15

***


「…ぅ…」


何かが頭に触れている気がして、波のように漂っていた意識を浮上させて瞼をもち上げた。
視界がぼやけているけど、傍に蒼がいるのを感じて目を擦る。
それに気づいた目の前の顔が、ふわりと微笑んだ。


「あ、まーくん。おはよう」

「…なに……やってるの……?」


寝起きで声がうまく出ない。

(…本当に、なにやってるんだろう。)

頭の上にあるそれが左右に動く。


「よしよし。まーくんは今日も可愛いなぁ」

「……」


何故か至極幸せそうな顔で、すごく上機嫌そうな表情をした蒼に頭を撫でられている。
よしよーし。いい子いい子と小さい子どもを撫でるように頭の上のそれが動く。
なんでこんなに機嫌が良いんだろうと不思議に思うくらい、その顔は至福に満ちていた。

その”可愛い”という言葉に、むうと眉が寄る。

なんだそれ。


「…全然嬉しくないし、そもそも俺は可愛くなんかない」

「可愛いよ。ずっとガラスの箱に入れて飾っておきたいくらい可愛い」


さらっと冗談か本気かわからないようなことを言ってのける蒼に、はぁと息を吐いた。
時々蒼の思考回路がわからなくなるときある。
男に可愛いなんて言葉、絶対におかしいだろ。
キッとその顔を睨むように見上げる。


「…俺は蒼のことをすごく綺麗だと思ってる」


どこかの漫画にモテる男は綺麗だと言われると嬉しくない、と書いてあった。
それに実際女子に言われて嫌そうだったし。

…本当に蒼は多くの女子が見惚れるほどすごくすごく綺麗なんだけど、今までは怒ると思ったから言わなかったけど言ってやることにした。

俺の言葉に、彼は一瞬キョトンとした表情をして、次の瞬間その緩んだ頬がさらに緩む。


「まーくんにそう言ってもらえるなんて、すごく嬉しい」

「…そ、そっか。よかった」


何故か喜ばせただけだった。

ちょっと身構えていただけに、素直に喜ばれて拍子抜けしてしまった。

少しの間そのままで、起き上がった後は部屋に運ばれてきたご飯を食べて、ハンガーにかけておいたはずだったのにいつの間にか洗濯されてアイロンもかけられていた制服を着る。
何から何まで本当に蒼の家はすごいな。


「俺にさせて」


ネクタイを締めようとしていると蒼が手にあったネクタイを取って、首に巻いて結んでくれる。
誰かにそんなことされたことがなくて、ちょっと嬉しさ半分恥ずかしさ半分でどきどきした。

俺がやるより手際が良い。

お返し、という感じで、俺も蒼のネクタイを縛る。
人のをやることに慣れてなくて、何度も結ぶ手が止まってしまう。


「ここって、どうする……、どうしたの?」


指示を貰おうと思って声をかけるも、返事がこない。

不思議に思って顔をあげると、蒼は何故か俺から顔を背けて口元を片手で覆っていた。
耳が、いつもより赤い。


「……蒼?」


首を傾げて顔をのぞき込んで、その表情に目を瞬いた。

頬が微かに朱色に染まっている。
彼は俺の視線に気づいて、頬を染め、とても嬉しそうに顔をほころばせた。


「新婚夫婦みたい」

「…っ、な、何言って」


蒼の言葉に一瞬ぽかんとして、でもその意味を理解して俺まで顔が熱くなった。
じわじわと熱さが全身にまで到達する。


「まーくん、顔赤い」


揶揄うように笑みを零し、頬を手が撫でる。

し、し、新婚って。

…た、確かに漫画でそういうシーンをみたことあるけど…!

奥さんが旦那のネクタイを締めてるシーン。

……ということは。


「…俺が、奥さん役…?」

「うん」


どういう意味だ。
当たり前のように返され、…納得できない。

むぅ、と眉を寄せると「可愛い」と触れられている頬を擽るように撫でられ、余計に新婚感を助長させた気がした。


「本当に、昨日はありがとう。楽しかった」


そろそろ学校に行かないと時間が危ないので登校することにした。

深々とお辞儀をして、感謝の意を示す。
すごく綺麗で、見惚れるほど美しかった。

蒼が見せてくれなければ、一生見る機会なんてなかっただろう。
感謝してもしきれない。

「ううん。俺も、楽しかったから」と首を横に振った蒼が不意にあ、と声を上げた。


「ひとつだけ、まーくんにお願いしたいことがあるんだけど」

「ん?何?」


首を傾げてその顔を見上げれば彼は俯いてぽつりと言葉を零す。


「…これからも朝、一緒に行きたい」


ど、どうしよう。
予想しなかったその台詞に、目を瞬いてどう返そうか迷う。
沈黙を否定と受け取ったのか、蒼は悲しそうに瞳を伏せた。


「…やっぱり、だめだよな」

「あ、いや、そうだな。一緒に、行こう」


その表情に反射的に頷いてしまう。

要は、俺が蒼にそこまで依存しないように、頼りすぎないように気を付ければいいだけのことだから。

せっかく仲直りしたんだし、もうこじれたくない。
それに元々これのせいで蒼の機嫌が悪くなったし、結局この何カ月かで俺は蒼から離れられないのだと知ってしまったんだ。
だから、これ以上やっても無意味だろう。


「じゃあ、明日から迎えに行く」と微笑む蒼に、前も来てもらってるばかりだったからとぶんぶん首を振って「いや、俺も蒼の家に行くよ」と少し強く言えば。

「俺が行きたいだけだから気にしないで」と優しく頭を撫でられて、「でも、」と食い下がれば「本当に、俺がしたいだけだから」と言われて結局迎えに来てもらうことになった。

…でもなんとなく俊介には怒られそうな気がしたので、朝一緒に行くことは言わないでおこうと密かに決めたのであった。
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