帰りのHR 。
担任の言葉に教室がざわついた。
「えー…急な話だが玖城が明日から最長でも2週間休学することになった」
「は?」
多田野が目を丸くして俺を見ていた。
HRが終わればスゴイ勢いで多田野が俺の元に駆け寄ってきた。
「どういうことだよ!!」
突然、大きな声を出した多田野に教室にいた生徒が俺達の方に視線を向ける。
「休学なんて、聞いてない」
「監督には許可は貰った」
「だからって、俺達に相談がないの?てか、なんで急に…」
若干泣きそうな彼にごめんな、と伝えて彼に背を向けた。
「俺の部屋の試合ノート、好きに使っていいから」
「だから、そういうこと聞いてるんじゃなくて」
「多田野」
彼の名前を呼べば勢いよく話していた彼の口が閉ざされる。
振り返り彼を見れば、彼は俯いて小さな声で「なに…?」と言った。
「お前は、いい捕手だよ」
「は?」
俺の言葉に多田野は目を丸くして顔を上げた。
「お前と原田さんの決定的な違いって何だと思う?」
「技術と信頼」
「まぁ、それもあるけど…。俺は時間だと思う」
多田野は唇を噛んで、眉を寄せた。
俺は彼と視線を合わせて口を開く。
「成宮さんは1年のときから原田さんと組んでた。だから信頼関係だって築けたんだと思う。最初から、成宮さんが信頼なんてしてなかっただろうし」
「何が言いたいの、颯音」
「時間が足りてない。だったら、どうする?」
多田野は首を傾げた。
「話すんだよ。投手も捕手も人間だ。対話を重ねれば理解できる。時間の差はあっという間に埋められる」
「話す…?」
「そう。首を振ったらその理由を聞いて。どうして自分がそのサインを出したか言って。話し合えば理解できるところもある」
まぁ成宮さんが相手じゃそう上手くもいかないかもしれないけど。
多田野は真っ直ぐな奴だから。
気付かぬうちに俺も彼の隣にいることが当たり前だと感じてしまっていた。
だからきっと、成宮さんにとってもそうなれる。
「けど、本当に譲りたくないなら。自分が正しいと思えることなら絶対に曲げるなよ。喧嘩してでもそれを曲げちゃいけない」
「喧嘩って…」
「俺は昔、リードが噛み合わなくて捕手とベンチで殴り合いの喧嘩したことある」
え、と固まった多田野に苦笑する。
「まぁ、殴り合いの喧嘩はしない方が良いけど。それくらいの勢いで話した方が良いと思う」
「うん…」
「成宮さんにはいくらでも首振ってもらいな。あの人と組んでれば嫌でも技術はつく。あの人、やっぱり凄い投手だし。だから、必要なのはバッテリーの信頼」
まぁ、頑張れよ。
多田野の頭をぐしゃぐしゃと撫でて笑う。
「……なんで、今そんなこと言うんだよ」
「え?」
「まるで、もう帰って来ないみたいじゃん…」
泣きそうな彼に撫でていた手を止める。
「…なぁ、多田野」
「なに…?」
「あの約束。来年は一緒に甲子園にってやつ」
多田野は眉を寄せて俺を見た。
「あの約束は白紙にさせて」
「え…」
「守れるかわからない。だから…今は…」
ポンポンと彼の頭を叩いてごめんな、と呟いた。
「なんだよ、それ!!?」
「ごめんな」
「ごめんなって…」
俺が迷ったから。
俺が弱かったから。
だから、一度お前を裏切るよ。
▽
「玖城!!!」
バンッと音をたてて開いた部屋のドア。
ユニフォームに身を包んだ成宮さん達がいた。
「…お前、休学って…」
「はい」
「…帰るのかよ、Joker'sに」
成宮さんの言葉に俺は視線を彼に向ける。
「なんで、知ってるんですか。あのチームを」
「そんなの今はどうでもいい。何で?支えるって言ったじゃん。あれ、嘘だったのかよ!!?」
胸倉を掴んだ成宮さんに、俺は眉を寄せて。
泣きそうな顔の彼に視線を逸らした。
「貴方が倒れそうになったら、支えます。前に進めないなら…背中を押します。けど、貴方はもう前に進んでる。もう、倒れないでしょ?」
「え…」
「それに、帰るって言っても帰省するようなものです。2週間で帰ってきます」
俺の胸倉を掴む彼の手を握って、小さく笑った。
「信じられる、わけないだろ…そんなの」
「そう、言われると思いましたよ」
成宮さんは胸倉を離して、俯いた。
机の上に置いてあった本を手に取って彼に差し出す。
「は?」
「貴方に預けます。俺のプライドよりも大事なものです。俺達の約束を刻んだ、あの誓いを刻んだ大事なもの。これが、俺が野球を続けている理由です。これ、成宮さんが持っててください」
「え…お前、何言ってんの?」
取りに来ます、必ず。
俺はそう言って彼の胸にそれを押し付けた。
そして、彼と視線を合わせる。
「1度、必ず…帰ってきます。けど…」
「けど…?」
「またここで野球をするかは、わかりません」
目を見開いて固まった成宮さんの手から本が滑り落ちた。
見開かれた彼の瞳が俺を映して。
後ろにいた白河さんや、神谷さん、多田野も目を丸くして俺を見ていた。
床に落ちた本を拾って、もう一度彼の手に持たせた。
「…それじゃあ」
「ふざけんな。なんだよ、それ。ここで野球をするかわからないって…なんだよ、それ」
泣きそうな、でも怒っているような。
どっちともとれない彼の瞳から俺は視線を逸らす。
「俺が、お前に冷たかったから?だから、お前は…」
「違いますよ。貴方が俺を信頼してくれたとしても…いつかこうなる日が来てました」
どの道を進んでいてもぶつかる分岐点。
決して避けることの出来ない壁。
俺があのチームのエースである限り、俺がこのチームの一員である限り。
否が応でも遭遇した壁。
「……もし、またここでプレーをすることになったら」
また、ここで背番号を貰えたなら。
その時は、その時こそは…
「今度こそ貴方に信頼してもらえる選手になります」
成宮さんは目を見開いて、本を握りしめた手の指先は白くなっていた。
「貴方に、エースに…必要とされる選手になります」
時計に視線を向けてそろそろ時間だと内心呟く。
鞄を掴んで部屋を出ようとして足を止めた。
「…それじゃあ、お世話になりました」
彼らに一礼をして、彼らの横をすり抜けて部屋から出た。
▽
「意味、わかんない」
手の中にある本を見つめて、眉を寄せる。
「俺達が、負けたから?弱くなったから?だから…だから、裏切るのかよ」
「違うんじゃない?」
「え?」
白河は玖城の背中を見つめて、カルロも俺も違うと思うぜと言った。
「なんで…?」
「だって、アイツ…ちゃんとお前の目を見て1度帰って来るって言ったじゃん。裏切るなら、そんなことしない」
「それだけじゃなくて、ちゃんとここに自分を残して行った」
アイツは帰って来るよ。
その先は、わからないけど。
白河の言葉を聞きながらアイツの背中を見つめる。
「…帰って来なかったら、これ燃やしてやるからなっ!!!!」
玖城の背中にそう叫べば振り返ってアイツは笑った。
「それは困ります」
「だったら、さっさと帰って来い」
「…はい。次、会うときは…」
今よりも強くなっておきますね。
彼の言葉に、瞳に偽りはなかった。
「気を付けて行ってこいよ、玖城」
「行ってらっしゃい」
「絶対帰ってきてね」
カルロ、白河、樹の言葉に彼は頭を下げて背を向けた。
「……馬鹿玖城…」
小さく吐きだした言葉。
馬鹿は自分か。
行ってらっしゃいの一つも、俺は言ってやれない。
…帰ってきたら、おかえりって言えるだろうか。
小さくなっていく彼の背中を見送り、早く帰って来いと心の中で言った。
▽
「あ、そうだ…」
搭乗まで時間があって椅子に座っていてふと、思い出す。
大事なことを忘れていた。
携帯を取り出して、彼の番号にかける。
数回のコール音の後、聞き慣れてきてしまった元気な声が耳に届いた。
『もしもし、こちら沢村栄純であります!!倉持先輩ですか!?』
「うん。倉持さん」
『もっちー先輩、いつもの人からっすよ!!』
電話口で会話が聞こえてから、倉持さんの声が聞こえた。
『もしもし?』
「倉持さん、こんばんは。えっと、急にすみません」
『いや。お前…途中交代だったけど…』
どこか言いにくそうな彼に俺は平気ですと呟く。
「あれは俺の弱さなので、気にしないでください。えっと、今日は一応知らせることがあって」
『知らせること?』
「ニューヨークに帰ろうと思います。あ、2週間くらいですけどね」
はぁ!!?と驚く彼の声を聞きながらニューヨーク行きの搭乗開始を知らせる放送。
『お前今空港かよ!!?』
「はい。…アイツらと話し合って、道を決めてきます。ついでに少しアイツらと練習して昔の感覚取り戻してくるんで。すいません、それだけなので…」
『お、おう…』
驚いているようだったが、彼は俺の名前を静かに呼んだ。
『後悔、しねェ選択をして来いよ』
「はい」
『じゃ、気ぃつけて』
ありがとうございます、と伝え電話を切る。
「さてと…帰るか、Joker'sに」
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