10
本能的に恐怖で、身体が震える。
――…しまった。
「あお…い、」
見つかった。
振り返った瞬間にみえた蒼の表情に、血の気が引いた。
硬直する俺の手から携帯を取り上げた彼は、その液晶画面を見て、何も言わずに通話を切った。
プツッと微かに聞こえていたコール音が消える。
「……」
「…っ、ぁ、」
床に這いつくばっている俺を、彼は酷く暗い瞳で見下ろした。
瞳の奥に強い憎悪と怒りの色が見えて、それが怖くて、声が出ない。
酷く不機嫌に眉が顰められている。
初めて向けられた強い怒りの感情のこめられた瞳に、息を呑んだ。
「…なんで電話なんてかけようとしたんだよ」
じっと俺を見つめる瞳。
責めるような視線に、ぐ、ときつく下唇をかみしめた。
俯く。
「それ、は…」
正直になんていえるわけがない。
ただ、俊介の声が聴きたかった…なんて。
それこそ、俊介のことをあんまり好きじゃない蒼に言ったらすごく怒ると思うし、言ったところで俺にとって良いことなんかない。
「…わかった。」
「…え?」
「何も言わなくていいから。もう、逃げようとしないで」
「…っ、」
冷たい声音でそう吐き捨てられてびくりと身体を震わせると、はぁと重い息を吐いて彼は硬い表情を緩めて床に這いつくばったままの俺を優しく抱きあげた。
宙に浮かんだ足が不安定で、ぎゅっと蒼の服を掴む。
布団の上におろされて、横にされる。
彼はその綺麗な顔に影を落として俺を見つめた。
「なんで、わかってくれないの…?全部まーくんを守るためなのに」
「守るためって、」
俺が反抗すれば何かにつけ、そう口にする蒼が信じられなくて、顔をそらす。
…何から、俺を守るっていうんだ。
「忘れた?”トモダチ”のためにまーくんがさせられたこと、その”トモダチ”がしたこと」
「忘れてない、けど…」
忘れるわけがない。
忘れられるわけがない。
…でも、板本君は謝ってくれたし、俺のことを今は好きだって言ってくれた。
蒼がどんなにその言葉を信じられないと言ったって、俺は、…信じたいと思う。
どれほどあの記憶が嫌なものだとしても板本君がそう言ってくれたから、俺はもうそれだけであの不良との行為なんてどうでもいいと思えてしまうから。
だからどうして蒼がまだそこまで心配するのか、警戒するのか、俺にはそれが一番理解できない。
…それに。
ふと思った。
もし、俺が今のこの状況を受け入れてしまったら、どうなるんだろう。
ずっと死ぬまで蒼に閉じ込められて生きていくのか……?
家もなく、何もない俺には、それ以外に何も選択肢はないんだろう。
…でも。
ぎゅっと指の先が白くなるまで布団を握りしめる。
「…蒼に、守ってもらわなくてもいい」
ぽつりと言葉が口からこぼれた。
俺だって男だ。
こんなふうに閉じ込められて守られなくても、自分で自分の身くらい守ってみせる。
…いや、そうじゃなくて自分の身くらい自分で守りたい。
誰かの世話になるような生活は嫌だ。
…それが、友達ならなおさら。
「まーくん…?」
俺の言葉が相手の感情を揺らしたことに気づかないまま、悲しみがとまらなくてぶつけるように言葉を吐く。
毎日見る、同じ天井。
蒼がいなければ何もできないようにされている生活。
「もう、嫌だ…」
唇の端から、悲痛の音が漏れる。
嫌だ。こんなの、もう嫌だ。
今の蒼は、俺の好きな蒼じゃない。
何かが、違う。
そう思うと悲しくて、心が苦しくなる。
「俺の足だってこんなにして…、俺の家まで勝手に売って、」
「……」
「友達だと思ってたのに。ずっと、信じてたのに…」
蒼は人形なんて思ってないって言ったけど、俺にはそう思われているようにしか思えない。
ああもう、すぐに眼球が熱くなってくる。
「優しい蒼のことが、大好きだったのに…っ、」
怒りをぶつけるように、悲しみをぶつけるように声を荒げる。
俺はこんなことされたくて蒼と一緒にいたわけじゃない。
脳裏に浮かんできた”彼”を思って、すっと息を吸う。
言葉が、漏れた。
「俊介に、会いたい」
「…っ、」
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