旅立ち
翌日の朝。いつもより早起きした私は、形見のネックレスを首に着けて服の下に隠す。
こうしないと、村の人に見られたら盗んだと疑われるから。
家から出て、村や土地を守る精霊や友達に挨拶するために言葉を飛ばす。
『みんなへ。今日から私は帝都へ行きます。次に会えるのはいつになるか、わからないけど……でも、みんなのことは忘れない。今までありがとう』
よし。挨拶はこんなものかな。
普通ならできないことだけど、私には古代魔法書で得た知識もある。知識を基に訓練したから、精霊と同じように遠くからでも精霊と交信することができるようになった。
あとはアレンの迎えが来るのを待つだけ。
その間に、少し歌おうかな。
私は前世で好きだった歌を全部覚えている。何故だか知らないけど、好きだと感じた歌だけは記憶に刻まれているのだ。謎だけど、おかげで大好きな歌を歌える。
でも、人前では歌えない。だって、この世界の言葉に変換されるとしても、この世界の音楽は知らないから。この世界の音楽とは違う歌曲を知られるのは少しおかしいだろうし、何より私が恥ずかしい。
だから、一人きりでいられる今だけ、思う存分に歌おう。
大好きな歌を声に出して奏でる。心を震わせる旋律で、自由自在に音程を操る。
朝焼けの歌。命の歌。そして、前世の私が作った歌。
途中でハミングをして音色を繋げ、心行くまで歌い続けた。
「……!」
歌が終わる頃、馬の
村の方に顔を向けると、漆黒の馬に乗っているアレンを見つける。
アレンは都会ならどこにでもいそうな、けれど独特の美しさを持つ。
だからか、その姿を見た途端に心臓が跳ねた気がした。
……前髪が長くて助かったかも。
「おはよう、シーナ」
「おはよう。素敵な馬だね」
近づいて馬の頬を撫でると、気持ち良さそうに擦り寄ってきた。
「こいつは気難しい馬なんだが……シーナは動物に懐かれやすいのか」
「そう?」
私って動物に懐かれやすいのかな?
……思い返せば、私は森に棲む知能が高い幻獣にも懐かれていた。
どうしてこんなに?と疑問を持つほどだったけど、そういう体質もあるのだとコスモから聞いて納得している。
これって体質なのだろうか? ……謎だ。
「さあ、行くぞ」
これから先、どうなるか私でもわからない。
楽しいばかりじゃないのは理解しているから、ちょっと怖かったりする。
でも、アレンみたいな人がいてくれるなら……頑張れる気がした。
差し出された手を取れば、アレンは簡単に私を引き上げて前に乗せた。
生まれて初めての乗馬は二人乗りだから少し緊張するけど、不思議と怖くない。
「馬に乗るのは初めてだよな?」
「うん」
「なら、しっかり掴まってろよ」
片腕を私の腹部に回して、片手で手綱を操って進み出した。
軽やかな蹄の音とともに林を抜けて、村に入る。
村の中は、しん、と静まり返っている。早朝だが、いつもなら畑仕事のために家から出る大人もいる。それなのに、どうしてこんなに静かなのか。
不思議だけど、過ぎていく村の風景には何も感じられなかった。
普通なら故郷を離れる寂しさとか、あるかもしれない。
けれど、村自体にいい思い出も何もない私には、心に響くものなど何一つなかった。
生まれ育った村でも、ここは嫌な記憶ばかりだったから……。
でも、エリン達のようないい子もいる。あの子達には申し訳ないけれど、別れることに寂しさを感じられなかった。
その代わりに、元気でね、と心の中で挨拶した。
太陽が真上に昇った頃、ようやく馬の振動に慣れた私は尋ねる。
「アレンの仲間はどうしたの?」
「あぁ……あいつらは花嫁候補の護衛があるから、俺達より遅いよ」
「花嫁候補?」
初めて聞く単語に首を傾げて復唱する。
いったい何の『花嫁』なのか、アレンは教えてくれた。
「俺達が村に来たのは視察だが、それは表向きだ。最も重要な仕事が、竜帝陛下の花嫁候補を城まで連れていくこと。花嫁候補は公正な
初めて聞く国の習わしに目を丸くする。
コスモから、過去に王が代替わりしたのは一度きりだと聞いたことがある。
そして、現在の王は初代竜帝と人間の娘との間に生まれた御子が務めているのだと。
もしかして、その事例があったから?
「相手は竜人でしょう? どうして人間と結婚させるの?」
普通は種族同士で婚姻するものなのに、どうして他種族なのだろう?
人間と獣人は、エルフ、ドワーフ、トムテと違って魔法能力が低い。優秀な子孫を残すのなら、竜人同士、もしくはエルフといった価値観が似通った種族が理想的のはず。
合理的ではないと思っていると、アレンは答えた。
「種族の性質上、異なる種族同士での婚姻は難しい。だが、その内の例外が人間だ」
「どうして?」
「人間は魔法能力が低い分、他種族と交わることで体質が順応し、他種族の子を産める」
魔力の相性に
獣人は獣の因子が強いため、竜人、エルフ、ドワーフ、トムテと相性が悪いそうだ。
動物的本能が鋭い獣人だけではなく、エルフといった魔法能力の高い種族は魔力を知覚する魔力神経が
対する人間は、魔力神経が鈍感な者もいるほど落差があり、相性と工夫次第で異種族の魔力に肉体の魔力根幹が最適化する。
肉体的強度や繁殖力は獣人には劣るが、獣人より長寿で、他種族の魔力であっても馴染めるくらい適応能力は極めて高く、生殖能力も優秀。
魔法能力の高い種族は長命種族が大半なので、恋愛観や生殖本能が軒並みに低い。だからこそ魔法能力の高い他種族に、子孫を残す伴侶として人間が選ばれやすい。
――そんな異世界の常識を初めて聞かされて、いろんな意味で
この世界の人間って、そんな理由で他種族と結婚することがあるんだ……。
複雑な心境で聞いていると、ふと、あることに気付く。
「でも、竜帝陛下は、竜人の中では若者の部類に入るんでしょう?」
「その通りなんだが、政府の上層部が、竜帝陛下が国から去らないための繋ぎを欲している。竜帝陛下が人間に愛想を尽かすと、国から去ってしまうと恐れているのだろう」
「……何それ、理不尽すぎる」
思わず顔をしかめて、思ったことが口から出てしまった。
そんな私に驚いたアレンは私を見下ろす。
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、人間の勝手な押し付けで花嫁を選ばないといけないなんて……嫌すぎる。恋とか愛は、本人がその人に出会って、その人の心に触れないと芽生えないものだよ。それを人間の政略結婚みたいな方法で押し付けるなんて……。竜帝陛下にもちゃんと心があるのに、人間の都合ばかり優先させるなんて酷すぎる」
自分で感じて思ったことを全部言う。
ここまで他人に対して感情的になったのは久しぶりだ。しかも、
私は同情心が薄いけど、こういった共感は自然と感受してしまう。
湧き上がる不快感から眉間に
「アレンもそう思うでしょう?」
「っ、あ……あぁ……」
同意を求めると、アレンはぎこちなく頷く。
どうしてそこまで驚くのか解らなかったけど、今はこのモヤモヤを捨てたかった。
「まったく、人の意思を無視するなんて……政府の上層部って老害が多いの?」
「老害……」
「凝り固まった考えしかできないなんて、老害以外の何があるの」
いっそ上層部を丸ごと変えてしまえばいいのに。
むかむかして衝動のままに言ってしまう。
すると、私の腹部に回しているアレンの腕が震えた。
「……くっ、はははっ!」
どうしたのかと思っていると、突然笑い出した。
え、何、どうしたの?
「あー、笑った。シーナは面白いな」
「え、どこが?」
「思い切った発言とか。一般人でも、政に携わる人間を老害と
「そうかなぁ」
そうだよ、と言ったアレンは、どことなく嬉しそうだ。
「――……」
「え?」
「何でもない。町に着いたら服と靴を買おう。その後に宿に行って、ゆっくり休もうな」
楽しそうに言うアレンに、私も楽しくなる。
でも、服と靴を買うと言われて思い止まる。
「私、お金ないよ?」
「それくらい俺が払うから気にするな」
「気にする! お金の貸し借り駄目絶対!」
物々交換はいいけど、返せないお金は借りたら駄目だ。
何かのキャッチフレーズになりそうなことを言ってしまった私に、アレンは面白そうに笑みを浮かべた。
「大丈夫。魔法書のこともあるから、竜帝陛下から金を貰えるはずだ。そこから引かせてもらうから安心しろ」
「……それなら、いいけど……」
竜帝からお金を貰えるなんて恐れ多いけど……まぁ、アレンが言うならいいかな。
「町に行ったことはあるか?」
「ない」
「じゃあ、町に着いたらあれこれを教えるよ」
「例えば?」
「今回泊まる宿は、アポイナ村の村長の家より大きくて、村人の二倍は人が集まる」
アポイナ村の村長の家は、村の民家と比べるとかなり大きい。それより大きくて、村人の数より多い人が集まるなんて……想像できない。
目を丸くする私に、アレンはやっぱり面白そうに笑った。
「驚くのはまだ早い。竜帝陛下の住まう城の敷地は、アポイナ村より広いぞ」
「そんなに?」
「大陸の中心にあるんだから、当然だ」
その当然が、世間知らずの私には分からないんだけど……。
ぽかんと口を開けてしまう私にアレンは笑って、いろんなことを教えてくれた。
城では召使の服は決まっていて、一式は無料で支給される。召使の中でも執事や侍女など役割があって、ほかの人の仕事は頼まれない限りやってはいけない。身分によって入れる場所と入れない場所があり、身分の高い者には用がない限り話しかけてはいけない。
特に貴族はプライドが高いから、不興を買わないように気をつけること。
「シーナの場合は宮廷魔導師見習いから始める。普通は学業を終わらせなければいけないが、シーナの場合は特殊だから、適切な上司の下でいろんなことを教わるんだ。一人前になるまで最低でも一年はかかるから、根気が必要だ」
「なるほど……あれ? 上司って、アレンがなってくれるんじゃないの?」
アレンは宮廷魔導師だよね?と確認をとると、彼は困った顔になる。
「俺は宮廷魔導師とはちょっと違うから、同じ職場じゃないんだ」
「……そっか」
てっきりアレンが先生役になってくれるのだと思っていた。
アレンじゃない誰かが上司になる。それを聞いて、一気に不安になった。
でも、頑張るしかない。怖くても、やってみないと始まらない。
軽く俯くと、腹部に回されたアレンの腕の力が強くなる。
「大丈夫。時々だけど、顔を見せに行くよ」
「本当?」
「ああ」
アレンの気遣いが身に染みて、ほっとすると同時に嬉しくなる。
でも、少し申し訳なさが出てきた。
「ごめん。迷惑かけて……」
「迷惑じゃないさ。俺がそうしたいからやっている。シーナはずっと一人で、頼れる人がいなかったんだろ?」
アレンの言葉に、小さく頷く。
「頼れる人ができるまで、俺を頼ってくれ。むしろ甘えてくれたら嬉しい」
確かに頼れる人は今までいなかった。善意で頼ってほしいと言ってくれるのは嬉しいけど、「甘えてくれ」なんて言葉は予想外だ。
どうしてそこまで言ってくれるのか。
どうしてこんな私を気にかけるのか。
今の私には理解できないけど……。
「ありがとう」
今はただ嬉しくて、感謝の気持ちを伝えた。