不可解な感情
帝都への道中で収穫祭が執り行われた。
帝都では、大陸に豊穣を齎す神と竜神への感謝を捧げる祭事が根強い。
城下町では、各地域から農作物の宣伝へ訪れる商人で賑わう。
地方では、地元の農作物の宣伝や、豊穣の無事を祝う宴会が催される。
帝都に近い現在地では、祭事の面が強く出ている。
祭りを経験したことがないシーナにはいい機会だ。
ソフィーによってめかし込んでいるが、どんな変身を遂げるのか楽しみだ。
「――アレン殿、探しましたぞ……!」
……都合が悪い時に、帝都からの使者が俺を見つけた。
ティモシー達に知られるわけにはいかないから、そそくさと宿の外へ出る。
「息抜きとはいえ、
「すまない。だが、今は簡単に片付く状況ではない」
「……どういうことですか?」
怪訝な顔をする彼に、俺はシーナの存在を
アポイナ村で『精霊の愛し子』が
『精霊の愛し子』は、一般教養を受けるなら必ず教えられる常識だ。使者として俺を呼び戻しに来た男も、その危険性を理解している。
青ざめた様子の彼に、さて、どうしたものか……と悩む。
「アレン!」
その時、シーナが俺の名前を呼んだ。
宿屋から離れた俺を、わざわざ探しに来たようだ。
せっかくだから紹介しようと思い、振り返った瞬間――呼吸が、止まった。
「どうしたの?」
「……あ、いや、その……綺麗だ。似合ってる」
今のシーナは、一人で出歩かせるには心配になるほど美しさに磨きがかかっていた。
スカート部分に瑠璃唐草が刺繍され、フワリと裾が緩やかに広がる白地のワンピース。丁寧に編まれたベージュのカーディガンと組み合わせると、清楚で上品な印象が強まる。
鎖骨辺りで整えた横髪を残し、耳の後ろの髪を三つ編みに結わえ、水色のリボンで後頭部に結わえた姿は、気品のある深窓の令嬢にも見える。
もっと「綺麗」以外の言葉があるはずだろうが、込み上げる感情に言葉が詰まる。
すると、シーナは淡い薔薇色へ頬を染め、キュッと口を引き結ぶ。
戸惑っている様子だが、ふにゃり、と気恥ずかしげにはにかんだ。
「ありがとう」
飾り気のない俺の言葉に、心の底から喜んでいるようだった。
途端、ギュンッと胸を締め付けられた。
一瞬、呼吸困難に陥るほどの衝撃に、心臓がうるさいほど高鳴る。
何なんだ、これは。俺は一体、どうしたというのだ……?
「ところで、その人は?」
「あ、あぁ……城に仕えている知り合いだ」
使者の正体をぼかすと、シーナは深く追求しなかった。
代わりに使者が宮仕えだと知り、彼に向って自己紹介した。
「えっと、はじめまして。シーナと申します。アレンの勧誘を受けて、宮廷魔導師見習いになることになりました。よろしくお願いします」
ソフィーに習ったのか、平民にしては美しいお辞儀だ。
丁寧な挨拶を受けた使者は、衝撃を受けた顔で絶句してしまった。
目の前にいる穏やかそうな少女が、『精霊の愛し子』だと知ったからだろうか。
「アレンに何かありましたか?」
「……その、だな。とても大切な仕事の時に留守だったのだ。連れ戻すよう、上に命令されているんだが……」
確かに、俺は祭事に出席しなければならない立場にある。
だが、シーナには精霊王がいる。精霊王を通して、祭事を果たしてもいいはずだ。
それ以前に、アポイナ村の花嫁候補から守らなければならない。
シーナの側を離れられない理由はたくさんあるが、それで納得できるかどうか……。
「あの……すみません。私のせいなんです」
どう説得しようかと悩んでいると、シーナが先に謝罪していた。
使者は意外に思ったのか、「君の?」と尋ね返す。
すると、シーナは迷いなく「はい」と肯定した。
「世間知らずの私にいろんなことを教えてくれて……。いつも親切にしてくれて、いつの間にか頼ってしまって……」
次第に重苦しそうな声に変わる。
そこに罪悪感があるのだと感じられる声だった。
「私が彼を引き留めてしまったんです。……本当にすみませんでした」
罪悪感を覚える必要は無いのに、シーナは沈痛な面持ちで頭を下げた。
……俺のせいで、シーナを苦しめてしまった。
自分の不甲斐なさに、どうしようもなく腹が立つ。
「……そう、か。なら、仕方ない」
目の前が真っ赤になりかけたその時、微かな
隣を見れば、使者は吹っ切れた表情に変わっていた。
「アレン殿、こちらのことはお任せください」
「……いいのか?」
「真摯な彼女に免じて何とかしましょう。では、早いお戻りをお待ちしております」
彼女が『精霊の愛し子』でようございました。――去り際に、そんな呟きを残していった。
シーナが危険人物ではないと判断したのだろうか。だが、あの意味深な笑みは……?
「アレン、ごめんなさい」
不意に、シーナの意気消沈とした声に、心臓が嫌な音を立てる。
驚いて見下ろすと、シーナは暗い表情で俯いていた。
「どうした?」
「……私、アレンに頼ってばかりで、迷惑かけちゃったから…………ごめんなさい」
シーナの声に湿っぽさが滲む。
とても落ち込んでいる姿は心に刺さるが、それ以上に胸が熱くなった。
「シーナは一度も迷惑なんてかけてない」
「そんなこと……っ」
そっとシーナの頭を撫でて否定するが、使者からの言葉に責任を感じているようだ。
律儀で、義理堅くて、心優しい彼女の真面目さに、フッと笑みがこぼれた。
「嬉しいよ。シーナが俺を頼ってくれていたなんて」
まだ俺を信頼していない、頼ってくれないのだと思っていたのに、シーナは俺を頼ってくれていたのだ。
「いつも遠慮ばかりだったから、信頼されていないのかと不安だったんだ」
俺の言葉に、シーナは茫然と俺を見上げる。
俺は美しい異色の双眸に溜まった涙を、親指で優しく
困惑している表情が可愛くて、俺は笑みがこぼれた。
「次は甘えられるようになってくれ」
「……お人好しすぎるよ」
冷たかった頬に体温が戻る。
手のひらに仄かな熱を感じて安堵していると、シーナは
「ありがとう」
――それは、込み上げる喜びと切なさが入り混じった、温かな笑顔だった。
胸の奥が苦しいほど締めつけられるが、不思議と不快に感じない。むしろ、
「さあ、行こう」
「うん」
今までにない不思議な心地に浸りながら、俺はシーナを連れて祭りへ繰り出した。
宿屋の食事を注文しなくてよかった。そう思うくらい食事系の屋台が多い。
シーナの興味を惹く屋台料理に立ち寄り、一緒に食べたシーナは瞳を輝かせた。
すごく美味しいと絶賛するシーナの笑顔は可愛らしくて、見ている側の心を癒す。
……それだけなら良かったが、目にした異性同性の視線を掻っ攫う。
大抵なら「黒持ち」と恐れられるのに、それが
シーナは気付いていないが、独身の男どもの視線が集中している。
……何故だろう。苛立ちが込み上げるほど、無性に腹が立つ。
気分転換に遊戯系の屋台にも参加すると、シーナは的当て系で高得点を叩き出す。
初めてにしては筋がいいのは、アポイナ村で魔物を討伐していたからだろう。
俺も挑戦すると、シーナより多くの点数を獲得した。
「すごぉい! アレン、すごく上手……! 最高点に何度も入れるなんて……!」
輪投げは予想外にも跳ねるのだと初めて知った。
跳ねる反動を利用して最高点へ輪をかけたのだが、何度か隣に掛かった。
それでもシーナの高得点に勝つと、惜しみなく褒められた。
純粋な称賛は滅多にないから、無性に
それから屋台料理を少し食べて、焚火を囲んで踊る人々の輪に、シーナを誘った。
初めての踊りは不安そうだったが、次第に楽しくなったのか笑顔を見せてくれた。
「アレン、本当にありがとう。こんなに楽しいの、生まれて初めて」
シーナにとって何気ない言葉だが、そこに隠された重みに気付く。
天涯孤独な身の上に加え、アポイナ村の過酷な暮らしはシーナを何度も苦しめた。
年下の子供達に遊びを提供することはあっても、充足感のある楽しさとは程遠かったのだろう。元より
もっとも、あの村人はシーナを徹底的に迫害していたから、催したとしてもシーナの参加は認めなかったはずだ。
「……それはよかった。他にもいろんな祭りがあるから、それも楽しもうな」
アポイナ村から解放された今、シーナは自由だ。
自由に参加し、好きなように祭りを楽しむ権利がある。
……その隣に、俺がいられたらいいのに。
「アレン。また一緒に、お祭りを楽しめたらいいね」
ハッと、俺はシーナの言葉に隠された想いに気付く。
希望的観測と感じる言葉の裏には、帝都からの使者の言葉を意識していると。
シーナは彼の言葉から、俺が祭事の都合で自由が利かない立場にいるのだと察したようだ。
それでもシーナは、「また一緒に」と望んでくれた。
嬉しいのに、こんなにも切なくなる約束は初めてだ。
「ああ。いつかまた」
この約束が果たされる日は、俺が役目を終えるまできっと来ない。
そしてその頃には、シーナはもう……。
「……そろそろティモシーと交代するか」
「あ……そうだね。ソフィーも楽しんでほしいなぁ」
少し残念そうだが、ティモシーとソフィーを思い遣って交代に同意した。
この時間が、もっと続くと良いのに。……そう思ってしまう自身に、俺は戸惑う。
シーナと出会ってから、俺は変だ。理解できない感情に振り回されて、一喜一憂して。
……あいつ≠ネら知っているだろうか? 次に会えたら訊いてみようか。
こうして俺とシーナは宿屋へ戻り、翌日に備えて休んだ。