長い長いミーティングをした青道ベンチ。
きっと、御幸さんの怪我が露見でもしたのだろう。
まぁ、そんなことは正直どうでもいい。
問題は今、沢村がチェンジアップを投げたことだ。

「…気に入らねェ」

そう小さく隣で成宮さんが呟いた。
確かに、気に入らない。

成長しすぎだろ、アイツ。
本当にエースを奪いに行く気か?

悪い球ではなかったが、薬師に一点を奪われ5回を終えて4-3で薬師の1点リード。
6回は両校0点で、迎えた7回の裏。
バッターボックスに入った轟は先程の急造の投手だ。

「ここで避けなきゃいけないのは一発…ホームランですね」
「前の打席ではストレートを初球打ち。こいつはまだチェンジアップを見ていない。お前ならサイン出せるか?」

成宮さんはそう言って、多田野を見た。

チェンジアップは左打者にはあまり投げない。
内側に入ってくる危険な球になるからだ。
まぁ、うちのチームじゃ容赦なくそういうリードをしてくるけど。

「しょ…初球から…」
「しかもインコース膝元…初球アウトロー真っ直ぐのお前とは真逆のリードだな」

1球目からチェンジアップか。
轟という打者はギリギリまでボールを引きつけて打つ打者のようだし、甘いコースは簡単に持っていかれる。
それでも御幸さんははチェンジアップを要求し、沢村もそれに応えた。

2球目も続けてチェンジアップ。

「打者の打ち気を逸らすかのように…完全にスイングを崩しましたね」

赤松の言葉に多田野がコクリと頷いた。
一歩間違えれば点差が広がる状況で、あの強気なリード。

「俺でも一瞬固まるほどの強気なリード…」
「え?」
「アイツらバッテリーには迷いがねぇ」

成宮さんの言葉に多田野は口を閉ざし、マウンドを真っ直ぐと見つめた。

信頼しているんだろう、沢村は御幸さんを。
そして、御幸さんも同様に彼を信頼している。

最後は外にストレート。
三球三振で轟はアウトになった。
これで、ツーアウト。
続く打者もぴしゃりと三振に打ち取り8回の攻撃を迎える。

「どう思う、玖城」
「どうとは?」
「あのリードだよ」

成宮さんの問いかけに俺は首を傾げた。

「いいんじゃないですか?良いリードだと思いますよ」
「下手すりゃ、追加点が入るのにか?」
「それは慎重にいったとしても、同じことですよ。大事なのは捕手のリードに迷いがなく、投手がそのリードに迷いなく従えること。俺の思う良いリードってそういうのです」

彼の方を見ればどこか複雑そうな顔をしていた。

「慎重か、強気か…そういうのはどちらでもいいと思いますよ」
「じゃあ、首は振るなってことか?」
「それは違いますけど。なんていうんですかね、首を振る必要がない…て、いうのが良いと思います。捕手の打ち取るビジョンが投手にも見えてる。そういう状態が理想なんじゃないですか?」

なるほどな、と彼は頷いた。

「あの2人にはそれがあった、と?」
「本当にあったかどうかはわからないですよ。けど、俺にはそう見えたってだけです」

8回も両校無得点のまま、迎えた9回。
1点を追いつかなければ青道の負けが決まる。

1番打者は倉持さんで、普段右打席に立つ彼は左打席に入った。

「何が何でも塁に出る、てことか…」
「それが、1番の仕事ですからね…」

内野陣の守備位置を見て、眉を寄せる。

「内野安打、封じて来たな」
「そうですね、」

強い当たりだったが、セカンド正面。
次の打者は1年の東条。
見るのはこれが初めてだが…

「あの2人…裏の守備に備えて準備を…」

ブルペンに出てきたのは沢村と降谷。
点を取ってくれると、信じているんだ。
ブルペンもベンチも…

だがその信頼とは裏腹に、2番の東条もアウトで3番に出てきたのは小湊春市。
憶えている、彼のことは。
忘れることはないだろう。

彼は初球のシュートを完璧にとらえ、センター前へ。
凄まじい歓声が球場を揺らした。

「次は、一也か…」
「代えなかったですね」
「代えるわけにはいかねぇだろ…」

御幸さんに対する初球、小湊は何の躊躇いもなく走り出した。
2塁に彼が進み得点圏に同点のランナー。

「ここで打たなきゃ、主将じゃねぇぞ…一也」

小さく呟いた成宮さんに俺は少しだけ、笑った。
散々文句を言いながらも、応援するんだな…

土壇場での逆転を願う人々が声を枯らす勢いで、歓声を送る。
御幸さんは内野安打で走者は1、3塁。
2アウトという崖っぷちな状況に変わりはないが、希望は見えてきた。

5番の1球目、また躊躇いもなく御幸さんが2塁へ走った。
怪我の影響か動きはどこかぎこちなさが残るが、それでも走者は2。3塁へ。

「満塁策、あるか?」
「ないでしょうね。走者をこれ以上増やすのは命とりですし…塁を埋めた次の打者も上手いですから」
「まぁ…そうだよな」

次のボールも空振り。
2アウトに加え2ストライク。
あと、アウト1つ。
あと、ストライク1つ。
それで、終わる。

ファールで粘り、続く6球目。
アウトコースのボールをバットの先で捉え、ボールはセカンドの頭上を越える。
小湊はホームへ帰り、同点。
そして…御幸さんも3塁を蹴った。

一瞬の静寂の中、セーフの声が球場に響き渡る。
球場がドッと沸いた。

「これで…逆転かよ」

次の打者はアウトで、9回の裏へ。
流れた放送は選手の交代を告げた。

沢村は、ここまでか…

マウンドに上がったのはエース番号を背負った男。

「きましたね」

多田野がそう成宮さんに声をかける。
成宮さんはじっと、彼を見つめていた。

マウンドに上がったエース、降谷に御幸さんは駆け寄り何か言葉を交わす。
こんな場面で、彼は笑っていた。

彼は三者三振に抑えて、ベンチから青道の選手たちが飛び出してきた。
それを見て、隣に立つ成宮さんが笑った。

その笑顔は嬉しそうだったけど、どこか悔しそうにも見えて。
俺は静かに彼から目を逸らした。

「さー帰るよ」

成宮さんの声にみんなが動き始める。
彼の声をしっかりと耳で拾い上げながらも、俺はじっとグラウンドを見つめていた。

「おい、玖城。お前も帰るぞ」

最後まで出てこなかったエースと試合を作り上げた中継ぎ。

「そのままでいいのかよ、お前…」

最後1回、投げたかったんじゃないのか?
投げ続けたかったんじゃないのか?
そんな奴に、お前は…エース番号背負わせておいていいのか?

声高々と宣言してただろ、エースになるって。
あの時は真面目に聞いてなかったけど、今なら真面目に聞いてやる。

「玖城!!」
「はい、」
「帰るよ!」

わかりました、と成宮さんに言葉を返し鞄を担ぐ。

「…さっさと奪って来いよ、」

エース番号背負ったお前と、俺は戦いたい。
次は負けないけど。

赤松はまた稲実で、と挨拶をして帰っていき俺達も帰路に着こうとした。
だが、ふと鞄の中にあるものを思い出して足を止める。

成宮さんはファンの女の子と写真を撮っており、多田野もそれの手伝いをさせられていて声をかけられる状況ではない。

「なに、突っ立ってんの?玖城」
「白河さん…すいません、自分ちょっと用事があるので先に帰ってて貰えますか?」
「は?」

それじゃあ、お願いしますと頭を下げて俺は別の出口へと急いだ。

球場の外。
監督の胴上げをしている青道の選手を見つけ、足を止める。

「倉持さんは……」

あれ、いない?

「玖城君」
「あ、夏川さん。おめでとうございます」
「え?あ、ありがとう」

彼女はそう言って微笑んだ。

「倉持のこと、探してた?」
「あ、はい」
「ごめんね。御幸の付き添いで病院に行っちゃって…。何か伝えておこうか?」

御幸さんの付き添いで…
やっぱり、優しい人だな倉持さんって。

「そう、ですか。すいません、じゃあお願いしてもいいですか?」
「うん、いいよ」
「これを、渡しておいてもらえますか」

鞄から出した紙袋に彼女は目を瞬かせた。

「これを?」
「はい、お願いします。倉持さんのときもそうですけど、間に入ってもらっちゃってすいません」
「全然大丈夫だよ。渡しておくね」

ありがとうございます、と小さく頭を下げた。

「甲子園、頑張ってください」
「ありがとう。けど、頑張るのは選手で私は別に何も…」
「…そんなことないですよ」

え?と目を瞬かせた彼女に俺は微笑んだ。

「選手達の夢を一緒に信じてくれる人ってとても、大切です。どんな夢だって、信じてくれる人がいるだけで頑張れるものですよ。…俺は、そうでした。だからきっと、青道の人達もそうだと思います」
「…そう、かな…」
「はい、きっと。今すぐにわからなくてもいつかきっと、そういう感情は形になって言葉になって、届くと思います」

生意気に話してすみません、と言って頭を下げた。

「それじゃあ、失礼します」
「え?あ…うん、またね、ありがとう、玖城君」
「いえ。では、また」

会釈をして、彼女に背を向けて歩き出す。
稲実の集団には合流は難しいだろうな、と思っていれば丁度横から出てきた人の姿に足を止めた。

「あ、お前…稲実のっ!!」
「沢村、と…小湊か」

降谷はスタスタと通り過ぎて、集団に交ざっていく。

「な、なんだ!?スパイか!!?今度こそスパイか!?」
「…背番号18。不本意な数字だよな」
「え?」

俺の言葉に沢村は目を丸くした。

「4回のピンチから登板して、8回まで。今回の試合、間違いなくお前が流れを作った」
「だ、だったらなんだよ」
「なのに9回。エース番号背負った奴にマウンドを奪われた。勝った瞬間を、お前はマウンドで迎えられなかった」

彼と目を合わせれば、彼の肩が僅かに震えた。

「あれだけの投球をしたのに…悔しくなかったか?9回の交代の放送。本当は、投げたかったんじゃないのか?」
「…何が言いたいんだよ、お前」
「投げてもよかったと、俺は思うけど。あのままお前が投げ続けても…よかったんじゃねェかなぁって」

え?と目を瞬かせた彼に俺は首を傾げた。

「変なこと言ったか?」
「い、いや…」
「エースになったお前を打ち崩して、俺が証明してあげるから」

エースは成宮鳴、ただ一人だと。

俺の言葉に沢村は笑った。

「負けねェよ。お前にも、成宮にも」
「…楽しみにしてる。けど、まずその不本意な背番号から8を消して来いよ」
「言われなくても俺はエースになる男!!沢村栄純だ、憶えとけ!!」

こちらを指差してそう、宣言した彼に俺は笑った。

「稲実の玖城颯音。悪いけど、負けてやる気はない。沢村にも、お前にもね」
「え…?」
「小湊春市。…同じ土俵で戦うことになるから、よろしく」

彼の目は髪に隠れていて表情はわからない。

「同じ土俵って…」
「じゃあ、小湊さんにもよろしく伝えておいて」
「え?あ、うん」

それじゃあまた、と彼らに背を向け俺は歩き出した。



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