5

鼓膜を震わす…懐かしい声。


(…………………え…………?)


あまりにもそれは突然だった。
予想なんか、心構えなんか、できるはずもなくて。

……耳に届いてきた言葉に、声に、凍り付いたように身動きが取れなくなる。

ガツンと頭を殴られたようなショックが全身を襲って何も考えられない。
さっきまでの興奮が、昂った感情が、嘘のように消えた。
それと同時に、身体中を流れていた血液さえも失ってしまったかのように…自分の存在を感じられない。
血の気が引いていく。


「……え……?」


誰も何も音を発さなかったのは…きっとほんの数秒だった。

それでも…静まり返ったこの空間に耐えきれなくて、信じられなくて、誰かに救いを求めたくて、今さっき心の中で呟いたばかりの形になっていない言葉が思わず口から漏れる。

その音は、自分でもはっきりとわかる程…震えていた。
身体を支えるために地面についた手。
汚れて沢山の傷を刻まれた手が、異常なほど遠く…現実味のない物に感じる。
ドキッと音がして心臓が止まったかのような錯覚。



(…”まーくん”…?)


今、確かに声はそう呼んだ。

聞き間違えるはずがない。

だって、その人は、その声は、…何度も何度も忘れようとしても、…脳裏に、耳の中に焼き付いて消えてくれなかったんだ。

心臓が震える。
鼓動が音を鳴らす。
目頭が熱くなる。
呼吸が、止まる。


(まーくんって、)


「…っ、」


そんなの、俺をそんな風に呼ぶ人なんて、一人しか――、

心を震わすほど懐かしく感じる声に惹かれるように、自然と視線が吸い寄せられていく。
暗い部屋の中では、よく目を凝らさなければその姿を捉えることはできない。


「……ぁ、」


自分でも何を言葉にしようとしたのかわからない。
小さく言葉にならない声が唇の隙間から零れた。


「っ、」

「お前の相手はこっちだろうが」


…でも、声の方向を見ようとして、…視界を何かに塞がれる。

真っ暗になる。何も見えない。
瞼の上を覆う物から伝わってくる温度に、それがすぐに手だと気づく。
耳元で笑いを含んだ低い乱暴な声音がもう一度吐き捨てるように言葉を囁いた。


「ばーか。俺以外を見てんじゃねえよ。家畜の癖に」

「…ごしゅ、…っ、ぁ、ひ…っ」


ぬぷっ、ぐぷっ、

混乱したまま、後ろから抱くようにして緩い律動が開始される。


「は…っ、理解できねぇって顔だな。優しい御主人様が教えてやる。…お前と市川のセックスをカメラで見物してたのは、俺だけじゃねえんだよ」

「…どう、いう…」


反射的に問い返す。
でも、後に言われるだろう言葉を…その含みをもった声音の意味を、先に理解してしまった。
身体が強張る。


まさか、なんて考えたくない。

(…でも、でも、でも、)

青ざめる俺に構わずにナカに収まっていた御主人様の性器が、ずるりと引き抜かれていく。
ぽっかりと埋める物を失くした後孔の喪失感。
ナカに大量に入っていた白濁液が尻を伝って床に零れていく。
ぶるりとその感覚に身体が震えた。


「俺と一緒に、アイツも見てたんだぜ?」

「…あいつって、…」


わかってるのに、それでも問い返してしまう。
無意識のうちに、答えを求めていた。

ドクンドクンと激しく鳴る鼓動の音がうるさい。

…聞きたい。
でも…聞きたくない。知りたくない。

そう思っているのに、手は耳を塞ごうとしなかった。
それどころか手も、足も動かせない。

そして…耳に軽く触れたその唇は、声は、無情にもあっさりとその名を口にした。


「一之瀬 蒼」

「――ッ!!!」


現実に心臓が止まったかと思うほど、呼吸が出来なくなる。
ドクン、と身体の深いところで心臓が大きく跳ねた。
更に血の気が引いて、わなわなと唇を震わせる。

嘘だ。

そう思いたいけど、さっき耳にした声は確かにその人のもので…、

どうしてここにいるんだとか、いままでどこにいたのかとか、どうしてこのタイミングであらわれるんだとか…そんな疑問よりも真っ先に脳は1つの衝撃の事実に向く。

セックスしていた自分。
血だらけの手。
手に残っている…人の肉を貫いた時の感触。

…そのときのことを…今さっきの出来事を、…御主人様だけじゃなくて、


(…あおいも、ぜんぶみてた…?)


動揺しすぎて、何も考えられない。
呆けていると腰を掴む手の力が突然強くなって、皮膚に食い込む爪に「ぃ゛…ッ」と苦痛の声が漏れる。
微動だにできずにいると、クチュリ、と音がして後孔の入り口に硬いモノが押し付けられた。


「…ぁ、…」


その濡れた感触に、それが何かを知った。
今から起こることを察して、強張った唇でどうにか言葉を絞り出す。


「…まって…」

「いいじゃねえか。”昔の御主人様”に見せつけてやれよ。お前は俺のモンになったんだって」

「…ッ、…でも…でも、…まって…まって…ください…ごしゅ、じんさ…」

「どうした?いつも喜んでケツ差し出して腰振りまくってるじゃねえか」

「…おれ…や…待…ッ、」


嫌だと何度も呆けた頭で呟きながらゆるゆると首を横に振る。
そんな俺の反応を嘲るように喉の奥で笑う御主人様の声。


「はは…ッ何狼狽えてんだよ」

「…やめ…まって、まってくださ…」

「”俺一人で見てた”なんて、そんなこと一言も言わなかっただ、ろ…ッ」

「ぁ…ッ……ひあぁぁあ、あ゛っ――……!」


血の気が引いて反射的に腰を引こうとした瞬間を見計らったように、グチュンッと今までより一層深く根本まで肉棒を捩じ込んできた。
腹が突き破れそうなほど下から犯される。
その激しさにただ喘ぐことしかできずに、身体が揺さぶられた。
目を手で塞がれたまま、もう片方の手で腰を掴んでぬぷっぬぷっと水音を立てて奥の奥まで挿入される。


「あぁっ……ひぁっ、うぐっっ……うぅっ……」

「…っ、は…っ気持ちよさそうに声あげやがって…ッ」

「くぅ……はぁっん、んっ、ひぁ…ッ……」


枯れた喉から出る声。
胸が苦しいほど締め付けられて、何も言葉に出来ない。
身体の深いところから込みあがってくる気持ちのせいで闇雲に涙が溢れてくる。
心がわけもなく、膨らみ、震え、揺れ、痛みに何度も刺し貫かれたように苦しい。

(…こんな俺を、蒼はどう思って見ているんだろう)

これを、こんな乱れた姿を見られてるんだと思うと、…苦しくてたまらない。
早くどっかにいってくれればいい。
ここから、姿を消してほしい。
…俺なんか、二度と視界に映さないでくれればよかったのに。

御主人様に言われる前に、…扉の傍にいる人が誰かなんて…目を塞がれたってその姿を見なくたって…すぐにわかった。わかってしまった。

…だって、俺が…ずっと一緒にいた蒼の声を…聞き間違えるはずないんだから。


「…ッ、はぁあ!…ああっ、…うぁ…っ…ふ…ッ…ぅ゛…ひっ」


苦痛の混じった喘ぎ声に、涙声がはっきりとわかるほど濃く混じる。
喉の奥が痛いほど震えていた。
許されるなら、今すぐにでも声を張り上げて大声で泣きたかった。


(…会いたくなかった)

こんな姿、見られたくなかった。
たとえ、愛想をつかして呆れられたから、蒼が俺のことを捨てたんだとしても…。

…こんな、こんな場面で再会なんかしたくなかった。
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