優しい強さ

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「お疲れ様です。こちらをどうぞ」
「あ……はい。ありがとうございます」

 疲労感を滲ませていると、宰相様から巾着に似た袋を差し出された。
 先程、竜帝陛下の指示で十枚の金貨を詰め込んだものだ。

 手のひらに置かれた瞬間、予想以上の重さに驚く。
 落としかけた時、宰相様が私の手の甲を支えてくれて、慌てて謝罪する。

「す、すみませんっ――」
「陛下とお会いしても平気そうでしたね」
「……えっ? そうですか? これでも結構緊張しましたけど」

 竜帝陛下に対して堂々とものを言えたし、失敗することなく古代魔法を上手く発動できたのも、本当に奇跡だった。
 きょとんと思い返す私に、宰相様は真剣な表情で私を見据える。

「常人なら、緊張と畏怖で言葉を上手く話せなくなります。女性なら、一目で好意を抱いてしまうほど陶然とうぜんと見惚れるのが常です。それが普通なのですが、貴女はそれらと違って自然な対応をしているように見えました」

 言われてみれば、確かにそうだ。緊張したけれど、いつも通りの態度だったと思う。
 うやうやしく振る舞っても、どこか気安さというか……対等な会話ができたようにも感じる。
 謝礼金の引き下げの駆け引きも、簡単に誘導されて変な顔になってしまったのに、竜帝陛下は笑顔で無かったことにしてくれた。
 その後も、自覚がなくても不敬な態度だったかもしれない。
 なのに、竜帝陛下は見逃してくれた。

「陛下は竜帝。この大陸を統べる偉大なる竜人ドラゴニュートなのです。怒りを買えば、我々など容易く消されてしまいます。恐ろしくはないのですか」
「無いです」

 うん、無いね。これは即答できた。
 確かに竜帝陛下は、一般的に見れば畏怖の対象だ。
 でも、それだけで遠い存在として見すぎるのも良くないと、私は思う。

「陛下だって、種族は違っても同じように生きています。同じ命を持つ者を遠い存在と受け止めすぎるのも良くないと思います。それに、陛下は人々を守っています。私達を守ってくださる方に対して恐怖を感じるのはおかしいです」

 これが私の見解。他人から見ればおかしいだろうけど、これが私だ。
 宰相様は呆然と口を開いたが、少しずつ困った表情で苦笑した。

「……お優しいのですね」
「いえ、普通のことですよ?」

 たいしたことではないと言うけれど、宰相様は力無く首を横に振った。

「その普通の考えが、我々には困難なことのです。誰もが遠い存在として、竜帝陛下から距離を置こうとします。……この私も、今でもそうなってしまうのです」

 切ない表情で遠くを見つめる宰相様。

 畏敬の念を持ちつつ、畏怖も抱えて接するなんて寂しいことだ。
 そんな多くの人々を間近で見て、自分自身も彼等と同じだと自覚している宰相様は、一体どんな思いで仕えてきたのだろうか。

「私は陛下に救われたことがあります。閉鎖的な集落の生まれで、それ故に私は外の世界に憧れ、勝手に抜け出しました。結果、奴隷商人に捕まってしまって……。その時に若い頃の陛下に救われました。そこから宰相を目指して、今に至ります」
「すごい……とても努力なされたのですね。夢が叶って、おめでとうございます」

 唐突とうとつに聞かされた、宰相様の過去。
 意外だったけれど、だからこそ竜帝陛下を敬愛しているのだと知ることができた。

 たくさんの努力を重ねたからこそ夢を叶えられたのだと聞いて微笑ましく思う。
 心の底から祝福すると、宰相様は目を見開き、キュッと一瞬だけ唇を引き結んだ。

「――シーナさん」

 いきなり敬称付けで呼ばれて戸惑う。それ以上に、彼の真剣な眼差しに緊張する。

「貴女は陛下を特別視しません。そのお心を、どうか忘れないでください」
「――はい」

 自分の心だ。そう簡単に忘れてなるものか。
 確固たる思いを込めて頷けば、宰相様は笑みを浮かべた。

「申し遅れました。私の名はアルヴィスと申します。どうぞ『アル』とお呼びください」
「えっ。……どうして愛称で?」
「私は認めた者にだけ、愛称で呼ぶことを許しています。シーナさんは信用するに値する人間だと感じましたから、特別ですよ」

 認めてくれたのは嬉しいけど、こんな大物に認められると、周りの反感を買いそうだ。
 でも、その好意は受け取りたいので、「ありがとうございます」と礼を述べた。

「それでは行きましょう。夕飯は寮の厨房に頼めるので、安心してください」

 アルヴィス様に言われた途端、腹の虫が小さく鳴いた。
 タイミングがいいのか悪いのか判断に困る空腹感に恥ずかしくなって俯くと、アルヴィス様はクスクスと楽しそうに笑う。

 こうして私は、竜帝陛下との初めての対談を無事に乗り越えたのだった。


◇  ◆  ◇  ◆


 謁見後に案内された東の建物の一つ『魔導宮』は、西の離宮より三倍もの規模があり、厳然たる雰囲気を漂わせる漆黒の外観が美しい。

 魔導宮は、宮廷魔導師の職場。帝城の警備や要人の警護に従事する騎士との連携を取りやすくするために、帝城と同じくらい『騎士宮』と距離が近い。
 宮廷魔導師が寝泊まりする寮舎は、食堂で隔てた場所に男女別で建てられている。アルヴィス様曰く、女性の宮廷魔導師は女官より少数で、男子寮よりやや小規模なのだとか。
 どちらも男子禁制、女子禁制だから安全。けれど重度の怪我や病気などといった緊急事態であれば、上司の判断で入れるらしい。
 食事は中心にある食堂でもいいし、自室に完備されている台所で作ってもいい。その際の材料は食堂で貰うこともできるし、城下町で購入する方法もある。

 そして、私の部屋は女子寮の三階の突き当たりだと、宰相様が直々に最上階の一番奥へ案内してくれた。
 部屋の内装は、白いカーテン、クローゼット、本棚、一人用の寝台、ローテーブル、ドレッサー、質の良さそうな絨毯、クッション、奥の台所には食器が完備していた。

 ……いや。いやいやいや、なんだか可笑しくない?

「あ、あの……これって最初から支給されるものではない、ですよね……?」

 見るからに私の好みに合わせました、と言わんばかりの内装に恐々とする。
 いくら国宝級の古代魔法書を貸したと言っても、現時点では宮廷魔導師見習い。下っ端の中では最下級の下っ端と言える立場にある私が、初っ端から絨毯やクッションや食器が無償で与えられるわけがない。

 これ、他の魔導師に知られると、物凄く反感を買いそうな気がする……!

 頬を引き攣らせた私が不安を滲ませながら訊ねると、アルヴィス様は苦笑した。

「実はですね、シーナさんは王金貨を受け取らないだろうとアレン殿から聞きまして。受け取らないと思われる分を資金に、アレン殿が身の回りのものを揃えたのです。……まさか大金貨一枚分しか受け取らないとは、我々も想定外でしたが」
「庶民に大金は災厄しかないですからね!? 私は後ろから刺されたくないです!」

 切実な思いから、声に悲痛さがこもってしまう。
 すると、アルヴィス様は眉をひそめた。

「後ろから刺されたことがあるのですか?」

 ……あ、不味い。余計なことを言ってしまった。
 アポイナ村の経験から、形見以外の高価なものに対してトラウマを覚えてしまった。それが初対面のアルヴィス様に感付かれてしまうほど表に出るなんて……。

 口を引き結んで押し黙ると、アルヴィス様が私の肩に手を置く。
 どことなく怖い雰囲気を感じて、ビクッと体が震えた。

「シーナさん。住んでいた村で、何をされたのですか?」

 アレンから聞いているのか、ピンポイントでアポイナ村を前提ぜんていに訊ねられた。
 笑顔なのに恐ろしい圧を感じる。正直に言わなければ余計に怒られそうな気がして、重苦しい気持ちを溜息で押し出してから打ち明けた。

「……村で唯一魔法が使えるので、鉱山に出てくる魔物を討伐するのは私の役目でした。魔物の素材は高く売れるからと、無駄に傷をつけると殴られるんです。魔物から採れる魔石くらいならお金に換えて、村から出ようとしたのですが……知られてすぐ袋叩きが酷くなって。家族になってくれた精霊に治療されなかったら、骨折も治らなかったと思います」
「……は?」

 アルヴィス様から恐ろしいほど低い声が聞こえて、「ひぇっ」と声が引き攣る。

「っぁ、あの、村では……っ、『魔女』と嫌われていたので……! あ、でも、治癒魔法が上達しましたから、もういい、の……デス」

 ますますアルヴィス様から怒りの魔力が醸し出される。
 どうしよう。これ、火に油だった。

「あああ、アル様っ! ここ、女子寮! 皆さん、怖がる! ……ますっ!」
「……失礼しました」

 焦り過ぎて、めちゃくちゃ変な片言になってしまった。
 けれど、必死に説得した甲斐があって、アルヴィス様の魔力圧が静まった。
 よかった、と安堵の息を吐いたら、アルヴィス様が複雑そうな表情で訊ねる。

「シーナさんは、どうして精霊様に救いを求めなかったのですか?」
「え?」

 アルヴィス様の意図が判らず、思わず首をかしげてしまう。

 アポイナ村では、精霊に魔物の出現のお知らせを頼んでいたけれど、求めなくても協力してくれることが多々あった。
 村人達の非道に怒って、暴走しそうになった時は必死に宥めて静めることが多かった。
 だから、精霊による救いとは、どういうことなのか理解しかねる。
 そんな私に、アルヴィス様は言葉を続ける。

「骨折を治せるほどの治癒魔法をお持ちなら、さぞかし高位の精霊様なのでしょう。そんな貴女なら、多くの精霊様が進んで力を貸してくださったはずです。なのに何故、精霊様に救いを求めなかったのですか?」

 ……ああ、なるほど。そういうことなのね。

 上位精霊と契約できる稀有な人間は、契約した系統の精霊に好かれやすいのだろう。
 優れた力を持つ上位精霊に好かれる人間が救いを求めると、下位精霊や中位精霊に命じて、契約者を虐げた元凶に天罰を与えることもある。
 アルヴィス様は、私が精霊と契約できる人間だから言っているのだろうか?

 もしそうなのだとしたら、途轍とてつもなく身勝手な思想だ。

「……確かに彼等は優しいです。でも、その優しさに胡坐あぐらをかいて、彼等の善意を暴力に利用するなんて嫌です。彼等の綺麗な手を穢したくありませんし……何より、何も知らない子供達が巻き込まれるのは駄目です。そんな理不尽、村人達と同じじゃないですか」

 彼等の優しさを利用して、天罰という名の天災を以て、多くの不幸を振り撒く。
 ……そんな蛮行ばんこう、私の良心が赦さない。何よりエレン達のような心優しい子供達に、私と同じような悲しい思いをしてほしくない。
 そもそも非道な村人達と、同じ土俵に立ちたくない。彼等のような外道と同類になりたくないから、呪いたくなるほどの憎悪や怨恨えんこんを全て呑み込んで耐え抜いたのだ。

 見縊みくびるな――と言いたくても、バシレウス帝国の宰相に不敬は許されない。
 代わりに強い気持ちを込めた目で見据えれば、アルヴィス様は瞠目した。

「……それは……そう、ですね。すみません、先程の言葉は撤回します。……あれは貴女にとって侮辱なのだと理解しました」
「理解してくださって、ありがとうございます。……失礼な態度を謝罪します」
「謝罪は不要です。……貴女でよかった」

 言葉の意図が分からなくて、「え?」と首を傾げる。

 私でよかったとは、どういう意味なのか。

 尋ねようとしたが、空腹を告げる腹の虫が盛大に鳴き出した。
 腹部を抱えて赤面した顔を俯かせると、アルヴィス様がクスクスと笑う。

「では、食堂へ案内しましょう。空腹も限界のようですからね」

 黄昏時と言ってもいいくらい暗くなった空を見て、空腹感は当然だと思う。
 空腹を訴える腹の虫は恥ずかしかったけれど、食堂の料理はとても美味しかった。



 
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