将来の下地



 お婆様の誕生日から数ヶ月が過ぎ、秋を迎えた。
 両親は相変わらず妹と弟と一緒に王都にいる。王城で仕事しているらしいけれど、お婆様のお抱え諜報員からまともな部類ではないと聞いた――お婆様に諜報員がいるなんて驚いた。登場の仕方も、まるで忍者だった――。

 諜報員の話によると、部下を不当に酷使して、自分の失態を部下に被せているそうだ。
 そして領地経営は、基本的に家令である執事長に押し付けていた。
 どうしようもない親に呆れるしかない。貴族以前に人間として終わっている。

「お婆様。その人達、解雇されたらどうなるの?」
「路頭に迷うこと間違いないでしょうね」

 悲惨だ。息を呑んだ私は考え込み、私にできる最良の策を提案する。

「信用できる人だったら、お婆様が興す商会の職員にできないかな? 受け入れてくれる確率は低そうだけど」

 父親のせいで辛酸しんさんめたのだ。その家の人間なんて嫌悪の対象になっていると思う。それでも可能性は捨てたくなかった。
 私の想いに、お婆様は苦笑した。

「ナディアの商会だから、好きにしなさい。ただし、自分の力で経営すること」
「うん、頑張る」

 ぐっと拳を作って意気込めば、お婆様は眩しそうに目を細めた。

「そうだわ。領地経営の見学でもしてみる?」
「いいの?」
「もちろんよ」

 お婆様のことだ。商会の経営に必要な技術の一端を見て学べ、ということだろう。
 せっかくだから見学することにして、家令のいる執務室に向かった。


 執務室の内装は重厚なおごそかさがあり、片方の壁一面の本棚には分厚い本が整然と並び、片方の壁側には応接用のテーブルと長椅子が備え付けられていた。
 木々の紅葉が見える窓から差し込む明かりを背に、お婆様と同い年ぐらいと思われる五十代後半の男性が机に向かって書類の山と格闘していた。

 彼こそがフェリス辺境伯の家令――カーティス・スチュアート。

「カーティス、今いいかしら?」
「……ソフィア様。お呼びでしたら向かいましたのに」

 灰色の髪を後ろに撫でつけた彼は、丸眼鏡を指先で押し上げて言った。

「ナディアに貴方の仕事を見学させたいのだけれど」
「お嬢様に?」

 カーティスは私に一瞥いちべつしないまま軽く眉を寄せた。
 怪訝けげんな反応を見ても、お婆様は冷静に説明する。

「商会を興しても、肝心のナディアに商いの知識がなければ、あっという間に倒産してしまうわ。そうならないためにも貴方の仕事ぶりを見せてあげたいの」
「……分かりました」

 乗り気ではないカーティスに、少し申し訳なくなる。
 子供の私が理解できるとは思わないのが普通だし、邪魔にならないか不安もあるはず。

「本日はよろしくお願いします」

 だから、せめてもの礼儀として会釈えしゃくした。

「では、お嬢様。こちらを計算してみてください」

 私が邪魔にならないようにと、さっそく簡単な仕事を与えてきた。
 分かりやすい仕事から始められるなら、私としてもありがたい。

 しかし、カーティスに渡された一枚の書類を見て、思わず眉をひそめてしまう。

「……これは……帳簿? 見づらくない?」

 帳簿と思わしき記述きじゅつと数字がバラバラで記されていた。
 見づらいだけではない。このままでは計算すら間違いそうだ。

「確かに見づらいですが、方々によってつけ方がことなります」

 ……杜撰ずさんすぎる。
 前世では複式簿記というものがある。お金の出入りが分かりやすくなり、業務だけではなく一般家庭の家計簿にも出納帳にも採用されている。
 この世界にはないようで、頭痛を覚えた。

「紙と定規とペンを貸してください」

 できるだけ毅然きぜんとした態度で頼めば、カーティスは眉を軽くつり上げつつ用意してくれた。
 礼を言いつつ受け取って、備え付けの机に向かう。

「これはいつ頃の書類なのか、日付を教えてください」
「七月八日です」
「これはどのような科目ですか? 売買代金とか、手数料とか」

 私の質問に、カーティスは一瞬目の色を変える。

「売買代金です」
「フェリス領の特産品で間違いない?」
「その通りです」
「なら、これは売上表で、いつの売り上げなのか……日付はこれ?」
「……おそらく」

 適当に書かれた日付に、流石のカーティスも言いよどむ。
 断言できないほど分かりづらい書類なのに、今までさばいてきたカーティスはとても有能なのだと分かるけど、私からすれば頭が痛い。

「これが売り上げに関わった商会の名前? この商会の人が書類を作成したの?」
「はい」

 粗方あらかたの質問を聞き終えると、真っ白な紙に売り上げの日付、取引先、商品名、数量、単価、販売価格を書いていく。

「これにかかる税金とか決まってる?」
「ええ。こちらの商品は――」

 フェリス領の特産品はかなりの数なのに、カーティスは全部まで把握している。
 一介の領地に押し込んで領地経営を任せるなんて、勿体無いにも程がある。これほど有能なら、王都で充分活躍できただろうに。
 けれど不憫ふびんとは思わない。フェリス領に仕えてくれて感謝しているし、領地や商会の経営の仕方を教わるための先生になってくれるのだから、この奇跡には感謝したい。

 閑話休題。

 カーティスが教えてくれる商品の名前、税金の金額、書き途中だった販売価格に税抜きと税込みを下書きに書き留める。
 定規で升目をつけて、書類に記載されている内容を書き記していく。途中でメモ用の紙に筆算で計算していき、しっかりした複式簿記が完成した。

「……なんということだ」

 愕然がくぜんとするカーティスを横目に、侍女が用意してくれたお茶を飲む。結構な時間が経っているからぬるくなっていた。渇いた喉を癒せて、ほっと一息つく。
 けれど反面、私は書類の問題点について頭痛が治まらない。

「ねえ、カーティス。税率が統一していないのはどうして? 一定にしないの?」

 問題点を訊ねると、カーティスが戸惑いを見せる。

「一定、とは?」
「特産品だから税金を多めにかけるのはいいけど、他の特産品以上の税金をかけるなんて効率が悪いと思うの。バラバラだとどの商会も把握しづらいし、計算間違いが起きやすいし、脱税しているのか分からない。だから一割もしくは〇・八割に統一する方がいいと思う。買ってくれる人が適正価格だって分かってくれる金額じゃないと買ってくれないだろうし」

 理解力のある消費者なら受け入れてもらえるはずだ。
 税込みと税抜きの金額の横に書いた税率を指差せば、カーティスは瞠目した。

「それに、買ってくれる人って貴族とかお金持ちでしょう? 質の悪いものも含めて同じ金額で売っていたら大変なことになるよ? 質の悪いものなら低めの価格にして、商家とか飲食店とか経営している人にも買えるようにしたら、もっといいはずだよ」

 つらつらと言えば、カーティスだけではなくお婆様までハッとした顔になる。

「ナディア、どこで商品の質を知ったの?」
「え? だってこれ、お金持ちじゃないと買いにくくない? 商品の質を表すものも書かれていないし……全部同じ金額なのかなぁって」

 親切心のない帳簿に困り顔で首を傾げれば、二人は雷に打たれたような顔で固まった。
 衝撃を受けているようだけど、私も衝撃を受けている。こんなに杜撰でいいの?

「あと、商人ってどうやってなるの? 王都の学園以外の方法で」
「どこかの商会に見習いとして入って学ぶのよ」
「だから帳簿のつけ方がバラバラなんだね」

 納得するよう声に出して、複式簿記の内容を流し見る。
 一見、複雑なように見えて単純で、しかも分かりやすい書き方。これができないと自分の商会の収益も分からなくなってしまう。

 前世でも広く活用されている複式簿記。これがどれだけの価値があるのか、一流の商会の会頭なら理解できるはず。

「これを教えられる学校があったらいいのに。そうしたら読み書きも計算も学べて、だまし取られそうなお金もすぐに気づけるのに……なんだか勿体無いね」

 前世の母国には、義務教育というものがあった。一般人でも平等に学べて、識字率が向上した。社会的な営みも発展したし、騙されることも少なくなった。
 自ら考えて行動する力をつけられたら、どんなに過ごしやすくなるのか、前世の知識を持つ私には分かる。
 そんな思いから呟くと、お婆様とカーティスが驚愕のあまり私を凝視した。

「お婆様? どうしたの?」

 不安になって見上げると、お婆様は我に返って真剣な顔をした。

「ナディア、領地経営を学んでみる気はない?」
「……え?」

 唐突な質問に、目を丸くして首を傾げる。

「商会はどうするの?」
「それは信頼のおける人と連携をとればいいわ」
「でも、弟がいるよ? 普通は嫡男が当主になるんじゃないの?」

 私には、両親と妹と一緒に暮らす弟がいる。
 とても可愛らしくて、とてもいい子。両親のせいでなかなか会えなかったけれど、『ナディア』はこっそり会っていた。
 あの優しい子が両親の影響を受けて、もしかしたら横柄に育つかもしれない。悪影響を受けたまま成長して家督かとくいだら、フェリス領の民は搾取さくしゅされる。
 領民の生活を豊かにしようと頑張っても無意味になってしまう。

 様々な懸念けねんから言えば、お婆様は首を横に振る。

「あの子はまだ幼すぎる。ナディアのような才能が開花するのかも分からない。そもそもナディアのように平民に寄り添える考えができるのかどうかも分からない」

 大袈裟だと思ったが、お婆様の目は本気だ。
 領主は嫡男が受け継ぐのが常識だけど、この国では女性でも継げるのかな?

「今から学べば、自分がなりたい将来に役立てる。投げ出したくなったら、あの子が一人前になって任せられると思った時にゆずればいいわ。それにナディアの言う学校も建てられるわよ」

 厳しい選択だけど、領民の生活が潤う可能性を提示する。
 私では役不足だと思う。だって前世の私は『普通』を望めなかったから。

 でも、もし私にできるのであれば、領民が幸せになって、私のことを受け入れてくれるのであれば……。

「……やってみる。ちょっと不安だけど……でも、みんなの力になりたいから」

 怖いし、不安もある。それでも彼等を支えてみたい。守りたいと思ったのだ。
 覚悟を決めて頷くと、お婆様は微笑んで私を抱きしめた。


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