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(…おれはごしゅじんさまのもので、ごしゅじんさまのためだけにいきてるんだ…)


だから、他の人を求めたりなんかしない。

不意に頭に重みが加わる。
その手はゆっくりと撫でるように動いた。
そうしてもらえるだけで高ぶった感情が静まっていくのを感じる。


「そうだな。お前はアイツが嫌いなんだ。可哀想に…一度お前のことを捨てたヤツの顔なんて二度と見たくなかったんだろ?」

「…ッ、ごしゅじんさま…っ、」


声が優しい。
頷いて隣に立ってる御主人様の脚に腕を回すと、軽くしゃがみこんで抱きしめ返してくれる。
閉じた瞼をその身体に押し付ければぼろぼろと零れる涙が服に染みていった。


早く蒼をこの部屋から追い出してほしい。
俺の視界に入らないようにしてほしい。
声を聞かせないようにしてほしい。


これ以上、…もう俺なんかを彼の瞳に映させないでほしい。


だって俺も蒼も…今はお互いを必要としていないんだから、もう二度と会う必要なんてないんだ。


「ごしゅじんさま…っ、ごしゅじんさま…ッ」

「おーよしよし。可哀想になぁ」


泣いて縋ればそんな哀れみの声と同時にぽんぽんと慰めるように頭を叩いてくれる。
さっきまでの不機嫌な声は夢だったのかと思うくらい、今は機嫌が良いらしい。


「…は…ッ、お前のその顔…すげぇ久々に見た」

「…?」

「面白ぇ…ッ、やっぱお前も人間だったんだなぁ…?」


頭を撫でられながらずっと抱きしめられていると、これ以上ないほど上機嫌で笑いを含んだ御主人様の声が聞こえた。
声を上げて笑うその様子が珍しくて、緩慢な動作で顔を上げる。


一瞬自分のことを言われているのかと思った。
でも、御主人様が視線を向けていたのは俺の方じゃなかった。

なんでそんなに嬉しそうなのかとその視線の先を追いたかったけど、もしも彼と目があったりしたら俺はきっと普通じゃいられなくなる。


だから蒼の方は向けなくてじっと御主人様を見上げていると、不意に視線がこっちを向く。
こんなに至近距離ではっきりと目があったのは初めてで、少しドキリとした。


緊張しながらそれでも目を逸らさないでいると口端を上げて微笑んだ御主人様が俺を抱きしめたまま耳元に口を近づけてくる。
低く、少し上擦った声音。


「家畜…お前、俺を好きだって言ったな」

「はい」

「俺がお前を使い捨てにすると言ってもお前はそれでもいい、好きだと言った。この言葉、嘘じゃねえよな?」

「…はい」


どうして今そんなことを言うんだろう。
御主人様に何回聞かれたって、俺にはそれ以外の返事なんかないのに。

ついさっき思いきり引っ張られていた場所を優しく撫でる手に嬉しさを感じながら質問されるたびに軽く頭を上下させた。
ぐったりと身体に思うように力が入らない。
首を縦に振るだけで精一杯だった。
ふ、と吐息を漏らす声。
喉の奥でクツクツと笑う音。

ぎゅっと抱きしめてくる腕の力が強くなる。


「気が変わった」

「……ッ」


唐突に囁かれたその短い言葉に何か返そうとして言葉に詰まる。
強く抱きしめられているせいで身体が痛い。
圧迫された肺によって呼吸が苦しい。


「家畜」

「は、い…っ」

「お前に今から一つだけ命令する。もしそれを達成することができたらお前の望み通りにしてやってもいい」

「…めいれい…?」


なんだろう、と心の中で言葉を反復する。

御主人様が俺に…?

すごく気になったけど、でもそのことよりも別のことに意識を奪われた。


「おれの、のぞみ…」


ぽつりと呟いて、働かない頭でぼうっと考えていると御主人様の唇の端が歪んで持ち上がる。


「愛してやるよ。一生俺の家畜として」

「…ほんと…ですか…?」


無意識に声が高くなって上擦る。
戸惑いの感情と一緒に歓喜の感情が込みあがってくる。
思わず御主人様の服を掴む手の力が強くなった。

(一生…ってことは…俺から御主人様が離れることはなくなるってことなのかな)

そんな疑問を読んだように声は応えてくれる。


「お前のことが気に入った。捨てたりしねぇ。絶対に嫌がったって逃がしてなんかやらねぇよ」

「…っ、……」


じわっと眼球が熱くなってくる。

嬉しい。
嬉しい。
本当に…?ってまだ信じられない気持ちもあるけど、御主人様が嘘なんかつくはずない。

俺は…もう一人にならないで済むんだ。
御主人様の命令がどんなものか知らないけど、それさえ果たすことができれば俺とずっと一緒にいてくれるんだ。
胸に熱いものが広がって、喜びの感情で全身が満たされる。


「嬉しいか?俺に”好き”って言ったその言葉の責任の重さを、お前の一生をかけてじっくりとその身体に刻んでやる」

「…はい…」


安堵でまた違う涙を流す俺を強く抱きしめてくれる御主人様の体温を感じながら、さっきよりも大きく頷いた。
無意識に口元が緩む。
良かった。
また俺にもずっといられる居場所が出来る。

余韻に浸っていたいけど、きっと御主人様は甘えるばかりの家畜は好きにならない。
ちゃんと期待に応えないといけないんだ。

抱きしめてくれる腕を掴んで重い身体を起こした。


「…それで、…おれは…なにをすれば…」


簡単なことだったら良いな。
内心そう祈りながら顔を上げると、御主人様は「ああ、心配するな。お前にならすぐにできる」と口角を上げて微笑んだ。
その笑顔に安心して俺も頬を緩める。

自分に出来ないことじゃないと知って、多少緊張していた神経が緩む。

期待して命令を待っていると、その唇が動いた。


「簡単なことだ。俺に飼われたいなら、俺を愛してるっていうなら…アイツを、」


御主人様の視線が俺から逸れる。
映る対象が違うモノへと変化する。


「一之瀬 蒼を殺してみせろ」


その声は、雰囲気は、普段の御主人様とは全く違う色を纏っていた。
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