領地経営から商会経営など、様々な知識や技量を叩き込まれた。
幼児には過酷だと思える教育だったが、必死にかじりついてものにした。
商会を興すまで時間が足りないのではないかとひやひやしたが、なんとか及第点を貰えるまで技量を身につけた。あとは実践あるのみだ。
とても大変な期間中に、綿だけではなくぬいぐるみ専用の布やハーブの生産体制が整った。
合間を縫っていろんな製品を開発していき――とうとう商会を興す日を迎えた。
「本日はフィリア商会創立の説明会にお越しくださり、誠にありがとうございます。私はフィリア商会の会頭代理、ソフィア・フェリスにございます」
フィリア商会。これからナディア・フェリスが創立する商会。
建物の看板には「三毛猫とネモフィラ・インシグニス」の社章を描いている。
社章は、縁起物・花言葉・語源から選んだ。
猫の縁起は「魔除け・幸運・商売繫盛」。前世の故国・日本と同じく、この世界の東の島国である大和国にも「招き猫」があるので、白地基調に黒色と黄色の三毛柄。
ネモフィラの花言葉は「どこまでも成功」。語源のネモス≠ヘ「小さな森」、フィオレ≠ヘ「愛する」。ネモフィラの生命力は凄まじく、一株を植えれば際限なく根を巡らせて花が咲く。その光景は、まるで春の空が地上に切り取られたかのように美しい。
――猫のように柔軟に、ネモフィラのように広がり、多くの人々に愛される。
これがフィリア商会の願掛けでもあり、掲げるべき指針。
ちなみに蛇足だが、フェリス辺境伯は「瑠璃色の鳥『アズール』×『ネモフィラ・プラチナスカイ』」を家紋の意匠に取り入れている。
地球から引き合いを出すなら、アズールはマウンテンブルーバードと
「オオルリの美声×ウタツグミの
程良く温かい地域を好み、春から秋にかけてラクリマ湖の対岸、山地や
出会えば幸運を呼ぶとされる縁起の良い青い鳥。ラクリマ湖という避暑地への行楽や登山などの観光客の大半が「世界三大鳴鳥の一羽」「幸運の青い鳥」と出会うのが目的だ。
そして、フェリス辺境伯の家紋とフィリア商会の社章に使われているネモフィラ。
印鑑などでは違いが判りづらいけれど、花の種類が違う。
どちらとも春の空のように青い花びら。唯一の違いは葉≠ノある。
ネモフィラ・インシグニス≠ヘ緑色の葉。
ネモフィラ・プラチナスカイ≠ヘシルバーリーフと呼ばれる銀色の葉。
この違いを利用して、ネモフィラの葉の意匠に工夫を凝らしている。
刺繍や色付けされれば違いが見えてくるけれど、フィリア商会がフェリス辺境伯と繋がりがあるのだと気付く人には判る。
これはある意味で最後の慈悲なのだと、お婆様は気付いている。
危険な行為だと分かっている。それでも黙認してくれたお婆様には感謝した。
閑話休題。
建物は今後の発展と工房の規模を見通して、大手商社と変わらない大きさ。
見栄を張っているように見えなくもない、そんな商会の大広間に、男女の職人や薬師、フェリス辺境伯のお抱えの針子だけではなく、理不尽に解雇された商人が集められた。
最初にお婆様が挨拶して、
「こちらがフィリア商会の会頭であり、製品開発部門の部長、ナディア・フェリスです」
ざわり、会場の空気の流れが淀む。
――ここからが正念場だ。
ただの子供だと
彼等の心を掴むためにも、堂々と立ち向かわなければならない。
深呼吸をして前に出ると、私は丁寧にお辞儀した。
来てくれたことへの感謝の気持ちを込めて、彼等へ誠意を見せるために。
「紹介に預かりました、フィリア商会会頭及び製品開発部門の部長を務めるナディア・フェリスです。年齢については、今は目を
微笑を
貴族の生活習慣の一つである礼儀作法は、お婆様からみっちりしごかれた。
美しい作法は身分の良さを証明するからこそ、一流の商人なら目ざとく気付く。その効果を初めて経験して、ほんの少し自信を持てた。
「まず、我が商会の方針を説明します。我が商会ではお客様に気持ちの良い買い物をしていただけるよう、従業員となる皆様の職場をより良い環境にすることをお約束します。例に上げるならば、領地の外での取引先への出張について。交通費と宿泊費は商会が持ち、取引先で重要とされる案件が成功すれば、そこに特別手当という形で給金に色をお付け致します。ただし交通費と宿泊費で不正申告があれば、減給など相応の処罰がありますのであしからず」
通常、商会では交通費や宿泊費の負担というものがなく、全て自己負担だそうだ。
だからこそ従業員に負担のかからない環境作りをすることを第一にしなければ、従業員は商会から離れていってしまう。
「そして、女性には産休・育休という制度を取り入れます。通常、女性は結婚すると子育てのために退職します。ですが、我が商会では強制退職にはしません。ご
私の説明に、小さな囁きさえ聞こえなくなった。
何故なら、第一子を懐妊した時点で解雇されるのが一般常識。
しかし、前世の制度を取り入れることで、常識を打ち破る働き方改革を打ち立てる。
新しい社会政策を構築するのだから、少しでも興味を持ってくれるはず。
特に働きたい意志を持つ女性には、ただ優遇する職場ではなく、平等に働き続けられる職場に魅力的に感じてくれると思う。
「そして、事故や病気で入院した場合について。こちらは医者から診断された診断書を提出して頂ければ、回復・完治する目処である日まで休養期間を設けます。こちらも強制退職には致しませんし、職務中に起きた事故による怪我ならば、商会が治療費の一・五割ほど負担します」
極めつけに怪我や病気に対する不当な解雇をしないと宣言すれば、全員の目の色が変わる。
「皆様は社会人として、いろんな問題に突き当たっているはずです。上司の不当な扱い。理不尽な処遇。女性は家庭を守る者という型に嵌められた差別。自分に合う職を選べない苦痛や、自由意思を尊重されない場面がいくつもあったと、私は思っています」
前世の私は『普通』の枠組みから外されて、社会不適合者となった。
自分に合う職を探す以前に、働くことすらできない。親の
「私は、従業員となる皆様の自由な意思を尊重します。そして、その意思によって成し遂げられた功績を称えます。正当な評価をもって、皆様の働きに見合う報酬を提示します。皆様は商会を支え合う無くてはならない力であり、商会を切り盛りする同士です。故に私は、皆様を蔑ろにするような職場にしないよう尽力することを誓います」
覚悟を持って宣言すれば、衣擦れの音すら聞こえなくなった。
受け入れてもらえたか不安だけれど、彼らに逃げ道を提示しなければ。
「この説明会を最後までお聞きして、自分に合わないと思うようであれば無理に引き止めません。入会する意志を示すのであれば、より良い環境作りに必要な要望ならできうる限り叶えます。質問がある方は手を挙げてください」
――そこからが凄かった。
怒涛の質問攻めを落ち着いて答えるのは至難の業だったけれど、なんとか答えて、彼等に好印象を与えることができた。
始業時間と就業時間、休憩、時給。商品の価格設定、接客についてなど。
あらかじめ決めてよかったと心底思いつつ、説明会が終わった。
入会に不安を抱える者は去ったが、それは片手で数える程度。入会を望む者達が大多数で、特に女性は一人も減らなかった。
想像していたより好感触で驚いたが、次に移ろう。
壁際に控えている男性――商会の会頭補佐を引き受けてくれた領の官吏に目を向けて頷く。
意図を汲み取ってくれた会頭補佐は一礼し、別室に待機している人を呼び、商品を載せた三つの台車とともに登場した。
「取り扱う商品を説明します。まずは、ぬいぐるみ。こちらは契約先の布屋から取り寄せた布と、フェリス領の南で栽培される綿を使って作った玩具です。ひとまず犬、猫、兎、熊、鳥、魚を見本に作りました。そしてぬいぐるみから派生したパペット人形。こちらは人形を片手に嵌めて、自在な動きで演じて遊ぶ玩具です。ぬいぐるみとは違い、こちらは完全な子供向けの玩具です」
手本として自分の手につけて人形を動かす。布と綿で作った剣を持たせ、人形同士が戦って演じて見せたりもした。
「綿を使った製品の中には、月に一度の、女性にとって大変な時期に必要になるものもあります。そちらは繊細な話題になりますので、女性従業員限定で説明します」
私だって、今は子供だけれど女性だ。さすがに男性のいる前で、女性が一番気にすることを声高に言えない。
女性専用の商品を話すのは、女性従業員のみだと気持ちも楽だろうから後回し。
綿を使った商品の説明がひとまず終わると、次は美容品。
「次は……美容品。まずは石鹸シャンプーとリンス。通常の石鹸ではキシキシと傷んでしまいますが、こちらは髪を艶やかに整えてくれます。ただし頭髪は個人によって質が異なるデリケートな部位ですので、使用する材料の組み合わせを変えて、個人に合うものに配合します。こちらの石鹸シャンプーには椿油を使っているので、肌の
独自で編み出したレシピを提示すれば、女性だけではなく男性の目の色が変わる。
美を求めるのは女性の宿業。客への説得力のために、従業員に一定量を定期配布して性能を実感してもらう。
そして男性は、頭皮の臭いは歳をとるにつれ出てくる。仕事先での取引の際に相手を不快にさせないためにも、防臭効果のあるシャンプーは必需品になるだろう。
「次に、化粧水。保湿、吹き出物予防、肌のハリを整えるものもあります。そして、こちらは少し前に開発したばかりの乳液です。化粧水の上に重ねて塗ります。できることなら化粧水の成分と同じ薬効を配合したいのですが、残念ながら私は製薬に明るくありません。ですから薬師の皆様に、こちらの乳液を進化させてくれることを期待しています」
専門家ではない私では全ての効能を一つにまとめるのは難しい。だからここは専門家である薬師を頼るしかない。
悔しいが、お婆様の人脈のおかげで一流の薬師がいる。彼等ならきっとより良い商品に改良してくれるはずだ。
プレッシャーをかけるのではない。ただ純粋に彼等の腕を買っているから言えること。
心を込めた笑みとともに伝えれば、薬師達は製品開発への意欲を瞳に宿した。
「これらを製作する作業部屋には、私が考案した型紙やハーブのレシピ帳が置かれています。特に型紙とレシピ帳は持ち出し禁止です。ただし、置いている植物図鑑からメモを取って構いません。そこから新たなレシピが生み出されれば製品化しますし、その功績から特別手当を出します」
「質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「これらはどうやって宣伝を?」
「お婆様の人脈を頼ります。主に貴族のご婦人ですが、貴族だからこそ美意識が高く、美への追求を怠りません。価値を知ればこぞって求めるでしょう。だから最初は富裕層を狙います」
先に貴族を対象にすれば、使用人を通して平民にも伝わる。
宣伝に打って付けだからこそ、お婆様に頼るのだ。
「『美は羨むものではなく、自らの力で掴むもの』――これをコンセプトに掲げます」
――こうして、私は八歳でありながらフィリア商会を創立したのだった。