結婚して、蒼は(彼方ver)

***


……あれから何日もたった屋敷のとある部屋の中。
瞼の裏に焼き付いた光景が、あの姿が一秒たりとも消えてくれない。


鼻がおかしくなりそうなほど大量の血の匂い。
真紅の着物。
血の気を失った蒼の顔。
手足を鎖で縛られて、力なく俯いた意識のない姿。


もう二度と見たくない姿だった。
もう二度と、思い出したくない姿だった。


…今もまだ、蒼は椿さんに囚われている。
状況は一秒一刻を争うのに、俺には何もできない。

死んでいるのかと思ったけど、椿さんが触れた瞬間に微かに動いたのが見えた。
ほっと息を吐くと同時に、想像を絶するほどの痛みがあるはずなのに声一つ上げない蒼に教育の成果が見えて胸が痛む。

それに、椿さんに蒼のこの状態を見せられることで今自分が置かれている状況も、要求されていることもわかってしまった。


蒼の命を椿さんが握っている以上、下手な言葉や行動は蒼の身に危険が及ばせることになる。
「蒼を解放したければ、結婚話を確定させろ」というのが椿さんの命令。

もう、蒼をこれ以上苦しめたくない。
まったく、あの時と状況が全く一緒だな。と何度も利用されるだけの自分自身に呆れてため息も出ない。


…だから。

(もう、二度と同じことは起こさせない)


あんな気持ちになるのはもう嫌だ。
額に汗が滲む。

そうしてこれからのことを考えていると、肩のあたりの浴衣を掴んで揺すられた。


「蒼様?蒼様?聞いていらっしゃいます?」

「…ああ、申し訳ありません。少し考え事をしていました」

「もう、蒼様ってば」


妃さんがムッと拗ねたような顔で俺を見上げてくる。
しまった。気が逸れていた。今は妃さんとお話し中だった。

彼女は俺の腕に自分の腕を絡ませて上目遣いで見上げてくる。



「ねぇ、蒼様。本当にわたくしと、結婚してくださいますか?」

「はい。貴女が嫌でなければ」

「い、嫌だなんて…っ、そんなわけありません…!!」


にこりと微笑んで言えば、彼女は頬を染めて首を勢いよく横に振った。

本当、蒼を屋敷に閉じ込める為だけに、よくこんなことを考えつくものだ。
俺を蒼の代わりにこの人とずっと会話させておいて、”蒼の振りをした俺”と妃さんを婚約…もしくは結婚させた後で、俺を屋敷から追い出し、蒼を解放する。


婚約の時点で少なくとも色々な人と話をしているから、どちらにせよ、もう後戻りはできない。

……そしてこれは断言できる。妃さんは俺が蒼に入れ替わっても気づかないだろう。

父だって、俺が父に内緒で蒼の振りをして彼の目の前にいれば蒼じゃないとは気づかないはずだ。
それくらい、蒼の振りだけは、完璧にこなす自信がある。


結婚して、蒼がやっと今の状況から解放された後。

蒼が、いくら結婚したのが自分ではなく”彼方”だと言っても周りは信じてくれず…結婚した後ではすべてが後の祭りだ。


……まぁ、俺と蒼は見た目も一緒だし性格も真似できるから、妃さんの家のほうも蒼がおかしくなったとしか思わない。


きっと妃さんの家はうまく言いくるめられて、妃さんを一之瀬の家に嫁にやるだろう。
妃さんという妻がいることで、蒼をこの家に縛り付け、ずっとこの家に居させる。
蒼を結婚させれば、蒼をずっとこの屋敷の中に閉じ込めることができる。


そう思ってるなら、大きな勘違いだ。思い上がりも甚だしい。
蒼なら相手が誰であろうと殺してでも、この家を出ていく。真冬くんに…会いに行くと思う。


……多分、椿さんがあんなことをするのは、きっと父の命令のせいでもあるんだろう。

父は蒼を甘く見過ぎている。
蒼の、真冬くんへの気持ちを甘く見過ぎている。

こんなふうに無理矢理結婚させておけば、蒼がその女性をいつか好きになるとでも思ってるのか。
真冬くんのことをいつか諦めると思ってるのか。

相変わらずやり方が汚い。
prev next


[back][TOP]栞を挟む