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息を呑む気配がする。
…でも、それでも、今の…蒼はいやだ。
「俺を、解放して、ください…」
顔をそらしたまま、震える声でそう呟く。
こんなこと言って、怒るかもしれない。
だけど、もう嫌だと思った。
行く場所なんてない。
俺には帰る場所なんかない。
でもとにかく、もう嫌だと思った。
「…なんで…?」
俯いたまま、ぎゅっと拳を握りしめていると不意に、そんな震える声が聞こえた。
上擦って掠れた声。
声に反応して顔を上げると、彼は顔を曇らせたまま胸元の服をぎゅっと掴んでいた。
強い力で握っているらしく、その指先が白くなって震えている。
「蒼…?」
ふいにその身体が今にも倒れるかと思うほど、ぐらりと揺れた。
顔から血の気が引いているように見える。
「はは…っ、」
悲痛な面持ちで笑った彼は、くしゃりと前髪を怠そうにかきあげて、顔を泣きそうに歪ませた。
「…本当に酷いな、まーくんは…」
「え…?」
声が小さすぎて聞き取れない。
顔を上げた蒼は、微笑んで俺に携帯電話を差し出した。
「”俊介”くんに電話、してもいいよ」
差し出された携帯を見て、驚く。
「いいの…?」
「うん。…俺だって、まーくんに酷いことをしてるってわかってる。」
「……」
「だから、…俺が、酷い奴だって、最低な人間なんだって言えばいい。そんな男に、閉じ込められて、逃げられなくされてるんだっていえばいい。”俊介くん"に、助けてっていえばいいよ」
信じられないような思いで蒼を見つめた。
自分を蔑むようなことを自嘲気味な声で、でもなぜか優しく寂しそうに微笑みながらそんなことを言うから、蒼のそんな表情を見るのが苦手な俺は、胸が締め付けられるような思いに駆られる。
「蒼…?」
「わかってる。俺はまーくんの嫌がることをしてる。嫌われることをしてる。俺自身が、まーくんを苦しめてるんだって……わかってる」
「…なら、」
分かってるなら、どうして。そう問おうとすると、彼は泣きそうな顔をぐっとこらえたような、悲哀に歪んだその顔を俯かせた。
「でも、やめられない。…どうしても、解放することはできない」
俺は、まーくんがいなくなったら生きていけないから。
そんなことを続けて呟いて、「ごめん」と悲しそうな表情で謝る蒼に、携帯を受け取ろうとした手が止まる。
「…(ああ、もう…ずるい)」
ずるいと思う。
蒼は卑怯だ。
どうせならずっと謝ったりせずに、…そんな辛そうな表情を浮かべないでいてくれたらいいのに。
電話しようとしたことが許せないなら、怒って、罵ってくれればいいのに。
(………だから、…そんな見てるこっちの胸が苦しくなるような顔を、しないでほしい)
携帯を差し出す手が震えているのを見て、瞳を伏せた。
…俺を部屋に閉じ込めることが、蒼にとってどんな意味があるかなんて知らない。
守るっていう蒼の言葉の本当の意味も知らない。
「…ばか、蒼のばか」
吐き捨てるように呟けば、彼はびくりと小さく肩を震わせた。
蒼だけじゃない。
俺も、ばかなんだろう。
俺だって、蒼がいたからたくさん救われて。
傍にいて欲しいと思って。
…蒼がいないと生きていけないのは俺だって、同じだから。
だからこそ、こんなやりかたをされたくなかった。
一緒にいたいと望んでくれるなら、普通の方法で傍にいたかった。
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