前世の知識



 しばらく養生した私は、久しぶりにお婆様と刺繍を嗜んだ。
 幼くても手先が器用なのは、今世でつちかった経験と、前世の経験。
 でも、ただの刺繍だけは物足りない。

「お婆様、ぬいぐるみって知っていますか?」
「ぬいぐるみ?」

 質問すると、お婆様は不思議そうに首を傾げる。
 どうやらこの世界にぬいぐるみは存在しないらしい。

「お人形のことです。触っていて気持ちのいい布と、綿を使って作ります」
「聞いたことないわねぇ。でも、それができるとしたら……」

 呟いたお婆様はしばらく考え込む。
 どうしたのかな?と首をかしげると、お婆様は一つ頷く。

「せっかくだから作ってみましょうか」
「作ります!」

 やった。これで抱き枕みたいなものができる。
 でも、私専用より優先したい人がいる。
 その人のためにも急いでぬいぐるみの型紙を作った。
 幸いにも、この世界には植物繊維で作られる紙が安く売られている。多少は発展している世界のようでよかった。


 数日後、フェリス辺境伯の居城であるアルジェント城に布屋が呼ばれた。
 どんな布がいいのか吟味ぎんみして、布に合う糸、ぬいぐるみの目となるボタンも購入。
 そうして、あとは作るだけ。

 あらかじめ作っておいた型紙に沿って、明るい茶色と焦げ茶色の布を裁断。焦げ茶色の布は耳の中になるところ、薄茶色の布は腹部に使う。
 丸みのある耳と顔、短めの手足と丸い尻尾。ボタンで目、刺繍で鼻と口を縫って、全てを縫い合わせたら綿を詰める。
 完成したのは、テディベアのようなクマのぬいぐるみ。

「まあぁぁ……! こんな愛らしい人形が、この世にあるなんて……!」

 達成感を滲ませていると、私が怪我をしないように監視していたお婆様が感嘆した。

「絵本に出てきたクマさんを作ってみました!」

 無邪気な笑顔で言うと、お婆様は関心から私の頭を撫でた。

「ナディアはすごいわねぇ。よくこんなものを思いついて」

 ぬいぐるみを観察するお婆様は、心の底から感動していた。

 転生して初めての試みだったけれど、予想を上回る綺麗な出来栄え。
 前世では小・中学校の授業で、簡単なものだけどぬいぐるみを作ったことがある。今回は記憶の通りではなく、応用を活かしたおかげだ。

「あのね。今日はお婆様のお誕生日でしょう?」
「ええ。『おめでとう』と言ってくれて、お花をくれて嬉しかったわ」

 そう。今日はお婆様の誕生日。朝のうちに庭師から綺麗な切り花を貰って、それを包んで贈ったのだ。
 でも、あれは前座。本命はこれだ。

「これね、お婆様にって、作りたかったんです」

 そう言って首に不格好なリボンを結んだクマのぬいぐるみを差し出す。

「お婆様。お誕生日おめでとうございます!」

 二度目の祝いの言葉を満面の笑顔で言えば、お婆様は目を丸くした。
 直後、ぶわぁっとお婆様の目から涙が溢れた。

「ふえっ!? え……お、お婆様、大丈夫? どこか痛い?」

 心配になってたずねると、お婆様は首を横に振って手巾ハンカチで目元を拭う。

「違うの……嬉しくて。……ありがとう、ナディア。ずっと大切にするわ」

 涙ながら破顔して、ぬいぐるみを受け取ってくれた。
 ほっと安心した。もしかして嫌だったかな、と不安になったから、杞憂きゆうでよかった。
 それに、泣くほど喜んでくれたのが嬉しくて、私まで涙目になってしまう。

 もらい泣きなんて、今世では初めてだ。

「ねえ、ナディア。もしよかったら、違うぬいぐるみも作ってくれないかしら?」
「うん! いっぱい作る! ます!」

 お婆様に気に入られたのが嬉しくて、無意識に本来の口調に戻ってしまった。
 慌てて取り繕うと、お婆様は微笑ましそうに私の頭を撫でる。

「私の前では自然な態度でいいわよ。ありのままのナディアが一番魅力的なのだから」

 貴族の令嬢として、礼儀作法は物心ついたときから叩き込まれた。祖母に対する態度も改めて、両親と接しているときと同じ礼儀を取り繕った。
 お婆様に見捨てられたらと思うと、怖かったから。

「ありがとう、お婆様」

 でも、今のお婆様を見て、そんな不安は必要ないのだと感じた。
 だから、これからはありのままの私として過ごそう。
 私を心から愛してくれるお婆様に壁を作りたくないと、強く思った。


◇  ◆  ◇  ◆


 お婆様の誕生日を機に、多種多様なぬいぐるみを作った。
 犬、猫、兎、鳥、魚など、試行錯誤しながら生み出した。
 それでも初めは不安だった。綿はこの世界で貴重品なのでは、と思っていたから。

「お婆様。綿って高価なの?」

 小さなぬいぐるみをつけた根付紐ねつけひもを生み出して、お婆様に披露ひろうしたときに訊ねる。
 しげしげと根付紐を観察していたお婆様は、私の不安を払拭ふっしょくした。

「そうでもないわ。むしろゴミ扱いされていたのよ」
「……え? ゴミ扱い?」

 信じられない情報に目を丸くすると、お婆様は説明してくれた。

 アナトール王国は、横長に広がるクレーバーン大陸の最東端に位置する大国。
 大陸の周辺に点在する島国の中で最も栄えている大和国、西隣のレヴェント帝国、南西のユルディス国との関係は良好で、平和条約と通商条約を結んで交易している。
 肥沃ひよくの土地と海のおかげで、産業も農業も鉱業も漁業も盛ん。

 我が家――フェリス辺境伯が治めるフェリス領は、友好国であるレヴェント帝国と隣接する国境を守護していると同時に、貿易に欠かせない中継所。
 土地は広大で、形状は縦長。北には世界三大湖の一つに数えられるラクリマ湖、南には大きな鉱脈がある。
 特産品は、黒牛・黒豚・地鶏、多種多様のハーブを用いた腸詰などの畜産・酪農業。
 ラクリマ湖限定で生息する動植物が多く、わざわざ海に行かなくても漁業が可能。
 広くは知られていないが、特殊な製法で作られた茶葉、土地ならではの果物もある。

 侯爵と同等の爵位である辺境伯の中でも、過去に王族を降嫁された歴史がある。土地の重要性も含めて、フェリス辺境伯は公爵に近しい地位と権力を持つ。

 我が家には過ぎた環境だが、問題もある。
 それは、地域による収入と生活水準の落差。

 この世界には、前世で言う電化製品に似た『魔工製品』が普及ふきゅうしている。
 魔工製品に必要な動力源は、特殊な鉱脈で採掘できる『魔晶石』。
 フェリス領の南の地では、魔晶石の採掘が収入の基本。
 しかし、一番端の亜熱帯地域では収入がほとんどない。

 ユルディス国ほどではなくても、夏は猛暑、夜もそれほど涼しくならないし、冬では雪が降っても積もらない。
 水源はあっても飲み水にするための労力すら困難で、熱中症や餓死者も少なくない。それ故に出産と育児は、魔晶石の鉱脈がある町で行っている。
 雨は降るけれど高温多湿。育てる植物も限られている。故に、価値のあるはずの植物の価値も分からないまま埋もれてしまう。

 木綿も綿布といった布製品の材料にもなるのに、技術知識が広く知れ渡っていない以前に、庶民は学問に馴染みがないせいで知識不足という問題から見向きもされない。

「だから今回、ナディアのぬいぐるみのおかげで木綿の活用法が分かった。木綿を栽培できるようになれば、彼等も生活が潤うわ」

 笑顔で言ったお婆様は、平民を思い遣る心を持っているのだと感じた。
 お婆様が領主なら、きっと領民も幸福になれたと思う。
 でも、本来の領主はお婆様の息子、私の父親・ダナン。
 あの男は平民を奴隷のように見ているから、彼等の幸福の芽を摘み取る確率が高い。
 でも、彼等の生活が少しでも豊かになるのなら……。

「だったら、綿製の布を作ってもらってもいい?」
「……綿で、布を?」

 目からうろこが落ちる、ということわざを思い出すくらい、お婆様は目を丸く見開く。

 商人の話によると、ユルディス国では綿布産業が盛ん。アナトール王国だけではなく、レヴェント帝国も輸入するほど品質も良好。
 輸入製品に頼りすぎると金銭的な無駄から財政難の問題に繋がるし、せっかく領地にあるものを死蔵させるのは勿体無い。

「綿って、一定方向に繊維が伸びるよね? その向きに合わせて綿を重ねて行けば、柔らかな綿布ができると思って」

 前世の知識をそれとなく持ち出せば、お婆様は真顔になった。
 この際だ。ついでに女性の悩みについての解決案を提供しよう。

「あと、丈夫な布の上に厚みのある綿布、ガーゼ、丈夫で肌触りのいい綿布を重ねて縫い合わせたものを密着性の高い肌着につければ、止血栓を使わなくてもいいと思うの」

 この世界での女性が抱える身体的特徴の悩みは、前世で言うなら近世止まり。
 その悩みを解消する道具は、主に止血栓タンポン
 前世でも中世にかけて、高貴な身分では布、平民は干し草などの不衛生な詰め物。使い捨て用品は、戦争に参加した女性の事情を知った商人が商品にして普及したのだ。

 だから木綿を素材とした多種多様の綿布を開発し、肌に優しく吸収率の高いコットン生地を作るように進言してみる。
 これを聞いたお婆様は、瞠目どうもくした状態で固まった。

「あ、あの……お婆様? もしかして、駄目……?」

 怖いほど固まってしまったお婆様に不安がよぎる。
 しかし、それは杞憂だった。

「ナディア!」
「はいぃっ!」

 がしっと私の両肩を掴んだお婆様が、鬼気迫る顔で叫んだ。

「商会をおこすわよ! もちろん、ナディアの名義で!」
「……ええっ!?」

 唐突すぎる宣言に、一瞬だけ思考が停止する。
 商会、つまり独自の会社を設立させるのだと理解して、驚愕の声を上げた。

 待って。私の名義で商会を……?

「それって……大丈夫なの? お父様達に知られたら……」
「大丈夫、そこはお婆様に任せなさい」

 自信たっぷりのお婆様は、茶目っ気たっぷりに片目を閉じた。
 少し不安が残るけれど、お婆様を信じてうなずいた。

「そうと決まれば綿の生産を安定させましょう。その後に人材確保。最低でも一年はかかるから、その間にいろんな商品を開発してちょうだい」
「職人は?」
「心当たりのある職人はたくさんいるわ。もちろん、商人も」

 お婆様の人脈は広いようだ。この計画を実行してくれる信頼できる人なら大丈夫かな?

「じゃあ、いっぱいいろんな商品を作る!」
「頼りにしているわ。材料の入手は私に任せて」

 グッと拳を握って意気込めば、お婆様は私の頭を撫でて微笑んだ。
 同時に材料の入手と聞いて、あることを思い出す。

「えっと、じゃあ……ハーブの図鑑とかないかな?」
「それなら昔お父様……先代の当主様が入手した植物図鑑があるけど、どうしたの?」
「髪の毛をツヤツヤにするものを作りたくて」

 この世界では、前世と同じく下水道が完備されている。ただしお風呂にする時は、まきで沸かさなければならない。そして、体と髪を洗うときは基本的に石鹸で終わってしまう。
 シャンプーやリンスが存在しないのだ。
 今世は神秘的な銀髪なのに、キシキシと痛んで残念なことになっている。
 幸いにも軟水だから肌を痛めることはないが、流石に私も我慢の限界だったので、うろ覚えでも開発したかった。

「えーっと……確か、クエン酸とグリセリンが主な材料で、そこにハーブの浸剤か煎剤せんざい、二種類の精油、あればココナッツオイルがいるんだっけ……?」
「それは液体なの?」
「うん。石鹸の後に使うの。できれば石鹸も専用のものにしたいけど……」
「髪専用の石鹸? 材料は?」
「確か……固形石鹸を削ったもの、ハーブの浸剤か煎剤、精油、ハーブパウダー。あ、そういえば椿油って髪にいいんだって」

 前世では椿こうじを使った洗髪剤を好んで使っていた。
 椿油はアレルギー性のものがほとんど含まれてないし、上品な香りも女性に好まれる。なにより効果も実感しているから、一番欲しい材料だ。

「ハーブは分からないから、図鑑で調べたいの」
「分かったわ。さっそく図書室に行きましょう」

 流石に子供らしくないから違和感を持たれるだろう。そう思ったけれど、お婆様は気にすることなく、私の手を引いて部屋から出た。

 本当は真っ先にお婆様へプレゼントするつもりだったけれど、完成まで時間がかかるだろうし、材料の入手も難しいから好都合かもしれない。
 洗髪剤が完成したら、今度は化粧水を作ってみよう。これもうろ覚えだから開発できるか不安がある。それでも作ってみせる。

 目標を立てながら、私はお婆様との会話を楽しみながら図書室へ向かった。


◇  ◆  ◇  ◆