典明くんを押し倒した
◇
典明くんを押し倒すの後日談。
なまえが突然僕を押し倒すという暴挙に出たあの週末から早二週間が過ぎた。
正直、あの時は本当に驚いた。
まさに予期せぬ事態、というやつさ。
一体なにがどうしてあんな行動をとったのか不思議だったけれど、翌日には自分のしたことが恥ずかし過ぎて僕の顔が見れない、となまえが文字通り転げ回り、ひとまずその話題に触れるのをやめた。
そして今日、僕は思いがけずあの行動を引き起こした原因であるだろう雑誌を発見してしまったわけだが…。
「…女性雑誌って結構えげつないな…」
彼女が愛読している、友情・努力・勝利がモットーの週刊少年誌。綺麗に発行番号順で並べられているその雑誌同士の間に、一冊だけ厚みの全く違う雑誌が紛れていることに気が付いた僕は、特に気にすることもなくそれを引き抜いた。
なまえがお風呂に入っている間の時間潰し程度の気持ちで引き抜いたそれは、彼女にしては珍しい漫画雑誌でもファッション誌でもないもので。
流石にそういった雑誌を読む趣味はないのでそのまま元のところへ戻そうとしたのだけれど、雑誌の表紙に書かれている煽り文句が目に付いた。
そしてフラッシュバックする、二週間前に起きた奇妙な出来事。
パラパラと中身を流し見て確信したよ。
なまえは、この雑誌に触発されたに違いないってことを。
…にしても本当に、なんというか…『えげつない』の一言に尽きるな。
こんなものをなまえが読んだかと思うと、思わず眉間に皺が寄ってしまう。
しかしそれと同時に、あの時のなまえを思い出す。
顔を真っ赤にして戸惑いながらも必死に行動して、僕の反応をいちいち不安そうに窺っていたっけ。
あの時僕はただただ不思議だったけれど、あれがこの雑誌を読んだ結果として実行された彼女の行動だと思うと…。
「気にすることなんか何一つないのに」
「の、典明くん…それは…っ!」
「あ、」
お風呂から出たなまえが、立ったまま件の雑誌を読んでいた僕を見て…それはもう愕然とした表情で口をパクパクさせている。
かと思いきや、「うわぁあっ!なに見てんだよかーさん!?」と謎の声を上げて僕から素早く雑誌を取り上げた。
キミ、今『かーさん』って言ったかい?
どうしてエロ本見つかった中高生みたいになっているんだ。…いや、きっと今なまえの頭の中は大混乱で、きっとまさにそういう状況だと認識しているんだろう。
「な、なんでこれ見て…っていうか、ど…何処まで読み、ましたか…?!」
「なんで敬語になっているのかはともかくとして、僕の口からそれを言っていいのかい?」
「ごめんなさいッ!」
雑誌を隠すように両手で抱え、たじたじと僕から距離を取ろうとするなまえの顔は真っ赤だ。
それはきっとお風呂から上がったばかりだからというわけではないだろう。
少し意地悪をしてしまいたくなるのは仕方のないことと理解してもらいたい。
「なまえ、おいで」
「…っ」
前に押し倒されたソファに腰かけ、膝をぽんぽんと叩いて立ったままのなまえを見上げれば、彼女は数秒戸惑ったようだけれど、一度雑誌を遠いところへ置き、そして遠慮がちに僕の隣へと腰を降ろした。
此処はなまえの家なのに、なんだか変な気分だ。
「僕はなまえの素直なところ、すごくいいと思ってる」
「え、あ、ありがとう…?」
「でも、素直すぎてたまに迷走するのはよくないところだ」
「は、はい…すみません」
「なまえ、好きだよ。もちろん全部ひっくるめてね」
「…っ典明くん、あの、」
「この前のあれ、実は結構嬉しかった」
「…え」
なまえが何かを言いかけたのに気付いていながら、僕はそれを無視して…むしろ、わざと気付かないふりをした。
きっと、あの後に続く言葉は「ごめんなさい」だとか「忘れてほしい」だとか。多分そんなようなことだろうと思う。
なまえは、あの行動を後悔しているみたいだから。
まぁ、僕が望む望まないだとか、結果だとか。それがどうであったにしろ、なまえはかなり頑張ってくれた。
他ならぬ、僕のために。
なら、僕もちょっとばかり頑張ってみようじゃあないか。
正直に自分の気持ちを言葉にするだけだ。なまえのためと思えば恥なんていくらでもかいてやる。
「勘違いしないでくれよ、今までが不満だったってことじゃあないんだ。ただ、好きな子が…なまえが僕に触れてくれる行為なら、僕はどんなことだって大概は嬉しいんだ」
「…嫌じゃ、なかった?」
「全然」
「…わたし、その…うまく言えないんだけど、なんていうか、典明くんにも気持ち良くなってもらいたかったっていうか、」
「う、うん」
ちょっとなまえ、もう少しオブラートに包んでくれないだろうか…。
でも今のなまえはとても真剣な表情をしている。彼女自信は、結構際どいことを言っている自覚がなさそうだ。
「わたしはそういう方面に疎いから、いつも典明くんに任せっきりで…でもそれじゃあダメだって、あの雑誌を見て思ったの」
「なまえ…」
ああ、もう。本当にこの子は…。
真っ直ぐで、純粋で。
そこが危なっかしくもあり、けれどそのままでいてほしいと心から思う。
愛しさが込み上げて、僕はたまらず彼女へと手を伸ばした。
触れた髪はまだほんのりと湿り気を帯びていたけれど、僕は構わずなまえを引き寄せ、抱きしめる。
なまえは僕の行動にびくりと肩を跳ねさせたけれど、抵抗なんてものは一切なかった。
「聞こえるだろう?何をしていなくたって、僕はなまえが隣にいてくれるだけでこんなに落ち着きがなくなるんだ」
「…ん、心臓…はやい」
「これ以上は僕の寿命に関わる」
「そ、それは困っちゃうね」
「そう。だからなまえは今のままでいてくれ」
「…うん、」
腕の中で小さく頷いたなまえの耳は真っ赤で、僕もまぁ随分と恥ずかしいことを言ったな。と、今さらながらに思う。
それでも、今みたいな、こんなゆったりとした時間が愛しくて、幸せで。
なまえの体温を感じながら、彼女の少し早い心臓の音に耳を澄ませた。
end
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