帝国の宰相

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 長旅が終わって、一週間が過ぎた。
 ソフィーの部屋で過ごさせてもらっている間に、礼儀作法から料理を教えてもらった。
 礼儀作法は完璧に近いほど上達したけれど、部屋を与えられるとご飯を作れるようになる。厨房もあって料理人もいるが、できるだけ自分で作れるようになった方がいい。

 おかげでこの世界の料理を少しでも知ることができた。
 麺系の料理が少ないのは残念だけど、パイ料理やフレンチ、スープ系の料理、最後にスコーンを習った。
 サンドイッチは存在しないので、私がハムと野菜に爽やかなサラダドレッシングをかけて、薄く切ったパンで挟んで見せたら驚かれ、味も絶賛された。


 充実した日々を送っていた昼下がり、ソフィーが焦った様子で部屋に駆け込んできた。

「シーナ! 貴女、何をしたの!?」
「へ? え、な、何って……?」

 肩を掴みそうな勢いで迫ってきた。迫力があってちょっと怖い。

「竜帝陛下がシーナと謁見えっけんするから呼んできてくれって! 宰相様が! おっしゃったのよ!」

 ……。な……何で?

 唖然、呆然から口が開いてしまう。

 私、何かした? いや、城に来てからずっとソフィーの部屋にいたけど……あ。

「……心当たりがあるの?」
「えっと……たぶん。祖母の形見の魔法書をアレンに渡して……アレン曰く、国宝級の価値があるから、写本に貸したの」
「国宝級の魔法書!?」
「うん、古代魔法書」

 国宝級の古代魔法書を貸したから、褒美を貰えるって言われていたんだっけ。竜帝陛下も忙しいのに時間をいてもらって……うん、行った方がいいよね。

 事の重大さを理解した私は、あんぐりと口を開けるソフィーに訊ねる。

「ソフィー、どこに行けばいいの?」
「だ、大丈夫。案内するから、その前に着替えましょう。謁見に失礼のない衣装は……収穫祭で着たワンピースになってしまうわね。なら、装飾品を――」
「装飾品……あ、祖母の形見のネックレスでも大丈夫?」
「どれ?」

 旅道中で購入した巾着に保管していた、形見のネックレスを見せる。
 途端にソフィーは目を見開いて、安堵の笑顔を浮かべた。

「あら、とても質のいいオパールじゃない! これなら問題ないわ」

 超一流の侍女と名高いソフィーのおかげで、見苦しくない程度へ整えられた。
 そしてドギマギしながら、花嫁候補の専属侍女が寝泊まりする女子寮から出発した。


 城の中心部である帝城は、君主が私的な生活を行う宮廷部分と、君主が政務や謁見、国家的な儀式などを行う朝廷部分がある。謁見だから、おそらく朝廷部分に行くのだろう。
 宮殿近くまで行くと、文官にしてはおごそかな制服を着た男性が、玄関先で待っていた。

 キリッと引き締まった雰囲気から言い表すなら、理知にむ美男子だろうか。
 オールバックに整えた、やや長い柔らかな金髪。右側に片眼鏡モノクルをつけた目は、切れ長で理知的な印象を与える青緑色の瞳。高身長で、スリムな体格が服の上からでも判る。
 見た目の年齢は二十代後半ぐらいだろうけれど、尖った長い耳からエルフだと判り、外見年齢以上に長生きしているのだと察せられる。

 階段の手前でソフィーが深く頭を下げたので、それに倣って私も低頭した。

「お連れ致しました」
「ご苦労。ここからは私に任せて戻りなさい。謁見が終われば専用の部屋へ送ります。そちらに寄ることはありませんので、今のうちに伝えたいことを言っておきなさい」

 ……ここでお別れか。なんだかあっという間に感じてしまった。

 突然の別れに胸の奥が痛くなる。そんな私に、顔を上げたソフィーが頭を撫でた。

「大丈夫。これが最後の別れじゃないんだから。それに、預かっている荷物は明日持っていってあげるから、また会えるわよ」
「……うん」

 確かに、これが今生の別れではない。
 離れて働くことになるけれど、また会えるのだ。寂しくても、不安がらなくていい。

「これまで支えてくれて、本当にありがとう。ソフィーも仕事、無理しないでね」
「シーナも頑張ってね。……また会いましょう」

 うん、と頷いて微笑めば、ソフィーも柔和な笑顔を見せてくれた。

「では、行きますよ」
「はい」

 ソフィーに深く頭を下げて、私は宰相様と一緒に宮殿に入った。


 帝城の中はきらびやかだった。白亜に染まる壁や、骨董品こっとうひんを飾る台座の見栄えもさることながら、艶のある床には汚れが目立ちにくい絨毯が敷かれていた。
 特に各要所へ続く大空間には、竜帝による大陸統一の歴史が天井画に描かれている。
 どれも歴史を感じさせる、格式高い造り。

 じっくり見渡したいけど礼節を守り、まっすぐ前を見据えて歩く。
 途中ですれ違う人に軽く頭を下げそうになったが、背筋を伸ばすよう意識した。
 でも、長く広い通路を進むほど、緊張感から胃が痛くなってくる。

 重苦しい溜息を抑え込んだ時、宰相様が声をかけてきた。

「シーナ、という名前でしたね」
「あ、はい」
「貴女の祖母は貴族でしたか?」

 突然の質問に、きょとんと目を見開く。

「……すみません。祖母のこと、あまり知らないんです」

 宰相様に言われて、ようやく気付く。
 私は肉親なのに、祖母のことを詳しく知らないのだと。

 旅先で出会った祖父の伴侶はんりょとなるに、村の外から移住したのだと聞いたことがある。
 けれど、それ以前の過去を聞いたことがなかった。

 どうして高価なネックレスを持っていたのか。
 どうやって古代魔法書を手に入れたのか。
 ただ判るのは、私と同じ精霊を目視する眼を持っていることくらい。

 ここで、ある名案が浮かぶ。精霊と親しめて、古代魔法書なんて大層なものを持っていたなら、精霊にけばいいのではないか。
 もし祖母と親しい精霊がいたなら、祖母のことを詳しく知ることができる。いや、それよりコスモに聞いた方が早いかも……。

「今度精霊に訊いてみます」
「精霊様と交信できるのですか?」
「はい。一人……いえ、一体と契約しています」

 普段の私は精霊を一人、二人と数えているけど、普通は一体、二体と数える。
 契約している相手が精霊王だとは明言せずに教えると、宰相様はたずねる。

「どのような精霊様ですか? 属性は?」

 ……どうしよう。他人に教えられる内容ではないから、どう言えばいいのか迷う。

 通常、精霊は生まれた場所によって、司る魔力属性が異なる。
 火山や火のエネルギーに満ちた火山といった場所なら、火の精霊。
 川や海といった、水源が豊富な土地なら、水の精霊。
 風の流れが多い高所や、空気が澄み切った山頂なら、風の精霊。
 植物が育つほど豊かな土壌どじょうが剥き出しの大地なら、土の精霊。
 他にも清らかな光に満ちた空間から光の精霊、暗く湿しめった闇の気配が濃い空間から闇の精霊が生まれる。

 精霊王コスモは、唯一神マカリオスの分身であるため、全属性をつかさどる。

 ……コスモが人間の営み、まして人の欲望が渦巻く政治に巻き込まれるのは嫌だ。
 幼い頃から私を支えてくれて、何度も心を守ってくれたあの子が利用されるなんて……私には耐えられない。

「……です」
「はい?」
「言いたくない、です」

 恐怖心から立ち止まり、緊張感から声が震える。

 カツン、と靴音を立てて立ち止まった宰相様が、私へ振り向く。
 怖くて顔を直視できないけれど、これだけは伝えたい。

「ここには……宰相様のように、精霊と親しめる方が多くいます。精霊信仰に厚いエルフやドワーフならともかく、私のように精霊を目視できる人間も多くいるはずです」
「……確かに、魔力の質と量が極めて優れた人間なら、精霊を視ることができます」
「そんな優れた人間が数多くいるのなら、なおさら言えません」

 権力者に逆らうのは罪だと、世間は言う。
 それでも私にとって大切な家族を守るためなら、この恐怖を呑み込もう。

「幼い頃から私を支えてくれた。心を守ってくれた。私の唯一の家族が、まつりごとに巻き込まれるようなことになれば……私は……っ……もう、何もかも……ゆるせなくなる」

 両腕に爪を立てて、ギュッと握り込む。
 嫌な憶測が溢れて、最悪の結末に涙が浮かぶ。

 どうしよう。どうやってコスモを守れば……――

「言わなくていいですよ」
「……え?」

 契約精霊について訊き出そうとしていたのに、急に手のひらを返された。
 呆然と宰相様へ顔を上げれば、先程までの厳しそうな表情ではなく、とても優しい表情で私を見下ろしていた。

「すみません、貴女を試しました。人間は精霊様と契約すれば傲慢ごうまんになり、横柄に振る舞うようになる者がほとんどなのです」
「え……どうして、ですか? この世の自然界を調律してくれて、世界の秩序を守ってくれているのは精霊であって、契約しただけの人間は何も偉くないのに……」

 困惑する私は訊ねると、宰相様は私の目尻に指の背を当てて、涙をそっとぬぐった。
 いたわるような指先に戸惑う中、宰相様は悲しげにまなじりを下げる。

「貴女のように、精霊様への正しい理解を持つ人間は稀なのですよ。まして契約している精霊様を守るために、権力者に立ち向かう人間などいません」
「そんな……! ……では、今後も人前で呼ばないように気をつけます」
「ええ、それが一番です」

 宰相様公認のお許しを貰えた。
 ほっと安堵から肩の力が抜け、ふと、コスモを知る人間を一人だけ思い出した。

「あ……! 村から帝都への旅で一度だけですが、アレン……ええと、こちらの魔導師様にあの子を見られて……ど、どうしよう。秘密にって頼んでなかった……!?」
「落ち着いてください。アレン殿は良識がある方です。口も堅いと方々ほうぼうから信頼を寄せられていますので、大丈夫ですよ」

 宰相様が大丈夫というのなら、本当に大丈夫なのだろう。
 でも、万が一のことがあれば……

「……では、宰相様。私の契約精霊について、アレンに訊かないでください。きっとあの子も困ってしまうから……お願いします」

 深く頭を下げると、宰相様にその頭を撫でられた。

「精霊様の意に介さないことはいたしません」
「っ……ありがとうございます……!」

 さらに深く頭を下げて、感謝の気持ちの強さを伝える。
 姿勢を正して見上げれば、宰相様は柔和に微笑んでいた。

「立ち話もこの辺で、そろそろ行きましょう。陛下が待ち兼ねていることでしょう」
「あっ……! はいっ」

 そういえば、今は謁見の間へ向かう途中だった。遅れたら不敬罪になるかも。
 怒られませんように、と祈っていると、宰相様が歩きながら話しかけてきた。

「ところで、貴女の魔力属性と、得意な魔法は何ですか?」

 質問の意図は、おそらく指導者となる上司の選別に必要な情報収集。
 私のように全属性を扱える上司がいるのか心配だけど、許容範囲内で答えた。

「四大属性と対極属性、四大属性の上位属性は開花済みです。日常的に水魔法や風魔法を使って、地属性の重力魔法で移動していました。魔物の討伐には、氷魔法と雷魔法を重用しています。火属性の上位互換・陽属性の魔法は遠距離攻撃に最適ですが、滅多に使いません。怪我をしたら治癒魔法で治療、たまに暴れる幻獣を影魔法で拘束して静めていました」

 私が六歳頃に、おばあちゃんと一緒に検証した結果と、魔法の修行で開花した上位属性の魔法を思い出すと、全属性を持っているのだと今更ながら自覚する。
 魔物の討伐は村の収入に繋がるからと、傷をつけすぎた時は酷い目に遭った。その度に光属性の治癒魔法で治療していたから、治癒魔法の技術は高い方だと思う。
 折檻せっかんという名の憂さ晴らしを受けないために、魔物素材が駄目にならないように氷魔法や雷魔法での一撃確殺を極めた。

 陽属性の陽光魔法は、虫眼鏡で太陽光エネルギーを収束した熱線を魔法で作る程度で、太陽が出ている日中限定の物理魔法。
 水魔法で凸レンズ型の反射ポイントを作れば光熱線の軌道を屈折できるけれど、約四千度の高熱が倍増し、ガラス張りの高層ビルによって起きる収斂しゅくれん火災より凶悪な攻撃魔法に昇華してしまう。大抵の魔物は真っ黒な被毛を持つから熱を吸収しやすく、全身火達磨ひだるまけられないので滅多に使えない。

 家の近くの森から稀に幻獣がやってくるので、彼等の頼みで治癒魔法をかけたり、ヤンチャに暴れまくる子を影魔法でいさめたり。まるで獣使いの気分になって複雑だった。

 とはいえ、私の境遇は聞く人の気分を害してしまう。深掘りしない程度で伝えれば、ポカンと口を開けた宰相様は瞠目どうもく
 思考が停止した彼は、一分ほどかけて我に返り、ひたいに手を当てた。

「……なるほど。確かに学園には任せられませんね」

 今の口振りからして、アレンから私の事情を少しだけでも聞いたのだろう。
 でも、それよりこの世界にも学び舎――学園があるのだと聞いて、興味を持つ。

「学園ってどんなところですか?」
「国に貢献こうけんする人材を育てる教育機関です。貴族から平民までの子供は九年間のカリキュラムをこなし、騎士、魔導師、錬金術師、薬師、政治にたずさわる官吏に就くことができます。基本的に八歳になる年の子から一六歳まで通いますが、少し遅れて入学する者もいます」

 す、凄い。知らない職業が開示された。しかも、一六歳で社会人になれるのね。

 前世の故国では、未成年者だと働けない企業や、アルバイトが許されない学校が多かった。
 そんな情報を知っている私としては、前世にもあってほしいと思う。

「優秀な人が多いんですね。なんていうか……羨ましいです」
「学園に通える人がですか?」

 宰相様の疑問に、「はい」と私は頷く。

「学園に通えると将来性を証明できますし、カリキュラムを受けることで実力が伸びて、職も自由に選べるようになると安泰あんたいしますから」

 私も青春してみたかった。きっとカリキュラムは難しいものばかりだろうけど、友達ができれば乗り越えられると思うし、人生の大きな糧になる。

 ……いや、そう簡単にはいかないか。今の私は一五歳だから、一六歳で卒業する学生の中に溶け込むことは難しい。それ以前に、私は『黒持ち』と差別される対象だ。

「まぁでも、差別もありますよね? 私は『黒持ち』の平民ですから、嫌ってくる人も多いと思います。それを考えると、入学したいか問われると難しいです」

 眉を寄せて言えば、宰相様はかなり驚いた表情になった。
 どうしてそんな顔をするのだろう?と首をかしげると、宰相様は感心したように頷く。

「聡明ですね」
「え、いえ……私は凡庸ぼんような人間ですよ?」

 確かに転生した記憶を持っているけど、前世は凡人以下だった。そんな私が聡明とか、心底ありえない。
 ちょっと自虐的になってしまったが、宰相様は面白そうに頬を緩めた。



 
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