「あー…やっと着いた」
夏が終わったとはいえ、暑さはまだ残っている。
球場の自販機でスポドリを買って、渇いた喉を潤していれば視線を感じた。
その視線の方を振りければ背の高い少年が立っていた。
「…ん?」
知り合い、ではないはず。
その少年は目が合った途端、慌てて顔を背けどこかへ歩いて行った。
「うん、知り合いじゃなさそう」
キュッとペットボトルの蓋を閉めて、近くの階段を登れば夏よりは少ないが大きな歓声が耳に飛び込んできた。
「あれ、ここ青道ベンチだ」
試合は3回の表。
丁度、倉持さんがホームに返ってきたところだった。
「相変わらず、凄い足してる…」
歓声が沸き上がった青道ベンチ。
小湊春市のツーベースもあり、ノーヒット2、3塁で迎えた4番。
選手交代の放送が会場に流れた。
マウンドに上がったのはどこか落ち着きのない男の子だった。
轟雷市、という名前が読み上げられて球場が騒がしくなった。
「んー…やっぱり、どんな選手かはさっぱりだな」
バッターボックスに入ったのは4番の眼鏡さん。
確か名前は、御幸。
初球から顔スレスレのインコース高めのボール。
それを避けた彼は大きく息を吐いた。
「球速はありそうだけど、コントロールは微妙か…?」
ボールを見ている限り、投手専門の選手と言うわけではなさそうだ。
俺達のようにローテをしているわけでもないだろう。
急造の投手、と考えるのが妥当だと思う。
けど、だからこそボールが荒れているから打ちにくそうだな。
何とかバットを当てたがショートのグローブの中にボールは収まった。
「相性が悪い云々よりは、調子悪いのかな…?前に見た時とスイングがちょっと違う」
その後の5、6番も抑えられて、交代となった。
守備に向かう倉持さんの姿が見えて、俺はフェンスに駆け寄る。
「倉持さん!!」
歓声の中、叫んだ彼の名前。
後ろにいる青道の応援席がざわついた。
聞こえないかもしれない、と思っていた俺の声はどうやらちゃんと届いたようで彼がこちらに視線を向けた。
「玖城…!?」
「見てますから!!倉持さんのプレー」
敵だけど、彼には感謝している。
だからこの試合だけは、彼を応援する。
そのつもりで、俺はこの球場に来た。
目を丸くしていた倉持さんだったがすぐに笑顔を見せた。
「見とけよ、ちゃんと」
ヒャハッといつも通り笑って、彼は俺に背を向けた。
さて、と…
ここに居ても目立つし場所を変えるか、とフェンスに背を向けて階段を上り、一度観客席から出た。
「あれ…玖城君?」
どちらに行こうか、と迷っていれば片方の通路から声をかけられ、視線をそちらに向ける。
「あれ?」
声をかけてきた人には見覚えがあった。
俺に倉持さんから預かった携帯番号を手渡してくれた人だ。
「…この間はありがとうございました。えっと、」
「夏川唯。倉持と同じ2年だよ」
「夏川さん。本当に、助かりました」
そう言って頭を下げればその人は大丈夫だよ、と微笑んで答えていた。
「倉持が試合前に決勝観に来て欲しいんだよなーみたいなこと言ってたから来れないんだと思ってたけど、稲実の皆と来たんだね」
「え?稲実のメンバー来てるんですか?」
あれ、一緒に来たんじゃないの?と言った彼女に今回は別に来ていますと告げる。
「そうなんだ。そこの2つ目のゲートから行けば多分すぐに見つかるよ」
「わざわざありがとうございます」
「あ、ううん。お節介みたいで、ごめんね。」
いえ、助かりましたともう1度頭を下げてから俺はそのゲートに歩を進めた。
まさか来てるとは思わなかった…
ゲートへの階段を上ろうとしたとき携帯が震えた。
そう言えば、日本に着いたら連絡しろって言われてたの忘れてたなと通話ボタンを押しながら静かな通路の方へ向かった。
▽
「多田野センパイ」
どこか聞き覚えのある声に呼ばれ振り返れば、よく知る後輩が立っていた。
「お久しぶりです」
「また背ぇ伸びたか?晋二!」
「はい…今年は成長痛であんまり投げらんなかったです」
自分より高くなった後輩は片目を閉じて笑った。
「多田野先輩とまた野球するの楽しみです」
「ああ…」
「先輩、沢山荷物持ってますね。自分が持ちましょうか?」
親切な彼の言葉に、平気だと伝える。
そんな彼のことを鳴さんはただ静かに見つめていた。
その視線に気づいたのか晋二が綺麗な笑顔を作る。
「夏の甲子園観てました、成宮さん。尊敬する投手と早く一緒にプレーしてみたいです」
晋二の言葉に満更でもない顔をする鳴さんに小さくため息をついた。
「なかなか礼儀正しい少年だな」
「ありがとうございます」
「名前は?」
鳴さんの問いかけに晋二は背筋を伸ばした。
それがなんだか大型犬みたいに見えて、少し頬を緩める。
「赤松です!!赤松晋二です」
鳴さんへの挨拶を終えた晋二がきょろ、と辺りを見渡す。
「多田野先輩、あの玖城さんって…いますか?その、お話してみたいんですけど」
「え?あぁ…颯音は、「アイツはいないよ」…鳴さん」
鳴さんの言葉に晋二は首を傾げた。
「あれ、けどさっき見たんですけど…」
「え?見たって、颯音を?」
「あ、はい。髪結んでましたけど、多分見間違いじゃないです」
俺と鳴さんは顔を見合わせる。
颯音は今、ニューヨークにいるはずなのに…
「樹、どう思う?」
「どうって…まだ、早くないですか?2週間経ってないですよ?」
「だよな…」
そんな時だったクシュッとくしゃみの音がした。
「あー…やっぱ、風邪かな」
聞こえた小さな呟きにゆっくり振り返る。
そこには見間違えることはない、颯音が立っていた。
「颯音、」
「あ、多田野…」
「お前、なんでここに…」
鳴さんも颯音を見て目を丸くしていた。
「何でって、帰ってきたからですけど…」
彼は首を傾げながらそう言って、もう一度小さなくしゃみをした。
「早かったね、帰って来るの」
「まぁ、そうだな。けどやることは全部やってきたよ」
「結局、どうすることにしたんだよ」
いきなり、それ聞く!!?
鳴さんの問いかけに颯音は視線だけそちらに向けてからすぐに逸らす。
颯音も気にした様子もなくそれに答えようとした。
そんな彼の言葉を遮ったのは雅さんだった。
「その話は後だ。試合見に来たんだぞ、鳴」
「けど…」
「原田さん、お久しぶりです」
鞄を肩にかけたまま颯音は雅さんに歩み寄る。
「久しぶりってほどじゃねぇだろ」
「まぁ、そうっすね。今日、観に来てるとは思いませんでした」
「そりゃこっちのセリフだ。もうちょい向こうにいると思ってた」
決勝が気になっちゃって、と颯音は苦笑を零す。
「お前、それより俺らに言うことは?」
俺達の前に座っていた白河さんが颯音の方を振り返ってそう言った。
目を瞬かせた颯音は首を傾げる。
「詳しい話は後でするんじゃないんですか?」
「それよりもまずあんだろ?」
同じように神谷さんが振り返って苦笑を零した。
「帰ってきたときはなんて言うんだっけ?」
「え?あー…ただいま?」
「おう、おかえり」
白い歯を見せて笑った神谷さんの隣、白河さんもふっと口元を緩めた。
そんな彼らのやり取りを鳴さんは何も言わず、ただ眉を寄せて見ていた。
多分鳴さんは颯音の答えを聞くまでおかえりを言えないんだと思う。
意地を張ってる可能性もないわけじゃないけど、多分きっとそう。
このチームで誰よりも、颯音の選ぶ道を知りたがってるのは鳴さんだ。
なんだかんだ言って、鳴さんは颯音を必要にしてる気がした。
「鳴さん」
「…なんだよ」
「颯音が稲実を選んでくれたらいいですね」
俺の言葉に鳴さんは視線を試合に戻し、すっと目を細めた。
「…選ばねぇよ、多分」
「え?」
「アイツは俺達を選ばない」
なんで、と呟けば鳴さんはそりゃそうだろと言った。
「アイツが求めたチームはここにはないんだからな」
鳴さんはそう言って自嘲するように笑った。
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