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✤✤✤


俺とまーくんは高1になった。
当たり前だけど、同じ高校にした。
…だけど、だからといって俺達の仲が見てわかる程進展したわけでもない。

していることは中学の時と何も変わらなかった。


屋敷の中、夜。



「…っ、は…ッ、」


力が抜けてずるずると身体が崩れ落ちそうになる。
しゃがみ込んで、掌で口元を拭った。


(…あー、こんなに吐いたら痩せるかも…。そうなったら、またまーくんが心配する…)



それだけは避けないと。
…心配、してくれるかな。
まーくんに心配もらえるのは、それはそれで気分的には悪くないんだけど。


「…(…でも、ばれるわけにはいかない)」


こんなことしてるって知られたら絶対に嫌われる。軽蔑される。
もう友達としてでも一緒にいてくれなくなるかもしれない。

洗面台で顔を洗って、顔を上げる。

鏡に目を移す。
手を伸ばしてそこに触れた。…冷たい。
濡れた髪の一部から頬を伝って、顎から水が落ちて服に滴っている。
身に纏っている着物の隙間から見える肌は、先程の行為のせいで赤く爛れていた。

そこに映る自分は、今にも死にそうなほど暗い色の瞳をしている。

…あーあ、絶対こんな顔まーくんに見せられないな。

はは、と乾いた笑いを浮かべようとして…無理だった。


「………っ」


胃からせりあがってくる何かを抑えるように口元を手で覆う。
熱い。汗が止まらない。
それと、喉が引きつれるような咳。

寝不足…と、多分昨日の薬が原因だろう。

最近延々と緊張状態が持続しっぱなしで、ふらふらになりそうなところを家の者に見つかってドーピングを打たれた。

…明日はテストだから勉強しないと。変な点数を取ったらそれこそまーくんと一緒にいられなくなる。それに、あの部屋に連れてきた”アレ”も、どうなっているか一応様子を見に行かないといけない。

それに最近まーくんと二人きりの時間が減って俺もやることが増えて警戒の目も増えて高校に上がってから特に変な目で見てくる人間が多すぎて昨日のまーくんが俺に…、あれ、今何考えてたっけ…わからなくなってきた。

…嗚呼、だめだ。うまく思考がまとまらない。

変な思考を振り払おうと軽く首を振る。
濡れた髪から水が散った。

違う。さっき考えてたのは、確か…そうだった。あの部屋に連れてきたアレ等のこと、


「…これ以上、増えたら困るな…」


今まで通りまーくんに近寄る人間を全員引き離していたらきりがない。
これからはもっと慎重に、行動しよう。…できるかはわからないけど。
…流石にまた学校の人数が減ったら騒ぎになる。


「…熱い…」


吐く息さえ熱い。
眩暈がする。

…もうすべてどうなってもいいような気がしてくる。
明日にでも心も、身体も、まーくんの何もかも強引に全部俺のものにしてしまおうか。


そうすれば…俺はこんなに苦しまずに済むようになるだろうか。


(……だめだ。そんなことをしたら…、まーくんが嫌な思いをする)


せっかくまーくんが俺以外とあまり接触しないようになったんだから。
…まーくんに何度も辛い思いをさせて、やっとここまで来たんだから。


…でも、もしこの記憶喪失が…治ったら、治ってしまったら…まーくんにとって俺は必要じゃなくなるかもしれない。

全て記憶が戻るのは良いことだけど、…嬉しいことだけど…でも、そんなことが起こったら…まーくんは別の人間の所に行って俺はいらないって言われる可能性だってある。

不安や心配事が多すぎて、頭の中が整理できなくなってきた。

最近、以前よりもまーくんの笑顔をみることが少なくなったような気がする。
どうして。わからない。でも、
いつも俺に気を遣っているような…そんな顔ばっかりで。


…俺は、こんなことがしたかったのか。
本当にこういう関係を望んでいたのか。


(…なんでこうなったんだ…っ)


思いきり殴りつけるように壁を拳で叩く。
ドン、という音と同時に拳に走る鈍い痛み。
壁にぶつけた部分の皮膚が擦り切れていた。

あー、赤いな…とやけに現実味のない頭でそこに視線を向ける。
でも今のでちょっと冷静になれたような気がする。


「蒼様、先程連れていらっしゃった人間どうなされますか?」

「…いつもみたいに好きに遊んでいいよ」


少し離れた場所で問いかけてくる黒服に、怠く視線を向ける。
その瞬間口角を上げて、歪んだ微笑を浮かべた男は


「は、畏まりました」


一度お辞儀をして、立ち去った。
…”例の部屋”に向かったんだろう。

障子を引いて外廊下に出た。
ギシ、ギシ、と木の板の上を音を立てて歩く。
風が冷たい。
その風が頬を撫でて、ひらひらと着物を揺らした。
夜が支配する暗い庭に目を向ける。

…色のない瞳で、ほのかに世界を照らす月を見上げた。


(…どうか、)

(臆病な俺を赦してください)


誰に赦されたいのかさえわからないまま、心の中で呟いた言葉に心臓が締めつけられる。
痛い。
服の胸の辺りをぎゅっと握りしめた。

……でもそんなことで揺れる感情が収まるはずはなくて。


「…まーくん」


ぽつりとその名を紡ぐ。
今日学校で怪我をしていた指に気づいて、巻いてくれた絆創膏。

そこに軽く唇で触れて、…静かに瞳を伏せた。

――――

わからないんだ。

…俺は、どこでやり方を間違えたんだろう。
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