
額は真っ赤になってたし結構マジで打ちつけてただろう。

「試合終わってからは結構普通って感じだったけどな。鳴の鞄もって戻ってきたし」
「…あぁ、そうだな」
「けど、表に出てないだけかもね」

アイツの中、今は凄いことになってるんじゃない?
白河の言葉に俺は口を閉ざした。

「…玖城は自分には極端なほど厳しい」
「え?」
「自分を甘やかすことは絶対しない。学校の練習メニューに加えて膨大なメニューをこなしてる。それも、アイツの体をギリギリまで使ってる」

今回のことでアイツは多分、より一層。
自分に厳しくなる。
白河はそう言って玖城の椅子を見つめた。

「鳴とは違うけど、鳴と同じ。そんなに気にしなくてもいいだろって俺達が思ったってアイツらの中では酷く大きい」
「アイツも、籠るかもしれねぇってことか?」
「可能性は、なくはないんじゃない?けど、籠るよりは出てきて無茶するんじゃない?」

天才は案外脆いよ。
白河の言葉に俺は頷いた。

「そうだな」



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