回想


***

あれは、いつの日のことだっただろうか。


(…確か、)


まだ蒼が転入してきて、1ヶ月経ったか経っていないかってくらいの頃。
ある冬の日の、今までにないほど強く、冷たい雨の降る夜のことだった。
強い北風に煽られて、横殴りの雨がガラス戸に叩きつける音で目が覚めた。


いや、正しく言えば、目を開いた。
緩慢な動作で布団からもぞもぞと顔を出す。
ガラス戸にぶつかる雨が、バチバチと音を立てていた。



もうどれぐらい雨が降ってるんだろう。


昨日の夕方から降り始めた雨は、さらに勢いを増していて、今にも地上を水で埋めてしまうのではないかとさえ感じる。


「…あー…」


やっぱり、眠れない。
時計に目を移すと、夜の午前0時。
かれこれ一時間以上布団の中でこうしている気がする。
羊を121…(だっけ…?忘れた)匹まで数えて、その後はもう数えるのが面倒になってやめてしまった。


「…もう、いいや」


初めからこんな雨の日に寝るなんて無理だったんだ。
…そもそも、普段からよく眠れることなんて滅多にないわけなんだけど。
ため息を吐いて、布団から冬眠後の熊ごとくのっそりと出る。
雨の様子を観察しようと、窓に手を触れて空を見上げてみた。
相変わらず怖いくらい大粒の雨が、暗い空から降ってくる。


(…うわ、)


遠くの空の方では、時折ピカピカと光っていた。


「…感電したら死ぬだろうな」


なんて他人事のように考えて、
不意に視線を落とすと、予想もしない光景が目に飛び込んできた。


「えっ、」


意識するよりも先に、驚きの声が上がる。
なんでこんなところに、ってそんな疑問よりもまず、
玄関まで大急ぎで走って、適当なサンダルを履いてガチャリと重い扉を開いて外に出る。


「…っ、わ、!!」


もはや風を遮るものはほとんど何も無く、先程安全地帯から眺めていた横殴りの雨が今度は容赦なく直接、体に叩きつけてくる。
冷たい氷の刃が何度も身体の皮膚に突き刺さる。

一気に頭の上からそんなものをかぶせられて、目を開けているのも難しい。
話そうと思って口を開いても、すぐに冷えた水のような、鉄の錆が入っているような、そんな味のものが口の中に入ってくる。
雨の音に負けないようにと、声を張り上げた。



「あおいくん…っ!!」

「……、」



虚ろな視線が、ぼんやりとこっちを向いて俺に焦点を定める。
いつからずっとここにいたんだろう。
そう思うくらい、全身ずぶ濡れ状態だった。
制服が水を吸って、色を失くしている。
黒い髪が、濡れて一層黒く見えた。


「なんで、こんな時間にいるの…?!何かあった?」

「…まー…く、ん…?…」


顎から滴る雫。
開いた口の端から白い息が零れる。
その綺麗な顔から、今にも死んでしまいそうに思えるほど、血の気が引いてるように見えた。
いつか見た、息を引き取る寸前の子犬みたいな、そんな感じ。


珍しいほど、反応が鈍い。

蒼君自身、どうして自分がここにいるのかわかっていないのか、彼は考えるように少し首を傾げた。

その間にも、冷たい水が肌を刺すように重く、身体に打ち付けてくる。

最早、巨大な氷を空の上から投げつけられているように感じるのに。
彼はまるで感情を置き忘れた人形の様に、表情を全く浮かべようとしなかった。


「とりあえず、中に入ろう…?」


状況は把握できないけど、蒼君をこんなところに放っておくことなんてできないし、すでに冷たくなっている腕を掴んで、部屋に入ろうと促す。

彼は相変わらず生気のない顔のまま、酷くゆっくりした動作でこくんと頷いた。
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