3
「初めまして」
「…こんにちは」
優雅にそう挨拶して笑うその人におずおずと頭を下げる。
「痛…っ」
ケータイを受け取ろうとして進めば、鎖のせいでこれ以上外に進めない。
ガシャンと耳に嫌な音が聞こえて、手首が後ろに引っ張られた。
同時に身体も引っ張られ、倒れそうになってバランスを崩しかけた。
仕方ない、と息を吐いて「それ、持ってきてもらえますか」とケータイを指す。
「…へー、なにソレ」
鎖に気づいたのか、そこに視線を向ける男。
一瞬鋭い光を放ったように見えた瞳に、身体がこわばった。
「ねえ、君は蒼くんのペット?それとも恋人?」
ケータイを渡そうともしないで、そう問いかけてくるその人を怪訝に思い眉を寄せた。
…早くしないと蒼が戻ってくるかもしれない。
いつ戻ってくるかと怖くて、焦る。
「……」
ペットと言われれば、確かに閉ざされた部屋で鎖につながれている人間を見たら誰だってそう思うだろう。
恋人って普通、こんな扱い方はされない気がするし。
…というかペットに間違いない気がする。
少なくとも、俺は好きな人にこんなことはしないだろうから。
俺が誰かと話せば怒る。
ご飯も蒼が持ってきたものを食べる。
そして、こうやって、犬小屋よりは遥かに大きいけど部屋に閉じ込められて鎖につながれている。
これがペットじゃないなら、他になんて呼んだらいいんだろう。
(……俺には、分からない)
ぎゅっと拳を握った。
「…多分、ペットの方、…だと、思います」
俯いて、そう声を漏らす。
「へぇ、蒼くんってこんな趣味あったんだ」
興味ありげに手首から伸びる鎖に触れて、「知らなかった」と呟く声。
ふいに、伸びてきた手が頬に触れる。
「それにしても…君、結構綺麗な顔してるなぁ」
「……っ」
そして、「欲しくなりそう」なんて小さく言葉を漏らした。
その身の毛のよだつような触り方に反射的に身体を引いた。
何故か危機感を感じてガラスを閉めようとすれば、端を掴んだ手に尋常じゃない力でそれを拒まれる。
相変わらず笑顔を浮かべる男を、睨み付けた。
「…ケータイ、見せてくれるんじゃないんですか」
「んー。君の反応次第かなぁ」
「反応って」
言われてもどうしろと。
何が言いたいのか分からなくて、聞き返そうとすれば視界の隅に握った拳が振り上げられるのが見えた。
(殴られる――ッ)
「――っ」
重く鈍い痛みが腕に響く。
息が詰まった。
顔をかばったせいで、腕を思いきり殴られる。
衝撃で痺れるほど容赦ない打撃に、顔が苦痛にゆがんだ。
「…っ、」
それに普段鎖に繋がれているせいで筋力も落ちているらしく、簡単に倒れそうになる。
体勢を崩してよろけたところに脇腹を蹴られ、その衝撃で床に転がった。あまりの痛みに、ひゅっと空気が漏れたような音が口から出る。
脂汗が滲み、何とか上半身だけでも起こそうとして床に手をついた。
今のこの姿勢でさえ身体を支えていられない。
「――う、ごほっ、げほ……っ、――はっ、はぁっ」
「ああ、やっぱり人間の苦痛に歪む顔ってなんでこんなに興奮するんだろ?ねぇ、わかる?」
そんな気持ち、分かるわけがない。
分かりたくもない。
まるで痛みに耐える俺を見て興奮しているかのように、恍惚とした表情をして部屋に入ってくる。
もしかして、こいつやばい奴じゃないのか。
優しそうなんて見た目だけで、中身は狂ってる。
そう感じて鼓動が嫌に跳ね上がる。
動かせば激痛が走る脇腹を手で庇いながら、そいつから離れようとしてギンッと何かに阻止された。
(――くさり)
青ざめて、手首と足に嵌められている鎖を見る。
その間もゆっくりと近づいてこようとする男から逃げようと、鎖を引きちぎるような勢いで手を引いた。
ガチャガチャと限界まで伸びた鎖が音を立てる。
でも、頑丈なそれは引っ張ったくらいで壊れるものでもなくて。
男はそんな俺を見下ろして、まるで面白い玩具を見つけた子どものようにケラケラと笑う。…本当、いかれてる。
「あはは、頑張って逃げてよー。簡単に捕まえちゃってもつまらないから」
「蒼…っ、蒼――ッ」
早く、戻ってきて。
蒼の出ていった扉の方に声を上げる。
こんなに心から助けを求めて蒼の名を呼んだのは、これが初めてかもしれない。
「あお―、ッ」
背中に衝撃が来る。
蹴られた、と気づいたときには床に顔から倒れていた。
後ろから覆いかぶさるように背中に乗ってくる男。
青ざめ、殴ろうと拳を握れば、両腕の鎖を一つに纏めて片手で持って頭の上にもっていかれる。
後頭部を押さえつけられて頬が畳に押し付けられる。
畳から香る草のような匂いに、血の気が引く。
……逃げられない。
「あーあ、蒼くんも可哀想に。自分が繋いだ鎖のせいで、まさかペットが食われることになるなんてねー」
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