9

「……」


蒼が出て行ったあと、残された部屋に沈黙が訪れる。
顎を伝って床に増える染みを見て、ぎゅっと拳を握った。


「……(ああ、もうやだ)」


蒼が悪いはずなのに。
ああいう態度をされて、なぜか心が痛む自分が嫌だ。
こんなことする理由も蒼は、全く教えてくれないし。
この状況から脱却できそうな方法もない。

……もう、耐えられなかった。

ここから、逃げ出したかった。
逃げる場所なんてなくていい。
とりあえず、どこかに行きたかった。

俺のことなんて何も考えてくれない蒼にも。
彼の思うがままにされて、それでもまだやっぱり蒼を憎みきれない自分も。

もう、全部嫌だ。

拳で涙を拭って、部屋の隅に置いてあった俺の学生鞄のところまで這う。

どうしてか、蒼はそれを捨てなかったらしい。
そこにたどり着こうにも、足が動かせないから、こんな方法でしか動けない。


「…痛…っ」


痛みに顔が歪む。
自分の体重のせいで床に擦れて、腕が痛んだ。
ずるずると部屋の隅にさえ、這って移動する自分。

…なんて、惨めなんだろう。

あまりの惨めさに、喉の奥からかすれた笑いが漏れそうになる。

やっとの思いで辿り着いて、チャックを開け、がさがさと中にあるものを探した。
中身は俺が最後に見た時と何も変わっていなかった。

ほっと息を吐く。


「あった…」


ないと思ってたのに、もしかしたらと思って探してみたら、求めていたものがそこにあった。

震える手で、それを持つ。
充電は切れていないらしい。
その画面は鈍い光を放っている。
安心してる場合ではない。

急がないと。

蒼が、戻ってくる前に。


「…っ、」


誰か…、誰かに…。

………誰かに、助けてほしい。

蒼ではない、他の誰かに。

助けてほしい。

誰が、来てくれるだろうか。

俺なんかのために。


「…しゅんすけ」


ぽつりとつぶやいた。
唾を飲みこむ。
迷惑かもしれない。
嫌がられるかもしれない。

でも、でも…。

俊介の声が、聴きたい。


「……」


迷った末、『青木俊介』という名前を探し出して、受話器ボタンを押そうとそこに指をあてた。
画面が切り替わって、プルルとコール音が鳴る。
鳴ったことにほっとして、携帯を耳にあてた。


――その時。


「どこに、電話しようとしてるの?」


思わずぞっとするほど感情のない声が、聞こえた。
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