慟哭と心の闇

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 アポイナ村で花嫁候補を送り出すうたげもよおされた、翌日の朝。
 仲間の使者より早く馬の準備をしていたときに、シーナを慕う子供達を思い出す。
 昨夜の宴でシーナのことを話すと、かなり泣かれてしまった。
 それでも三人は……。

「魔女さまを、おねがいします!」

 シーナが村でつらい思いをするより、シーナの幸せを願ってくれた。
 あそこまで慕っている子供達がいたからこそ、シーナは頑張れたのだろう。

 それを思い出しながらシーナの家へ向かうと、歌声が聞こえた。
 美しい音程で、滑らかに奏でられる、不思議な詩。
 この声の主はシーナだ。
 不思議な歌に聞き惚れ、心が癒されながら、シーナと合流して村から出た。

 馬の揺れに慣れた頃、シーナに花嫁候補の存在を教えた。そして、政府の思惑も。
 すると、彼女は理不尽だと自分事のように怒った。

「恋とか愛は、本人がその人に出会って、その人の心に触れないと芽生えないものだよ」

 まだ十五歳だというのに大人な考え方をする。彼女は子供ではなく、立派な女性なのだと認識させられた。
 そして、同情ではない言葉が次々と出てきた。怒りも、竜帝を思ってのこと。
 一般の人間は、誰もが花嫁候補を選ぶことに違和感を持たずにいるのに……。

「――ありがとう……」

 嬉しかった。ここまで親身になって怒ってくれる者はいなかったから。
 自然と感謝の言葉がこぼれてしまったが、シーナの耳に届かなかったようで安堵あんどした。


 他愛ない会話を続けるうちに、夕方近くに町に到着した。
 初めて見る町に目を輝かせて辺りを見渡すシーナ。
 無邪気な様子は可愛らしくて癒される。途中で何か思いつめたような顔をしたが、深く追求せず床屋に預けた。
 本当はもっと頼って欲しいのだが……まだ出会って三日目だ。焦らずにいこう。

 宿に馬を預けて床屋へ戻ると、シーナはとても美しい少女に変わっていた。
 毛先を綺麗に揃えた黒髪は明かりで光沢感を帯びるほど美しく、前髪を断髪したおかげで顔がはっきり見える。

 先程までとは別人かと思うほどの様変わりに驚いてしまったが、シーナは自分の容姿に自覚がないのか謙遜けんそんした。
 彼女も花嫁候補に選ばれても不思議ではないが、自由を願うシーナは望まないだろう。

 ……そう思った途端、胸の奥が苦しくなった。

 妙な息苦しさを振り切って、シーナの服と靴を買い揃える。途中で別れてコートをプレゼントすると恐縮きょうしゅくされ、プレゼントを贈り返すと宣言された。
 楽しそうなシーナに、俺も楽しくなったのは秘密だ。


 宿屋へ行けば、既に花嫁候補の使者達が集まっていた。
 麦酒ビールとともに夕飯を食べているが、どうも空気が悪い。
 耳を傾けると、使節団のリーダーであるティモシーが、アポイナ村の花嫁候補の侍女・ソフィーに、アポイナ村でうんざりした愚痴をこぼしていた。

 無理もない。あれは誰かに聴いてもらわなければ心が病みそうになるくらい酷かった。
 とはいえ、ティモシーは宮廷に仕える騎士。守秘義務のため、言える範囲は少ない。
 公私混同せず、しっかり職務を全うするティモシーだからこそ、俺はとても気に入っているし、仲良くしたいと思うのだ。

 ちょうどティモシーが俺達に気付いてこちらに向くと、馬鹿みたいに口を開けて固まった。もう二人の騎士と、ソフィーも同じ反応だった。
 無理もない。初対面とまったく違う姿になったシーナは、はっきり言ってあの花嫁候補の少女より綺麗なのだから。
 外見で評価するなら、あの花嫁候補は蜜の妖精で、シーナは夜の女神と言い表せた。

 唖然、呆然とする男達と比べ、ソフィーはすぐにシーナと打ち解けた。
 女性同士なら気兼ねなくいられるはずだから、きっとこの先は大丈夫だろう。

「そういえば、貴女のお友達が部屋で待っているの」

 そう思った矢先に、不穏なものを感じた。

 アポイナ村にシーナの居場所はない。友達だって、あの子供達以外にいないはずだ。
 花嫁候補はアポイナ村の村長の一人娘。
 村長はシーナを快く思っていない。むしろみ嫌っている筆頭だ。そんな彼の娘がシーナと友達だなんて考えられない。
 何故、シーナと友達だと言うのか。
 違和感を持つが、シーナはソフィーに連れられて、三階の部屋へ向かった。

「アレン、どうした? そんな怖い顔をして」

 酒をあおったティモシーが不思議そうな顔を向ける。
 彼に言われて、俺は険しい顔を無意識に作っていたのだと自覚した。

「……おかしいと思わないか?」

 ぽつりと呟き、感じたことをティモシーに告げた。

「アポイナ村のほとんどがシーナを迫害しているのに、村長の娘が友人を名乗るのか?」
「……言われてみると……そうだな」

 俺の違和感が理解できたティモシーはおとがいに手を当てる。
 他の二人は理解に至らないようだから、もう少し噛み砕いて説明する。

「シーナは同世代の子供から大人まで、『魔女』と呼ばれて迫害されてきた。迫害する筆頭が村長なのに、その娘が友人になれると思うか?」

 酒が入っているせいで少し遅かったが、二人も神妙な面持ちに変わる。

「なぁに? このむさい空気」

 戻ってきたソフィーが顔をしかめて遠慮なく言う。
 ちょうどいいところで戻ってきてくれた。

「ソフィー。あの花嫁候補は、シーナの何を言っていた?」
「スザンヌ様? 手のかかる妹のような子だって言っていたわよ。よく虐められているから、助けてあげたのだとか……」

 ……やはりな。あの花嫁候補も、所詮は俗物ぞくぶつだ。
 醜い本性を虚像で隠している、虚構ばかりの小娘。

 ソフィーの話に、ティモシーでさえも違和感に気付いて顔をしかめる。
 俺達が表情を険しくする理由を知らないソフィーに、アポイナ村での事情を説明した。すると、ソフィーは戸惑いから目を瞠る。

「スザンヌ様が嘘を吐いてると言うの?」
「明らかに嘘だろう。そうでなければ…………シーナ?」

 不意に、視界の端に綺麗な漆黒が映る。
 階段から下りてきたシーナの足取りは不確かで、顔色も悪い。
 シーナは俺達の視線に気付くことなく、ふらふらと外へ出て行ってしまった。

「……ティモシー、少し席を外す」
「ああ」

 シーナは初めて町に来たんだ。夜の街の怖さを知らないはずだ。
 帝国は治安がいいけれど、どこにでも例外がある。
 早い話、人を襲う無法者や、人身売買を犯す人攫いも少なからずいるのだ。

 シーナは類稀たぐいまれなる魔法の才能があるから平気だと思うが、世の中は簡単ではない。

「……いた」

 店から出て辺りを見回すと、シーナの後ろ姿が宿屋の裏へ向かっているところを見つける。
 後を追って陰から様子をうかがうと、シーナは壁に背中を預けて座り込んでしまった。
 立てた膝を抱えて俯く姿は、苦しくなるほど痛々しくて見ていられない。

 傍に行こうとしたが、その前に精霊の気配を感じた。それも、上位精霊の気配。
 人の営みが顕著けんちょな街中で、高尚こうしょうな精霊が現れるなんてありえない。
 ありえるとすれば、シーナが関係している。

 その予感は的中した。現れた精霊は、この世界で唯一と崇められるマカリオス神の分身体とも言われる、世界最古の精霊王だった。
 精霊と契約しているとシーナは言っていたが、まさか精霊王だとは予測できるわけがない。

 ふと、精霊王はチラッと俺に目を向ける。
 どうやら俺の存在も筒抜けのようだ。
 緊張したが、精霊王は俺から視線を外し、シーナの前に片膝をついて話しかけた。

 精霊の声は、かけられている本人でなければ聞き取れない。人間は言わずもがな、あらゆる気配に敏感な獣人であっても、目視できても声までは聞き取れない者がほとんど。
 ごく普通に見聞きできるのは、エルフやドワーフといった魔法能力が高い種族ばかり。ただし、精霊を視認するよう意識しなければならない――という条件がある。
 一方で、あまねく精霊が大精霊へ至っても、精霊王はマカリオス神から産み落とされた原初の精霊。全ての精霊の親である精霊王に認められなければ、その姿を眼に映せない。
 今回は精霊王が気を利かせてくれているのだと理解した。

 精霊王に話しかけられたシーナは深呼吸を繰り返して、心を落ち着かせると謝罪した。
 精霊王も謝るとシーナは小さく苦笑して、くしゃくしゃと精霊王の頭を撫でる。
 高尚な存在相手に気安い態度は、普通ならありえない。それだけ仲がいいのだろう。
 自分は大丈夫だとシーナが言う。しかし、精霊王は間髪入かんぱついれずに嘘だと見抜いた。

『大丈夫じゃない。娼婦とか、薄汚れた魔女とか、あんな暴言を言われて平気なわけがない』

 ……は? あの花嫁候補が……そんなことを言ったのか?

 衝撃を受けていると、精霊王はシーナの頬に触れて切望するように願う。
 頼ってほしいと、苦しそうに言ったのだ。
 シーナは唇を引き結び、次第に異色の双眸そうぼうから大粒の涙をこぼす。

「……苦しいよ。こんな感情、持ちたくないのに……!」

 耳を澄ませて聞き取れば、シーナの呼吸が安定していない。

「こんな私……いっ、嫌だ……! 気持ち悪いよ……!」

 頭を抱えて、血を吐くような思いを込めた声を上げた。

「憎しみなんて、持ちたくないのに……!!」

 悲痛な慟哭どうこくに、衝撃とともに心臓が痛いほど鳴り響いた。

「怖いよ……! 私が……私じゃなくなりそうで……! こんな私、もうっ……!」
『シーナ……!』

 精霊王が切羽詰まって呼びかけると、シーナは両手で口を塞いで、吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。

 この先、何を言うつもりだったのか。
 知りたいような、知りたくないような……そんな恐ろしさを感じてしまった。

「コスモ。私が憎しみで人を傷つけそうになったら、私を止めて」

 微かに震えているが、強いしんのある声。

「もし止まらなかったら、その時は――――私をコワシテ」

 息が止まるほど瞠目どうもくする。

 精霊王に自らの破壊を頼むとは、どういう意味なのか知っているのだろうか。
 唯一神と同じ権限を持つ精霊王の力は絶大だ。
 彼にそれを願うということは、自身の全てを消し去ることと同義。
 死より惨い末路を望むほど己を戒めるとは、シーナの『闇』はどこまで深いのか。

「……ごめん。今の、忘れて……」

 固まってしまった精霊王に謝ったシーナは、壁に手をついて立ち上がる。
 こぼれ落ちた涙を拭うと、精霊王はその手を掴んで手の甲に唇を落とす。

 その行為に、胸の奥がざわつく。

『――我が名の下に、我は誓おう』

 精霊王が告げた途端、ドクンと大気が震える。

『我、精霊王コスモは、契約者シーナの願いを尊重し、暴走を止めよう。そして止まらなければ――その存在を破壊する。我が名に懸けて、契約者シーナの心を救うと、ここに誓う』

 精霊王の誓いは、どの精霊よりも頑強で、どの精霊よりも厳しい戒め。
 精霊王自身が契約者を破壊するなんて、前代未聞の事例だ。
 たとえ罪を被ろうとも、それだけシーナの心を救いたいのか。

『君の初めての願いは必ず守る。約束する』
「……ありがとう」

 初めての願い。それを聞いて、どれほどアポイナ村の仕打ちに耐え忍んできたのか伝わる。
 不器用な微笑みで感謝の気持ちを伝えたシーナは、どんな思いで願ったのか。

 俺では……彼女を救えないのか?

 初めて感じる無力感に、得も言われぬ感情が込み上げてきた。



 
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