3.明智城への道程
長良川の戦いで、利三は行詠を強引に連れ出した。

元々、戦いに私情を交えるつもりなど利三には毛頭なかった。主家の為になるのならば、それでいい。誰が相手だろうと槍を振るうだけだ。しかし、行詠に対してはまた違う感情を抱いていた。

彼女は義龍に付いている。それは本当に彼女の意思なのか、義龍が命じたままに動いているだけなのか。どちらでも良かった。本気で彼女が義龍の為に戦うのならば、致し方なし。しかし、そうでなければ……利三は、初めから行詠を引き入れようと思っていた。否、義龍から引き剥がそうと目論んでいた。

光秀の命令を最優先するべきであるとは分かっている。だから、彼女の考えが分からないうちは何もできない。それに、光秀が行詠に立ち向かえというのならばそこに利三の意思を持ち込むことはできない。

だが利三は、道三から何気なく伝えられた言葉を忘れることができないでいた。行詠を引き入れたいのはその為でもある。

それは、道三の生前にまで時は遡る。

利三はよく行詠の鍛錬に付き合っていた。その為、自然と彼女の性格を知ることができたほか、身の回りの行いをよく目にすることが多かった。当主の娘らしく、いずれ他家に嫁いでも妻として振る舞えるだけの教養、そして武芸の腕がある。それでいて、父の為に純粋に尽くす、策謀などとは無縁で健気な娘だと思った。

そんな折、道三から利三にある話があった。

行詠を利三の元に嫁がせたいという話だ。道三は自らの娘を親として大切にしている反面、その娘を乱世を切り裂くための道具として見ている節がある。道三に限らず、女は家と家を繋ぐためのものでしかない。

だから、利三は彼の話を真に受けることができなかった。道三ならば、行詠を明智に仕える男ではなく、もっと大きな家の人間ややがて勢力を伸ばすだろうと思われる人間に嫁がせる方が自然だからだ。利三がそのように考えていることを見通したのか、彼は言った。つまらぬ話をした、忘れてくれと。行詠が市井を生きる平凡な女であれば、利三のような男と結ばれるのが幸せではないのかと思っただけだと。

信じられる話ではなかった。なぜ自分と結ばれることが、彼女の幸せとなるのかも分からなかった。しかし彼はどこかで、行詠を利三に嫁がせようと本当に思っていたのかもしれない。冗談を言っているようには見えなかった。それきりでその話は終いとなったが、利三はあの時の蝮の言葉と表情を忘れられなかった。あくどい蝮ではなく、末娘の将来を案じる一人の父親でしかなかった。主命であれば利三が縁談を断る理由などない。むしろ喜んで受け入れよう。ならば自らの意思は? 彼女の夫として、胸を張って生きることはできるのだろうか?

行詠は純心な娘だ。好きでもない男と結ばれる、そんな姿は確かに似合わない。もし自分と本当に結ばれるのならば……不確実な未来を想像しかけた。行詠の考えも分からぬうちに夢想するものではあるまい。第一、自分は誰かの夫となる以前に光秀の家臣である。それは家族が増えたからと言って変わってしまうものではない。嫁を娶ったとして、大切にできるかどうか確証が持てなかった。光秀のことを第一に考えることこそは、利三の生き方そのものだからだ。

だがあのような話をした道三は世を去り、義龍に与する行詠と光秀と行動を共にする利三は敵対している。義龍は道三を殺めただけでなく、それ以前に利三を信長襲撃に加担させた。利三にとってそれは主君、光秀に泥を塗るような行いであり、許し難いという一言では済まされない。いくら彼が妹には家族思いの一面を見せていたといっても、そのような男の元に行詠を置いておくのは道三の想いを裏切るような気がしてならなかった。

果たして行詠を大切にできるか……ということを軸に彼女を引き入れるのを考えるのではなく、引き入れてから彼女との接し方を考えるべきなのだと思った。道三が言ったように、彼女が市井を生きる人間ならば……同じように暮らす一人の凡夫を愛するかもしれない。現実を生きる彼女がそう選択するのであれば、利三はそのように計らいたいと思った。その愛する相手が自分だとすれば……それを想定するのは時期尚早だ。

長良川。行詠は斥候によると、対織田軍の前線にいるという。利三は迫る義龍の軍勢を退け、穿ち、ついに行詠と相対した。

どうしても、彼女の元に行かねばならなかった。光秀も行詠のことを憂いている。道三からされた話はあくまで仮定の話であり、光秀に関係があるものではないから詳しくは話をすることもなかった。それでも主君も行詠がこちらに来る気があるのならば歓迎の姿勢を表そうということだったから、利三は安堵して向かった。

行詠は、利三から見ても戦意を喪失しているように見えた。利三は彼女に槍を向けたが、やはり槍を向けることができる相手ではないと思ってしまった。

共に戦場で戦った時の行詠とは、様子がまるで異なる。彼女は明らかに恐怖に押しつぶされそうな表情をしていた。それを見ていると道三の言葉が強く思い出されると同時に、この方はここに縛られるようなお人ではないのだとの思いが利三を支配した。

かくして、利三は行詠を連れ去った。これは誰の命令でもない。彼自身の、彼だけが責任を負う行為。そう思っていたこともあり、行詠が馬上で利三に言った言葉は利三にとって大きな救いとなった。

だが、これで終わりではない。道三の言葉に従うのならば行詠に婚儀を持ちかけることも悪行ではない。しかし、そのような行動をとる余裕はない。彼女がいる、いないことに関わらず、義龍は敵対の意志を示した明智に兵を差し向けてくるだろう。

「利三が来てくれなかったら、私はあのまま兄上に従っていたでしょう。今までだったらそれで良かったのかもしれないけれど、私はもう……父上の為に戦うことはない。それ以上のことを考えることなんて、今まではなかった。その先を考えることができたのはあなたのおかげだわ」

「……では、兄君と刃を交える覚悟も」

「あなたとも敵対したのだから、そんなこと……今更考えるまでもないわ。兄は……私には優しい人だった。けれども父上のことは許せるはずがない。兄上の元にいると、私は父上のことを冒涜してしまう気がする。それに、利三ともう一度戦うなんて私にはできない」

「あなたを奪い去ったこと……それは、殿の命ではなくそれがしの意志。本来ならばあなたに恨まれても仕方のないこと。それがしは誰であろうと災いと化すなら穿つつもりで、姫様に……しかし、あなたを討つことは、きっとできなかったがゆえ……姫様のその言葉を聞くことができて、嬉しく思いまする」

「あなただけじゃなくて光秀にも顔を見せることができて、本当に嬉しかったわ。私、頑張らないと……」

義龍の手勢に対抗するための準備を整える時間は僅かしかない。利三は、行詠を半ば強引に引き入れてきたことを光秀に詫びと共に報告した。光秀は彼女が兄と敵対することに一抹の心残りがあったものの、先の言葉通り彼女を歓迎した。行詠が心強い仲間であるということを、埋伏の毒であるとは到底考えられないことを光秀はよく知っている。拒む理由もなかった。さらに利三の独断であるこの行為を咎めるようなことは何も言わず、利三らしい判断だということだけを言った。光秀を殿として信じてきて正解だと利三は改めて思った。

「ご無理はなされるな。姫様に何かあれば、それがしはあなたを迎え入れたという自身の決断を後悔いたしますゆえ」

それに、行詠に何かがあったとしたら。今はもういない道三に顔向けできるはずがない。腹を切って道三に再会したとしても、何と詫びればいいのかすら思い浮かべることかできないだろう。

「分かってる。あなたは光秀のことを第一に考えていて。私のことは、私が一番知っている。自分のことを守れないならば、私はここに来た意味がないわ」

開戦の時は近い。

やがて、明智軍の兵は義龍が攻め寄せてきたことを知らせにやってきた。想像よりもそれは早く、城の蓄えも少ないため劣勢となることは必至である。

利三に課せられた使命は、主の居城であるこの明智城を死守すること。行詠や光秀らと共に出陣の支度を整えた。光秀が、そして行詠が無事であることを祈るばかりだった。

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