承太郎と初夜を迎える
◇
承太郎と純潔彼女の二、三年後くらい。
初夜。
この言葉が示す意味は、新婚の夫婦が迎える最初の夜のことであり、この単語に別段深い意味はない。
けれど関連する言葉として、初夜権…意味としては、…その、新婦が処女であった場合に、新郎より先に新婦と身体を重ねる権利のことを言うのだけれど、まぁそういった類の関連用語があったり、人々の歴史や経験から、初夜は夫婦となった男女が初めて身体を重ねる夜。というような認識が多かったりする。
…わたしは今日、肉親や、古くからの友人のみを招待して慎ましく執り行われた式を終え、披露宴を終え。
承太郎と夫婦になって、初めての夜を迎える…。
式や披露宴が終わって家に帰り着くと、それまでそんなに感じていなかった疲労感が、まるでダムが決壊したようにどっと押し寄せてきた。
それはわたしだけじゃあなくて、承太郎も同じだったようで。
二人並んでソファに深く腰掛け、暫く黙ったままぼーっと天井を見上げていた。
30分程が経った頃、承太郎が「風呂、入るか」という言葉と共に立ち上がったのを皮切りに、わたしたちはお風呂の準備をするために動き出した。
「なまえ、疲れてんだろ。先に入りな」
「ありがとう。でも、承太郎だって疲れてるでしょ?承太郎からどうぞ」
「いや、おれは後でいい。…ああ、なんなら一緒に入るか?」
「えっ、や、そ、それはちょっと…!」
「くくっ、冗談だ。いいから、先に入っちまえ」
「…う、うん…じゃあ、お言葉に甘えて…」
ニヤリと意地悪な笑みを浮かべたかと思ったら、優しく髪を撫でられる。
本当に、承太郎には適わないなぁ…。
付き合い始める前から何度も感じていたことを改めて実感しつつ、わたしはお風呂へ向かった。
髪を洗って、身体を洗って。
その途中で、ふと…気が付いてしまった。
わたしたちにとって今日…今晩が“初夜”であることを。
「(え…やだ、意識しだしたら急に…き、きんちょう、してきた…!?)」
シャワーの温度はそこまで熱くないのに、身体が一気に熱くなる。
心臓がバクバクうるさくて、じっとしていられなくて。
きれいに洗った身体を、もう一度入念に洗い直す。
承太郎がどう考えているのかは分からないけれど、気が付いてしまった以上、意識せずにはいられない。
だ、だって仕方ないよ!
…わたしは、前に承太郎が言ったことも、自分が言ったことも。忘れてなんかいないのだから。
『お前を抱きてえ』そう言ってくれた承太郎に、わたしは『結婚してからじゃないとダメだよ』と、我ながら古臭い理由をつけて拒絶した。
わたし自信の気持ちとしては、そりゃあ、面と向かって言われた時には恥ずかしかったし、いきなりのことに戸惑いもした。それでも、嬉しい、と思ったのも事実だ。
けれど、二年前に亡くなったわたしの硬派…というより、頑固と言っても過言じゃあない性格の祖父から幼少より教え込まれた古い考えが災いし、結局承太郎を拒絶してしまった。
…ううん、やっぱり、きっとそれだけじゃあない。多分、怖気づいたんだ。わたしは。
そういうことに疎いのは自分でも分かっていたし、なにより未体験のことに対する恐怖があった。
だけど、あの日からわたしは何度も後悔した。
あれが原因で承太郎に嫌われてしまったら。
彼が他の人にそういうことを求めてしまったら…って。
でも、わたしは今、ここにいる。
承太郎と約束した、結婚を果たして。
夫婦として、ここにいる。
「〜っ、なんか…涙出てきた…」
変なの。涙が出るのに、少し笑っているなんて。
ボディソープを流す二度目のシャワーは、高い位置からわたしの全身…頭の先から、つま先まで。
少し熱めの温度で以て、泡と、涙と、それから今まで抱えた不安や焦燥を、排水溝の先へと流し去ってくれた。
「(き…、きんちょう、する…!)」
承太郎がわたしと入れ替わりでお風呂へ入っている今、わたしはソワソワと落ち着きなくあちらこちらを行ったり来たり。
今日から新生活!と前々から買い揃えていた新しいパジャマと、上下がセットの新しい下着。
…お風呂から出たんだし、この恰好はおかしくないよね?
し、下着は別に…そういうつもりで気合が入ったものとかではない、けど…。
でも派手すぎないし地味すぎでもないと思うし!承太郎が好きそうな薄い青色だし!…いや、承太郎の下着の好みとか、知らないんだけれど…。
はっ!お化粧は!?今、わたし、すっぴん…!
…でもさっき既にもう見られてるし、逆に変じゃない…?
なんか、その気満々みたいじゃない…?
「ううう、分かんないよ〜…っ!」
「…なまえ、なに枕とキスしてんだ」
「ひゃぁっ!?じょ、じょうたろう…は、早かったね?!」
「そうか?」
ベッドの端っこに座り枕に顔を押し付けて唸っているわたしを、承太郎はとっても訝しげな表情で見ていた。
うぅ、どうしてこういう時、時間の流れってものすごく速いの…?
髪をタオルでガシガシと拭きながら寝室へ踏み込んでくる承太郎を、ほぼ無意識に目で追ってしまう。
いつもは後ろに流している髪が乱れていてちょっとかわいいな、とか。前にわたしが選んだパジャマを着てくれたんだなぁ、とか。
今、本当にわたし、承太郎のことでいっぱいだ…。
「どうした」
「…え?」
「かなりぼーっとしてたぜ。まぁ、今日は流石におれも疲れたし、無理もねえか」
「あ…、うん。そうだね。今日は…ありがとう」
「今日は、じゃねえだろ」
承太郎がわたしの隣に座り、重みが偏ったベッドはギシッ、と音を立てた。
「今日から…いや、これからも、よろしく頼む」
「っ!…はい。こちらこそ、これからもよろしくお願いします…っ」
なんだか妙に改まった雰囲気が恥ずかしくておかしくて。
お互いに顔を見合わせて、小さく笑い合った。
「さて、なまえもお疲れのようだしな。そろそろ寝るか」
承太郎が一度立ち上がり、髪を拭いていたタオルをサイドテーブルに置いてまたベッドに戻って来る。
…これは、ふつうに就寝するってことでいいのかな…?
枕をぎゅっと抱いたまま承太郎の行動を目で追っていると、承太郎はまたも訝しげな表情を浮かべた。
「まだ眠くねえか?」
「う、ううん!わたしも…お邪魔します」
「おい、あんま端にいると落ちるぜ」
「ぁわっ、」
安心したような、す、少し残念だったような…そんな気持ちで承太郎の隣へと寝ころぶけれど、彼の腕によってその位置から更に距離が詰められてしまった。
誰かと同じお布団に入るのだってもういつぶりだろうってくらいなのに、こんなに近く…ほとんど抱き合っているような状態になるなんて…。
「承太郎、流石にこれは近すぎて…は、恥ずかしいよ…!」
「…なに言ってんだ。ようやく念願叶ってお前と結婚できたんだぜ。今までおれがどんだけ我慢したと思ってる」
「う…っ」
そ、それを言われると痛い…。
少し眠たそうに瞬きを繰り返すエメラルドグリーンの瞳は、真っ直ぐにわたしを見つめてくる。
そこに責めるような感じはないけれど、それでもわたしは自責の念で視線を逸らしてしまった。
「だが、おれも鬼じゃあねえ。焦らず、ちいっとずつ、取り戻させてもらう…だから、」
明日の夜は万全にしとけよ。
ほとんど吐息のように吐き出された言葉と同時に閉じられたその瞼。
穏やかに繰り返される呼吸は、彼が眠りに落ちたことを確信させる。
「〜っ承太郎の、ばか…っ!」
身体が燃えてるんじゃあないかと思うくらい。顔や耳から湯気が出るんじゃあないかと思うくらい。
熱くて暑くて仕方ないのに。
わたしは、承太郎と握った手を離すことができない。
…離そうとも、思わなかったけれど。
Happy Bridal Night
end
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