底知れぬ悲憤
「……シーナ」
掠れそうになる声を絞り出せば、シーナが俺に気付く。
光を失いかけた瞳に、心臓が痛む。
「どうして壊してほしいなんて願ったんだ」
「……え」
聞かれているとは思わなかったのか、シーナは驚く。
精霊王を見れば、彼は肩を竦めた。
「精霊王に存在を壊されることは、消滅することと同じだ。解っていて願ったのか」
「……うん」
少しの間を置いて、しっかりと頷いた。
理解していて願ったなんて……。
「生きたいとは思わないのか?」
「思わない。私にはコスモ以外、何もないから」
コスモとは精霊王に付けた名だろう。
精霊王以外に何もないだなんて、そんなことないはずだ。
「家族のために生きようと思わないのか」
家族を喪い、天涯孤独となった者は、この世に星の数ほどいる。
病や
けれど、シーナからは故人を
これまでの言動に家族の思い出を大切にする意志はあったのに、この矛盾は何なのか。
違和感をもって問うと、シーナの目から光が消えた。
「思ったよ。家族の分まで、生きて幸せになろうって。……でも、私のせいで家族は死んだ。そんな私が、のうのうと生きていいなんて思えない」
シーナのせいで死んだ?
どういうことなのか訊ねようとしたが……
「私は醜い人間だよ。こんな私が幸せになっていいはずがない」
感情を殺し、自身を
自分には幸福を掴む資格は無いのだと失望し、全てを諦めた虚無の瞳には、この世の絶望を塗り固めた、底知れぬ嘆きがあった。
生きる意義を見出せない失意の瞳に、身体の奥底から恐怖が込み上げた。
同時に、底知れぬ怒りを覚えた。
シーナに対してではない。彼女をここまで追い詰めた、全てのものに対してだ。
「醜くない」
衝動のまま近づいた俺は、いくつもの涙の痕があるシーナの頬に触れる。
頬は体温を失ったのではないかと思うほど冷たくて、虚ろな目には涙が溜まっていた。
「人を憎んでも、その憎しみで人を傷つけることを望んでいないだろう? あの村でも、人を助けはしても傷つけようとはしなかっただろう?」
「……!」
小さく息を呑む音が聞こえた。
「憎めば楽になる。けど、それで自分を見失う恐ろしさを誰よりも知っている」
少しずつ光が宿る瞳に、涙がこぼれそうなほど溢れてくる。
「誰よりも優しい君が、醜いはずがない」
幸せを望みながら、幸せを拒む。そんな姿は見たくない。
その一心で伝えれば、シーナは苦しげに顔を歪め、静かに涙を流した。
女性の涙は苦手だが、今は泣いてほしい。心を殺して耐えるなんて、してほしくない。
願いながらシーナの頬を撫でると、彼女はその手に縋るように頬を寄せて
「……ありがとう」
掠れた声で伝えられた感謝の気持ちに、苦しいほど胸が締め付けらた。
落ち着いたシーナを連れて宿に戻ると、ティモシー達は安心して迎え入れてくれた。
ソフィーは気遣って温かなスープを用意して、シーナに勧めた。
夕食後のシーナは、ソフィーに連れられて湯浴みに向かい、同じ部屋で休んだ。
少し心配だったが、流石はソフィー。シーナとすぐに親しくなった。
だが、彼女はあの花嫁候補の侍女だ。常に一緒にいるわけにはいかない。
それに、俺も――。
『よくシーナをあの村から連れ出してくれた』
バルコニーで夜風に当たっていると、精霊王が現れた。
ギョッとしていると、精霊王はある一点を見つめる。おそらく就寝しているはずのシーナのいる部屋だろう。
穏やかな眼差しから慈愛が感じられ、それだけシーナを大切に思っているのだと判る。
『だが、心せよ。あの子を
だからこそ慎重になるべきだと、俺へ向けた精霊王の冷徹な瞳に覚悟する。
精霊王に愛され、精霊と親しむシーナは貴重な存在だが、同時に危険物でもある。
この世には『精霊の愛し子』と呼ばれ、その者のいる土地や国は「精霊の加護」によって栄えるとされている。
竜帝及び竜王が管理する国々では、『精霊の愛し子』が現れたら保護し、丁重に管理するのが習わしであり、国の管理者である竜帝・竜王に情報を共有する。
扱いを間違えた国は精霊の加護を失い、不毛の大地へ変わり果てる。竜帝による大陸統一以前、『精霊の愛し子』の教育を間違え、その者の癇癪が原因で滅亡することもあったのだ。
まさかシーナが『精霊の愛し子』だとは思わなかった。しかも、現在進行形で悩ましい問題があるのだとも。
だからアポイナ村は、異様に不作続きなのだと考察する。
しかし、精霊王は俺の読みを否定した。
『勘違いしているようだが、あの村が寂れたのは村人の行いの結果だ。大地を傷つけ、癒すこともせず、正しく生きようとしない。シーナを害さなくとも時間の問題だった』
「……つまり、精霊の愛想が尽きたと?」
『あの地に住む人間の大多数はね。シーナと親しくした子供達は運がいい。まだ見込みがあると、一部の精霊が目をかけている。子供達が去れば、あの地の精霊も去るだろう』
シーナが『精霊の愛し子』だという決定的な証言だ。
纏めるなら、シーナが生まれる前から枯れかけていた大地は、シーナの存在のおかげで辛うじて繋ぎとめていた。
シーナが去った今後は元の荒れ地へ戻るのだろうが、シーナと親しかった子供達が健全であるうちは精霊の加護を留めていられる。
今後、アポイナ村をどう管理するべきか、あの地を任せる貴族に知らせるべきだろう。
「『精霊の愛し子』の恩恵を失った末路、か……」
『――否』
ゾワッと全身が総毛立つ。鳥肌が浮き上がるほどの威圧感に呼吸が詰まる。
精霊王から放たれる神聖な気にあてられ、血の気が引く。
『この世の
先程までの、厳しさの中にあった穏やかさが欠片も無くなった精霊王に衝撃を受ける。
……違う。精霊王ではない。
これは……この方は――?
『ヘイムダルの子よ、汝は我が愛し子をどうするつもりか』
強制力のある問答に逆らえない。口を衝いて出た言葉は――
「――守りたい、です」
初めて出会った時、上位属性の魔法を容易く操る才能と強さに驚愕したが、彼女が抱える闇に気付いて放っておけなくなった。
だが、シーナを守りたいという気持ちは、ただの憐れみではない。脆くて弱い、それでいて強さを持つ優しい心を秘めているからこそ、傷ついた心を救いたいと思ったのだ。
こんな感情は初めてだが、それだけではないというのも気付いている。
この感情の本当の意味を知りたい。どうして誰にも抱かなかった感情を、一目見ただけで抱いたのか、その理由を知りたかった。
目を逸らさず告げれば、眼前に
『ぬるい』
「っ……!」
『だが、無理もあるまい』
俺の気持ちが「ぬるい」と評され、「無理もない」という言葉に胸の奥が痛む。
確かに出会って数日程度で、踏み込んだ感情は抱けない。それは仕方のないことだ。
……それなのに、呼吸が苦痛になるくらい傷ついた。
まるでシーナを救う資格はないと
『真に我が愛し子を救いたいのであれば、見落とさぬことだ』
それが最後の言葉だった。
精霊王から重苦しい神気が霧散し、深くも穏やかな日溜りの如し気配へ戻る。
俺は
掠れた音が喉から出る。こんな感覚は幼少以来だ。
「ハァー……! ……いったい、何だったんだ……?」
冷や汗を拭いながら顔を上げれば、精霊王は姿を消していた。
謎は深まるばかりだが、シーナを守りたいと思う気持ちは嘘じゃない。
彼女が暗がりではなく日向で生きられるように、ただ全力を尽くすのみだ。
……この時の俺は、この感情に名前があることを知らなかった。