17
✤✤✤
帰り道。
…やっと、まーくんと二人きりになった。
「…まーくん…」
「蒼くん…大丈夫?」
「………」
「宮芝さんと何か言い合いしてたのが見えて、その後二人ともいなくなったから何かあったのかなって…。その、ずっと保健室に居て…戻ってきた時も様子が変だったから…」
「……大丈夫じゃない。元気ない。…まーくんに癒されたい」
こてん、とその首元に額を乗せて甘えるような声を出す。
……疲れた。
悩んで、悩んで、でも答えを見つけられなくて。
知らなくていい気はするのに。
でも、ああいう周りが愛だの恋だのの話を持ち掛けてくると、どうしてもいらない知識を植え付けられてしまう。
今までは誰も教えてくれる人なんていないから、いなかったから。
まぁ、感情なんて誰かに教えてもらうような物でもないんだろうけど。
…迷子になった思考はもう出口を見つけられそうな気がしなかった。
ため息まじりの吐息を漏らす。
そうすればまーくんは背中を擦ってくれて、
幼い頃のように少し遠慮がちに髪を撫でてくれるから、瞼を閉じて身体の力を抜いた。
弱り切った心が少しずつ回復していくのが分かる。
穴が開いて、ぐちゃぐちゃにされた心が満たされていく。
生きてるって実感。
「…なんか、最近毎日ハグしてる気がする。俺と蒼くん」
「……うん。落ち着く…」
「っ、う、ど、どう反応すればいいのか、な…。…ていうか、そういうのは女の子に言った方が喜ばれると思う、けど…」
そうやってすぐに女、女って言う。まーくんのスケベ。女好き。許せない。浮気者。
内心ムッとして、その背に腕を回して自分の腕すら痛いほどぎゅうううっと抱きしめながらまーくん、ともう一度呼ぶ。
「いだだ…っ、な、なに…っ?!」
「…まーくんは、この世界に好きな人間ってどれぐらいいる?」
「…え?好きな、人間…?」
答えはわかってる。
でも、きっと前だったらまーくんは迷いなく”くーくん”って答えてくれたんだろうな。
…そう思うと、寂しくて、胸が痛くなる。
そして後はお母さんとお父さんって答えたと思う。
どれだけ暴力を振るわれても、嫌なことをされても、まーくんは人を嫌いになれない。
昔もそんな雰囲気があったけど、こうして記憶を失くした後のまーくんは尚更それに拍車がかかったと思う。
教師に用事を頼まれれば体調が悪くても、熱が出てても引き受けるし。
どれだけ忙しくても他人に頼まれると引き受けてしまう。
…そして、まーくんは自分に好意を抱いてくれる人になら…、構ってくれる人になら何でもする。
…昔よりも危うげな雰囲気が更に濃くなった。
すぐにナンパにも引っかかりそうで心配になる。
「…んー?ど、」
「あーあ…。まーくんには、数えきれないくらい沢山いるんだろうな…」
聞いたのは自分のくせに言葉の先を聞きたくなくて、遮る。
むっすーと自分でも何言ってるんだって思うけど拗ねた子どものような言葉は一度口から出てしまえばとどまることを知らなかった。
さらさらと風によって僅かに揺れるまーくんの髪が頬を掠めて、良い香りが鼻をくすぐる。
「…俺よりも大切な人なんか幾らでもいるんだろうな…」
俺がまーくんだけを求めていても、まーくんにとって必要な人間は俺だけじゃない。
胸の内で呟いた言葉に、自分で打撃を受ける。痛い。
…女々しい。
自分で言いながら女々しすぎる。
こんなことやめよう。まーくんを困らせるだけだ。
…ごめん、と呟いて身体を離そうとした
瞬間、
背中に回った腕に力が込められる。
「そんなことない…!」
「…まーくん…?」
強い否定の声に、顔を少し上げる。
ちょっと怒ったような表情で、俺の両方の頬に叩く勢いで手が触れた。
「俺、蒼くんのこと大好きだから…!すっごく、すっごく優しいし、俺のことを気遣ってくれるし、一緒にいると…不思議なくらい安心、するし……なので、…他と比べられないくらい…凄く…大好き、です」
「…っ、」
(嗚呼、)
(もう…本当にまーくんは狡い)
こんなに普段は誰の言葉にも何も感じられない俺の感情を、全部を揺さぶるような言葉をかけてくる。
本人は無意識にやってるんだから、たちが悪い。
他と比べられないくらいって言葉が…嘘でもいい。
それくらい、その声で聞けたことが何よりも嬉しかった。
…まーくんは、何回俺の涙腺を刺激すれば気が済むんだろう。
(…もう今死んでもいい)
いや、死にそうだ。
今日死ぬかもしれない。
こんなに幸せなことがあると後が怖い気がする。
幸せすぎて、怖い。
いっそのこと何かに殺されるくらいなら、まーくんに殺してほしい。
…ああでもそうしたらまーくんと一緒にいられなくなるから嫌だな。うん、嫌だ。
まーくんへの執着でそんな幸せすぎて死にたい欲望はほんの一瞬で消えた。
でも、今なら何でもできる気がする。
(…嬉しい。嬉しすぎる)
今まで頑張ってきて、本当に良かった。
これ以上の幸せなんてない。
「…ありがとう…。俺も、まーくんが…大好きだよ」
「…っ、なんか恥ずかしい、けど。でも…安心した。ありがとう」
えへへ、と緩く笑うまーくんに縋るように身体を抱きしめる。
…困った。
まーくんのせいでしばらく顔が上げられそうにない。
泣きそうな顔なんてまーくんに見せたら、心配させるだけだから。
必死で震える声を抑えて、ふざけたふりをしてまーくんの肩に笑いながら閉じた熱い瞼を押しつけた。
―――――――――――
(あのさ、まーくん)
(…俺は、今までまーくん以外をどんな意味でも”好き”になったことないんだよ)
多分、これからも他の人間を好きになれるような気がしないから。
だから、この感情がどういう意味か…なんて、一生わからないんだろうな。
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