5
まーくんがしばらくして眠りについたのを見届けて、部屋を出た。
ガラガラと閉じたドアに鍵をかけ、そこに背を預けて額を手で覆う。
色々考えないといけないことが多くて…頭が痛い。
「……」
夜風に当たり、軽く息を吸って酸素を肺に取り入れるとひやりとした冷たい空気が入り込んでくる。
空気は冷めきっていて、肺や気管支に触れたその場所がひりひりと痛んだ。
…頭を振って、でもさっきまでの考えを振りほどくこともできずに引きずったまま、袖をはためかせながら廊下を歩く。
…と、
「お前、跡を継がないとごねてるらしいじゃないか?」
(…この、声)
一瞬で思考が固まる。
今は聞くはずもなかった、声。
最早本能で、反射的に背筋がゾッとして全身が凍った。
(っ、なん、で…)
夜風のせいではない。
全身から冷や汗を垂れ流しながら、震える身体を必死に抑え込んで、急いで振り向いた。
熱風に当てられたわけでもないのに、喉が渇いて干上がる。
視界に映った人間に、”その人”に…信じられなくて、自分の眼球を疑った。
ぐ、と握った拳さえも震えて、
指先が異常に冷たい。
なんで、ここに
(まだ帰ってこないはずじゃ、)
「ははは。そんな嬉しそうな顔をするな。感動の再会だろう?愛しの息子よ」
「……」
「勿論、覚悟はできてるだろうな?」
その人間の背後には、何十人といる黒服達の姿。
逆らえるはずがない。
…嗚呼、いつだって俺はこの人の気まぐれで全てを壊されるんだ。
――――――
別に俺は何をされてもいい。
でも、今一番気がかりなのは…部屋にいるまーくんが無事でいるのかってことだけだった。
(…とは思ったものの、)
「もっと、普通に連れてくるっていうまともな思考はないんですか」
「躾は最初が肝心なんだ。それに息子が父親の道具になるのは当たり前のことだろう?」
上に持ち上げられて吊るされた腕が痛い。
額から流れてくる血が目に入りそうになって片方の瞼を閉じる。
…まさか、まだこんな趣味を持ち合わせてるとは思わなかった。
小学生の時もまるで俺がこの人より下位の存在だと周りに示すように首輪をつけられ、鎖の先を握られた状態で屋敷内を引きずるようにして歩かされたのを思い出す。
「きちんと毎日指定した注射はしてるだろうな?」
「…はい」
従わなければいけない理由がこっちにもある。
「はは、結構結構。屈辱ながらも従うお前は見ていて小気味が良い」
…今も、昔よく”教育”目的で使われた部屋で。
手足を天井から降ろされた鎖に繋がれ、膝をぼこぼこのコンクリートにつかされた。
相変わらずこの部屋はいつ見ても変わらないな。
床を見れば、膝をついた場所周辺に以前俺が流した血が幾つかこびりついてた。
今も服の中をおりていった血がぽたぽたと床に垂れている。
…今日もそこにもっと新鮮なものが足されるんだろう。
「…本当に貴方はこういうくだらないプレイが好きですね」
「お前だって好きだろう?加虐趣味のある人間はこのようなシチュエーションを悦ぶ」
「……」
……確かに…、俺だってまーくんに似たようなことしてる、んだよな…。
(…あーあ、似たくないことばかりこの人に似てしまう)
自覚すればするほど吐き気がする。
「生憎と俺にはそんなアブノーマルな趣味はないんですけど」
「嘘を言うな。小学生の時だって散々好きで奴隷どもと交尾しながら性器で感じる快楽に負けて腰を振っていただろう。あいつらの中にはオスもいたはずだ。跡継ぎを孕むことを狙っている馬鹿な女だけじゃなく、男の奴隷どももお前のソレで大層歓ばせていたのに、その趣味がないだと?笑わせるな」
「……」
こんなことは最早慣れたことで、冷めた瞳で見上げれば喉を鳴らして可笑しそうにケラケラと嗤う。
…好きなわけない。あの時は嫌だって叫んでも喚いても、助けを求めても誰も助けてくれなかった。そうする以外に生きていく術もなかった。
「…俺がそんなことしてくれって頼んだこと、一度でもありましたか」
「まだ根に持っているのか?交渉材料として、取引のたびに幼いお前の身体を好き放題に遊ばせたこと」
「ッ、」
ニヤニヤとわかった上でそうほざきながら笑みを浮かべる顔に、
瞬間、
その光景が、感触が鮮明に蘇って、身の毛もよだつような鳥肌と吐き気が喉の辺りまで込みあがってくる。
「…っ、」
込み上げてきた胃酸を、必死に出さないように堪える。
ここで醜態を晒せば、もっと不利な状況になるだけだ。
(…まーくん、)
まーくん。
何度もその姿を思い浮かべて、心の中で呼ぶ。
嬲られて、貶されて、ぐちゃぐちゃになって、そうしておかしくなりそうだった感情が穏やかに波を沈められていった。
脳裏に思い浮かべるだけで、胸が苦しくて、でも精神的に落ち着く。
そうすれば自然とマシになってくる感情と感覚に、静かに息を吐いた。
(…今、どうしているんだろう。大丈夫かな。…何か、嫌なこととかされてないかな。)
心配で、息が詰まりそうになる。
この人に聞いてみたいけど、何があったとしてもこの人は素直には答えないだろう。
笑って揶揄って、楽しむだけだ。
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