散々決勝を見に行くことを渋った鳴さんだったがやっとその重い腰を上げた。

「あれが国立かー」
「早くして下さいよ。もう試合始まってますよ」
「先にサッカーに出会ってたらどんな人生だったかな」

国立競技場を見ながらゆっくりとした足取りで歩く鳴さんに内心ため息をついた。

「今ごろイタリアかスペインか…」
「何バカなこと言ってんスか!?」
「いやマジで!!」

彼の方を振り返れば鳴さんは空を見上げた。

「いい天気だしちょっと昼寝してくか?」
「ダメです!!」

もう試合始まってるよな?
あーもう…こういうとき颯音がいないと厄介だと思う。

それにしても…そろそろ帰ってくるころだろうか?

「…何考えてんの」
「え?いえ、颯音はあとどれくらいで帰って来るかなって…」
「……もう、帰って来ないんじゃね?」

鳴さんはそう言って視線を逸らした。

「帰ってきますよ、絶対。あの本大切にしてたし…」
「あれさ、何とか開けられないか頑張ったんだけどさ」
「ちょ、怒られますよ!?」

あれ、本じゃないみたいだねと彼は視線を逸らしたまま呟いた。

「本じゃないって?」
「白河にさ、中身は手書きだって聞いてたんだけど。あれ、タイトルも表紙もなかっただろ?」
「そう、ですね」

あれ、多分日記なんだよねと彼は俺に持たせた鞄を奪って中からそれを取り出した。

「持ってきてたんですか?」
「入れっぱなしなだけ。ほらここ、掠れてるけどdiaryって印刷があるだろ」
「あ、本当だ。そう言えば鍵付きの日記帳とか、本に良く似せたデザインのとか最近はありますよね」

多分、これもそれの一種だと思うと彼はその本を鞄に戻して、鞄を俺に押し付けた。

「日記ってことは、アイツが野球をする理由は過去にあるってことだろ?」
「確かに、そうですね」
「今、勝ちたいとか負けたくないとかそんな感情よりも大きなモンってなんだろうな」

颯音はあの日記を失ったら野球をやる理由を失うんじゃなくて、過去を失ったら野球が出来なくなるってことを言いたかったのか…

「アイツにとっての今ってなんだろな」
「え?」
「俺達と一緒に試合してた時って、アイツには何が見えてたんだろうな」

俺達と一緒に頂上、見てたのかな…

小さな声で呟いた彼の名前を呼べばなんだよ、と彼は目を丸くした。

「颯音、甲子園で負けた時言ってました」
「何を?」
「本当に勝ちたかったって」

青道の試合のときだって鳴さん達が勝つ姿が見たいって言ってました、と言えば鳴さんは何も言わなかった。
けど、少しだけ嬉しそうに目を細めて顔を伏せた。

「…早く帰って来るといいですね」
「………そーだな」





「相変わらずだな、お前ら」

騒がしい青道の3年を見ながらそう言えば結城はふっと笑った。

「そっちこそ珍しい。今のチームの主力が決勝を観に来るなんて。成宮も来るのか?」
「わからん。昨日は渋ってたな」
「そうか」

椅子に座って見ている部員たちの後ろに立ってグラウンドを見ていれば前に座っていた小湊がこちらを振り返った。

「ねぇ原田。玖城は来ないの?こういうの嫌がるタイプには見えないけど」
「アイツは来れないだろうな」
「なんか大事な用でもあるの?それとも怪我?」

実家に帰ってる、と言えば小湊は首を傾げた。
あのチームの事は言って欲しくないだろうし、これが一番わかりやすい説明だ。

「実家ね…野球部やめたの?」
「どうだろうな。そうなる可能性も、ないわけじゃない」
「ふぅん…話ししてみたかったんだけどな」

興味あるのか、と言えば小湊は少し黒い笑顔を見せた。

「倉持に聞いたんだけどね。俺の足の怪我、一番最初に気づいたのはアイツらしいんだよ。試合中、煽ってきたし…俺の怪我を知って、倉持がそれを気にしていることを理解したうえで三遊間を狙ってきたし…いい性格してる?」
「アイツ、他人の怪我には敏感だからな。まぁ大人しい割に口は悪いし、性格も良くはない。それでも、鳴と比べりゃできた後輩だよ」

問題があるとすれば、鳴と仲良くならねぇことだな…
それと、チームメイトとして信頼はしていてもそれ以上の関係を築こうとしないこと。
樹のことを友達と言ったとき、アイツ驚いてたし…

「倉持がさ、アイツのこと随分気に入ってて」
「へぇ、そうなのか」
「元々後輩とかを気に掛ける奴なんだけどさ。玖城のことは特別気にしてた」

好きなの?って聞いたら真顔で好きっすよって言われたんだよねと小湊が笑う。

「その素直さ、鳴にもありゃよかったんだけどな…」

まぁ、鳴が倉持と玖城の関係を不安に思うのも無理はないか…

「稲実やめたら青道おいでって伝えておいてよ」
「そりゃ出来ねェお願いだな。うちの野球部をやめたとしたら次の場所はもう決まってる」
「…あれ、残念」

そうならねぇことを、祈るけどな。

「まぁ、話す機会くらいは作ってよ」
「アイツが帰ってきたらな」
「楽しみにしてる」

アイツ、どうするんだろうな。
何を選んでも俺は責めるつもりはねェけど…
初め、1軍に上がった時と比べてチームに対して前向きに考えてくれるようになった印象を抱いてた。
日本の野球を見たいって目的だけだったアイツが、最後はチームで勝つことを考えていたように思う。
出来ることならチームに残って欲しいもんだな。
鳴と玖城が肩を並べて戦う姿と言うのを見てみたい。
きっとこれは俺だけじゃなくあの2人の関係を知る皆が思っていることだろう。

「早く帰って来ねェと…色々面倒だぞ。玖城」





天候の悪化によりフライトが少し遅れた飛行機。
空港に着いたときにはもう、時間はギリギリだった。

「マジか…」

これ、確実に間に合わないじゃん。
ここから球場までの時間も考えて飛行機決めたんだけど…

「まぁ、仕方ないか…」

空港を出て、タクシーに乗り込む。
「明治神宮第二球場まで」と伝えれば、車が発進する。

「甲子園見に行くのかい?」
「はい」

運転手の問いかけにそう答える。

「今年の決勝の対戦カードは面白いって」
「そうなんですか?」
「青道と薬師だそうだよ。俺は稲実が上がると思ってたんだけどねぇ」

タクシーの運転手の言葉にそうですね、と返して視線を窓の外に向けた。

「けど…稲実は、強いですよ」
「え?」
「夏に上がってくるのはきっと、稲実です」

俺の言葉に運転手は目を丸くしていた。

「稲実のファンなのかい?」
「ファン…まぁ、そうですね」
「やっぱりエースの成宮鳴?」

久々に聞いた彼の名前に騒がしい彼の声を思い出す。
俺の本、まだちゃんと原型とどめてんのかな…

「そうですね。あの人は凄いと思いますよ。けど、他の選手も」
「夏が楽しみだな」
「そうですね」

タクシーは途中まで順調に進んでいたが途中ぴたりと動かなくなった。

「どうかしたんですか?」
「事故だって。こりゃ当分動かないな」

運転手の言葉に視線を時計に落とす。

「ここから球場までどれくらいありますか?」
「え?うーん…歩いて30分40分くらいかな」
「地図見せてもらってもいいですか?」

快く地図を見せえてくれた運転手にお礼を言って今いる場所を教えて貰う。
まぁ、空港からと比べれば随分近くまで来ている。

「ここまででいいです」
「え?歩いていくのかい?」
「走って行きます」

お金を払ってタクシーから降りた。
なんだかんだずっと切っておらず長くなった後ろの髪をゴムで結ぶ。

「それじゃあありがとうございました」
「いや、気を付けて」
「はい」

1日前に帰って来るべきだったかもしれないな。
なんて、まぁ…今更考えたところで意味はないか。
走り出した俺はクシュッとくしゃみをして首を傾げる。

「やっぱ風邪かな…」



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