10
そして、手は少し触れただけですぐに離れていった。
触れられた感触だけが、残る。
「俺は、ずっと独りだったから、まーくんが傍にいてくれるのが嬉しかった」
その声はひどく悲しげで。
「……」
「まーくんといると、生きてるって実感できた」
その顔は、今にも泣きそうな子供みたいな顔で。
とても、危うい。
「だから、嫌がられても、怖がられても、憎まれても、まーくんと一緒にいたかったんだ」
でも、彼は泣くことなんてない。
涙を流すことなんてない。
…ただ、寂しそうに笑うだけ。
再び、ぽつりとごめんと謝る蒼に、どう反応すればいいかわからなくて、俯く。
「…(俺だって、)」
俺だって、ずっと一緒にいたいと思った。
蒼と、一緒にもっと色々な楽しいことがしたかった。
蒼と、もっと笑いたかった。
(…でも、)
でも、それだって、今からでもできるんじゃないかって思う。
今からだって、昔みたいに二人で一緒にいればいい。家にいるのが嫌なら、どこかへ遊びに行けばいい。
今までできなかったことを、これからたくさんすればいい。
……そう思うのに。
彼は、そんなことありえないとでもいうように酷く悲しげな瞳で笑う。
「俺は、別に、」
もしも、昔みたいに蒼と一緒にいれるなら、何も――。
「まーくん、は」
俺の言葉を遮るように、暗い瞳で、表情で、微笑んだ。
「俺が、まーくんに何回も薬盛ってたって知ってた?」
「……え?」
蒼が何を言ってるのかわからなくて、一瞬思考がとまった。
(くすり…?)
その単語に戸惑いを隠せなくて、「なにを、」言ってるんだと、そう言葉に出そうとして。
彼の表情に影が濃くなる。
その瞳が、こっちを向いた。
彼は瞬きもせずにこっちを見て、口を開く。
「あの日のこと、思い出した?」
「あの日…?」
あの日って、いつのことだ。
蒼は何を言おうとしてるんだ。
……でも、頭の隅ではわかってる。
俺の中で、記憶がない日なんて、蒼がいなかったと思い込んでいたあの数日しか――。
ぐ、と唇を噛んだ。
嫌だ。
もう、この会話を続けたくない。
心臓が早鐘のように打って、警鐘を鳴らす。
外はこんなに雪が降ってて、寒いはずなのに、身体から火が出るように熱い。
「…あの日っていうより、数日って言うほうが正しいけど」
「…っ、蒼、ちょっと待って」
浴衣を掴んでそう縋れば、彼は、ふ、と笑みを零して俺を見る。
その瞳は、表情は何もかもわかっているようで。
嫌だ。聞きたくない。
胸が苦しい。痛い。
ふるふると俯いて蒼の声を拒否するように首を横に振る。
なんでこんな話をしないといけないんだ。
もっと、別の、もっと楽しい話を――。
その瞬間、頭にふわりと何かが触れる。
「いい子だな、まーくんは」
――ドクン、
その声に、その髪を撫でる仕草に。
(…なんだ、なんなんだ、これ…っ)
胸が痛いほど苦しくて、ぎゅううと締め付けられる。
それだけで、眼球が熱くなる。
やめて。わからない。知りたくない。
「…ッ」
瞬間、脳がチリチリと焼けたように痛む。
嫌だ。思い出したくないと、身体が、心が叫ぶ。
―――「ま が知 ない、 く のひみつ。教えてあげる―…」――――
「まーくんは、自分に弱点があるってこと知った方がいいと思うよ」
記憶の中の蒼の声と、今傍にいる蒼の声が二重に聞こえる。
視界がぐらりと歪む。
顔を、上げることができない。
「全部思い出したら、きっと俺のことを嫌いになる」
嘲笑うかのような悲しげな声が、まるで嫌われたくないのに、嫌われようとしているみたいで。
[back][TOP]栞を挟む