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…最初から、世界に俺とまーくんの二人だけだったら良かったのに。

何度そう思ったか数えきれない。

浅く息を吸う。
嗚呼、呼吸が…苦しい。
喉が渇いて、カラカラに干上がる。


「…だから、」


酷く歪んだ視界で、男を見据えた。


だから

お願いだから、頼むから


「俺から、まーくんを奪おうとしないで」

「…っ、一之、瀬」


無意識に懇願の響きを含んで、震える唇。
男の目が、驚いたように見開かれた。

他の物なら幾らでもくれてやる。
でも、まーくんだけは渡さない。渡せない。誰にも取られたくない。


「…まーくんだけは、…絶対に嫌だ」


想像しただけで死にそうになる。
おかしくなりそうになる。

…こんなんじゃ、永遠にまーくんを手放せそうにない。


「…なんで、そんなに変に独占欲強いんだろうな」

「………知らない」


コイツらにわかるわけがない。
…理解してもらおうとも思わないけど。


「本当、お前らって似たもの同士っつーか…」

「…は?」


よくわからない言葉を呟く男に、怪訝な声が零れる。
こうして無駄な会話をしている間にも進む時間に、気が急く。

まーくんを屋敷で一人にしておけない。
だから、早く帰らないと。

これ以上こんなくだらないことに時間をとられたくなかった。


「そういえば、お前の名前、”俊介”…で当たってる?」

「…え、ああ…そう、だけど」

「…そっか。良かった」


間違えたら面倒なことになるから無事に本人確認できて安堵する。

それに今ならまーくんに気づかれることも、見られることもない。…好都合だ。


「なぁ、知ってた?」

「…何を?」


…知ってるわけがない。気づいてる素振りも全くなかったから。


「まーくんが一時期お前に寄っていってたのは、…ただ自分と育った環境が違うから珍しくて興味を持っただけだってこと」

「…っ、」

「まーくん自身も勘違いしてたみたいだけど、別にお前に特別な感情を抱いていたわけじゃない」

「…ッ、何が、言いたい」

「…誰でもいいんだよ。まーくんは、自分を見てくれる人間さえいれば、構ってくれさえすれば、それがどんな奴でも好きになろうとする」


それがたとえ、自分に暴力を振るうだけの対象だとしても。
…幼い頃のまーくんを見ていればすぐにわかった。
”くーくん”も例外じゃない。

たまたま、あの時傍にいたのが、出会ったのが俺だったから。

もし拾われたのが他の人間だったとしても、まーくんは相手のことを同じように好きになったはずだし、何も変わらなかっただろう。


「……でも俺は、他の誰でもいいなんて…そんな生ぬるい感情はいらない。…俺だけを、好きになってほしい。俺以外なんて、一瞬でも瞳に映してほしくない」


寂しいような、苦い感情に瞳を伏せる。


「…こんなに想ってるのに、…なんで、まーくんは俺だけでいいって言ってくれないんだろうな」


いつになったら、”俺”を必要としてくれるようになるんだろう。

だから他の物に執着しそうなリスクは、全部排除しないといけなくて。
障害物が多すぎるせいで、対処しきれなくなりそうで困る。


ぽつりぽつりと悩み相談のように思いを吐露しながら、さり気なくポケットに入れていた手を取り出した。
握った指に触れる、硬い皮の感触。
銀色に光る鋭利な刃。

手の中で弄ぶようにしてナイフを転がした。


「どうしたらいいと思う?俊介クン」

「そ、れ…っ、」

「…ま、そんな方法なんて聞くまでもないんだけど」


それを目にした瞬間、男の顔色が変わる。
蒼白。そう表現するのが正しいような気がした。

俺のことを調べてたっぽいのに、こういうことしてるとは知らなかったらしい。
もしくは…、自分がその対象になるとは予測できなかったのかな。

いつもだったら、屋敷のあの部屋に連れていって黒服達に遊ばせるんだけど。…やめた。コイツはもうそんな次元じゃない。不穏分子になりうる。


…大事な人を取られる危険性があるものは、全部消しておかないと。


「何を、」

「…悪いことした、…なんて、俺はまーくん以外に思ったりしないから」


容赦はしない。
相手の動きを目で捉えながら、低い声音で吐く。


「っ、一之瀬、お前自分が何しようとしてるかわかってんのか?!」

「…わかってるよ」


言われるまでもない。
…そうでなかったら、こんなことしようとしてない。


怯えて、一歩足を後退させる男の視線が、

一瞬退路に向いた瞬間


ナイフを構えて足で地を蹴った。
身体に吹き付ける冷たい風。


「―――ッ!!」


男の口から漏れる、鋭く突き刺すような叫び。

ばいばい、と嗤った自分の声は、それよりも大きな肉を貫く音にかき消された。


逃げて刺して殺して殺して


殺して殺して殺して殺して………どうして、


「…っ、」


息が乱れる。
心臓が苦しい。
身体の震えがとまらない。
汗が額から零れ落ちてきて、地面に落ちた。
…一度制御を失くした感情は簡単には静まることをしらない。


仕方ない。
仕方なかったんだ。


(まーくんと俺のために、やらないといけないことだった)

まちがってない。
これでいい。


「…俺にはまーくんだけで、まーくんには俺以外いらない」


頬に飛んできたドロリとした液体。
それを手の甲で拭って、瞼を閉じる。
込み上げる感情に胸を熱くしながら祈るように呟いた。

―――――――――――――――

(普通に愛せるなら、)

(……とっくの昔にそうしてたよ)


できることなら、普通に愛して愛されてみたかった。
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