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……

…………


気分が悪い。

…というより、今日は異常に虫の居所が悪かった。

苛々して、自然と目が据わる。


「…一之瀬、君、あの、」

「いらない。俺に近づいてくるな」

「…っ、」


何度無視しても、懲りずに何か手紙のようなものを持って近づいてくる女に吐き捨てるように返す。
話しかけてくるな。俺を視界に映すな。気持ち悪い。

一応学校ではあからさまに態度には出さないようにしているけど、そこまで言葉にしそうな程機嫌が悪かった。

考えなくてもわかる。


その原因は、

今見えている視界、

…廊下の先で話している二人。


(…なんでまーくんにあんな女が、)


急いでそっちに行こうと隣を通り過ぎようとして、腕を掴まれた。


「――ッ、」


さっきの女の、手。
そう分かった瞬間、一気に嫌悪感と吐き気が増幅する。


「どうして?!どうしていつもそんなに冷たいの…?!どうして柊にだけは」

「…触るな…っ、!!」


小さく悲鳴にも近い声を上げて振り解く。
心の準備ができていなかったせいで、予想外に大きな声をあげてしまった。

…いつもなら、こんなに取り乱したりしないのに。

(…落ち着かない、何故かわからないけど、心臓がどきどきして落ち着かない。不安でたまらない)

嫌だ。こんな思いをするのはもう嫌だ。
なんでここまで苦しくなる。

まーくんが他の人間と話してるだけで、…それだけなのに。

別にキスしてるとか、そういう関係じゃない。


「俺、もう行くから」


さっきの女から距離を取りながら、視線は自然と廊下の先に吸い寄せられる。
楽しそうに笑って話す、まーくんと…知らない女。

(…っ、まーくんがそんな顔で、誰かに笑うのなんか見たくない)

感情が、抑えられない。


「一之瀬君…!ちょっと…!」

「…っ、触るなって言ってるだろ。邪魔」


どちらに苛ついているのかもう自分では整理できていなかった。
引き留めようと、また腕を掴まれる。

そんなのはどうでもいい。
今気になるのはまーくんのことだけ。


(…やめろ…っ、)


やめろ。
まーくんに、近づくな。

とてつもない嘔吐感が込み上げる。

まーくんが他の人間と話すことは…仕方ないこと、で

仕方ない。
仕方ない。

…だってこんなに人間がいるんだから、少しくらい他人と話すことがあってもおかしくない。

そんなことわかってる。
頭では理解してる。

…でも、嫌だ。

(…どうしよう、)

もしまーくんがあの女を好きになったらどうしよう。
俺じゃなく、あの女とずっと一緒に居たいと思うようになってしまったらどうしよう。

不安になる。
怖くなる。
寒気がする。

以前、他の女とまーくんが話しているのを見て何度も感じたのと同じ痛みで胸が覆い尽くされる。
その痛みは、回数が増える度に強くなっていって、…鳥肌が立つ。

見ればわかる。
あの女は、危険だ。

変な目で、…まーくんを見ている。
昔嫌がってるのに気づかずに抱きしめて首を舐めていた女と、同じ目で見ている。

……同時に、あの時泣いていたまーくんの顔を思い出した。
それを見て、心に湧き上がった自分の感情も。

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。


「気持ち悪い」


誰かにまーくんを”そういう目”で見られるってことが、見られているって知ることが、今すぐにでも吐きそうな程気持ち悪くて仕方がない。

そういうものから自分とまーくんを切り離せたら、どれだけ生きやすい世界になるだろう。

無意識に発した言葉に、女が唖然として目を見開く。
自分に向けられたものだと勘違いしたらしい。
「何で…っ!気持ち悪いって、私校内で一番可愛いのに…!…そんな言い方ひどい…!」と憤慨して睨み付けてくる女に、心の中で毒を吐いた。

勝手に触ってきたのはお前だろ。
そう言いたいのをぐ、と堪えて、こんな奴に関わっていられないと無視しようとした。

でも、

「私と柊、何が違うの。そこまで露骨に態度変えなくてもいいでしょ…!?」

「全部」


何もかも全てが、同じ生物かと疑うほど、…まるで違う。
なんでそんなことすら自分でわからないんだ。この女。


「でも、一之瀬君が柊にだけ優しいのは、性的に”好き”だからでしょ?私知ってるんだから。貴方が柊を好きになった人間、近づいた人間に何をしてるのか」

「…っ、…は?」

「男のくせに男を好きになるなんて、頭おかしいとしか思えない」

「っ、」


嘲笑にも似た笑み。
唇の端を歪めて、俺の反応を見て嗤う。


「何その顔。あんな目で柊を見ておいて、人から遠ざけておいて、…友達を奪われたくない独占欲しかもってない、とでもいう気?」

「……煩い、」


”性的に好き”…?”独占欲”…?

俺が、まーくんに…?

違う。

俺とまーくんの関係はそんな言葉で定義づけられるほど簡単じゃない。

(…何も、知らないくせに)

ふざけるな。
どいつもこいつも何も俺とまーくんのことを知らないくせに。

知った風な口調で言う。
少し相手のことを見ただけで、上辺の情報を集めただけで、全部を知った気になって他人はこういう人間だと決めつけようとする。

馬鹿げてる。


「違うから。…俺はまーくんにそんな感情は抱いてない」


否定した。
自分に言い聞かせるようにもう一度違う、と心の中で呟く。

でも…動揺して心が揺れる自分にも気づく。

以前も今と同じことを言われた。
誰か忘れたけど、…あの部屋に閉じ込めて奴隷たちに好きにさせた人間の一人だったかもしれない。

そういえば…遠い昔に…”好き”には色んな感情があるんだって誰かが言っていたのを思い出した。

家族に対する好き、友達に対する好き、恋人に対する好き…そのほかにも色々…、
恋人に対する好きには性的な感情が含まれていて、セックスしたいとか、確か本にもそんな感じで書かれていた。

…でも、俺のまーくんへの気持ちは、コイツの言うような感情じゃない。

まーくんのことは好きで、可愛いと思う。抱きしめたい。ずっと一緒に居たいと思う。
他の誰よりも、まーくんにとっての大切な存在になりたいと願っている。

離れる前に自覚した時から、その想いは変わってない。

だから、傍にいたいから…一緒にいるためにできることをしてるだけで、

…それだけで、別に俺はまーくんとそういうことがしたいわけじゃない、から。

あの人がやっていた、気持ち悪い行為をまーくんにしたいなんて思ってない。
まーくんにあんな気持ちを味わわせたくない。

そう、思ってるのに、


「…(…なら、なんで、)」


…俺はあの時、まーくんにキス、…した…?

その時は知らなかった。したかったからしただけ。

でも、キスは一般的な概念としては恋人とか、そういう風に好きな人間に対してするものらしい、から、俺は友達としてではなくて、


…まーくんを…性的な  意味で


「…(違う、…違うに決まってる)」



そんな汚い感情はいらない。

俺は、まーくんと一緒にいたいだけだ。
笑顔を見たいだけだ。

…それなのに時々異様に感情がおかしくなって、爆発しそうになってまーくんを無性に傷つけたくなる時がある。

だめだってわかってるのに、抑えられなくなりそうになる時がある。
この感情もおかしいのか、それとも皆がそう思うことがあるのか。


…それすらわからない。
俺には…どうしてもそんなに多くある種類の感情の区別の方法が分からなかった。


「ねぇ、一之瀬君。もし柊に向けた感情が性的なものじゃないっていうんなら、証明…してくれてもいいでしょ?」

「…っ、」

「それが、柊のためにもなるんだから」


中3にしては派手に毛先が巻かれた髪。
臭い香水の匂い。

俺を試すような言葉を吐いて、腕を絡めてくる。

――――――――――

(嗚呼、)

…誰もが、自分のことしか考えていない。
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