12
いや、もう既に何かがぐちゃぐちゃだった。
壊れる。
うまく脳が機能しない。
結局案内すると言ってくれたまーくんと一緒に廊下を歩く。
あの男よりも俺を優先してくれた、そのことが嬉しくて、多少安堵して胸をなでおろす。
でも、少し前を歩くその後姿を見て、ぐ、と息が詰まった。
本当に…?
俺のこと、本当に 忘れて――、
「…っ、」
頭がガンガンする。
どうしよう。どうしたらいい。
どうすればこの心臓が何度も何度も何度も何度も何度も握り潰されているような感覚が収まる…?
どうすればいい。どうすれば痛くなくなる。
わからない。
わからないから苦しい。
他の人間ならこういう時にどうすればいいかわかるのかもしれない。
…でも、そんな方法俺は知らない。
知らないから、ただもがき苦しんで耐えるしかなくて、
我慢するしかない。
そうわかってはいても、ここまで強烈な痛みが走ったことなんて今までになかった。
(どうしたら、…っ、)
心臓が内側から掴まれて、捩じられて、潰される。
いっそのこと引きちぎってしまいたい。
何も考えられないように、何も思考できないように…全部全部全部心臓ごと抉りだしてしまえたらどれだけ楽になるだろう。
「あの、一之瀬君って呼んでいい?おれ、柊 真冬っていうんだ。よろしくな」
「っ、」
そんな風にまるで初めて会うみたいに
俺のことなんてまるで知らないような顔で、俺に笑顔を向けてくる。
昔と変わらない…見てるこっちが癒されるような笑顔を浮かべて
あの時と何も変わらないのに。変わっていないはずなのに。
まーくん…
まーくんは、本当に
「…俺のこと、覚えてない?」
「”覚えてない”って、」
戸惑ったような表情で、俺の言ったことをただ繰り返すだけの言葉。
(…酷いな。)
まーくんは酷い。
全部忘れて、俺を置き去りにした。
俺だけを過去に捨てた。
あの約束のこともなかったことにして、俺と出会ったことなんてどうでもよかったことみたいに……存在まるごとその記憶から消してしまった。
「…(…本当、酷いよ。まーくんは)」
どろっとした激しい感傷が鋭く胸をよぎった。
それと同時に津波のように全身に広がる痛み。
飲み込まれる。
その波はあまりにも大きくて…暗くて…逃げられない。
抵抗さえしなかったけど、
でも意外に、その感覚に身を委ねること自体は気持ちの悪いものではなかった。
はじめて感じる。
……ここまで、強烈な感情。
伏せていた瞼をゆっくりと上げた。
…俺を見上げるまーくんに、思う。
「…(…嗚呼、可愛いな…)」
可愛い。凄く可愛い。全部が愛しい。
俺のことを忘れてても可愛いから、そんな些細なことは許してあげようかなってそんな気分になってくる。
まーくんに自分を忘れられたから、怒る…?許せない…?
何を考えていたんだろう、俺は。
大切なまーくんにそんな感情をぶつけるなんて筋違いだ。
今目の前にまーくんがいることに変わりないんだから、俺を忘れたことなんてどうでもいい。
まーくんはまーくんなんだから。
他に代わりなんていないんだから。
いてくれるだけで、いい。
(…でも、)
でもさ、まーくん
”約束” は ちゃんと守らないとだめ、 だろ…?
これだけは、赦さない。
(…いいよ。他のことは全部忘れてても、)
そんなことどうだっていい。
もう思い出さなくたっていい。
だって、まーくんには辛いことがあったんだから。
俺のことを忘れるくらい、嫌なことがあったんだから。
だから…全部忘れてもいいから、
「俺のことは蒼でいいから。よろしく、”まーくん”」
…――今度は絶対に、もう二度と俺から解放してあげない。
――――――――――
(”約束”、)
(忘れたなんて言わせないから)
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