7



それから、解放されたのは次の日の真夜中だった。
ほぼ1日拘束されていたらしい。

鼓膜に残る、声。

昔と同じように何の理由もない、ただのストレス発散の遊びと称して散々ナイフで身体を嬲られた。

身体を引きずるようにして、歩く。
動くたびに裂けた皮膚が、内臓が、悲鳴を上げた。



「…っ、は…っ」


途中で思わず身体を壁によりかからせて、一瞬だけ呼吸を整えて、
また、歩く。

頭痛が酷い。
ドク、ドク、と全身が心臓になったみたいに鼓動が速くなっていた。
それに、流れ出ていく血のせいでほとんど視界なんて見えていないから、多少ふらついてしまう。
歩みを進める度に、ぽたり、ぽたりと床に垂れる雫。



治療なんてする余裕はない。
今更そんなものどうでもいい。


「…っ、」



ただ、会いたくて。
どうにかして、この揺れる心をその傍にいることで落ち着かせたくて。

こんなことはもう屋敷内でも珍しいものでもなくて、ほとんどの黒服達は見て見ぬふりをする。
でも、最近入って来たばかりの者は驚いたような表情で駆け寄ってきて、それを雑に振り払い、ただひたすら角を曲がって進んだ。



”なぁ、息子よ。お前はわかってるんだろう?そのヒイラギマフユがお前のことを好いていないことくらい”


(…わかってるんだよ…っ、そんなこと)


”あのガキも思っているだろうな。早くお前が消えてくれないかって、死んでくれたらって、そうしたらこんなに自分は苦しまずに済むのにって”


「…ああ、でも」


あの人の、言う通りなんだ。
ヒク、と喉が熱くなって震えた。

俺はまーくんの望みなんか気にしてない。
どれだけ嫌がってるかなんて、わかってるはずなのに見てみないふりをした。
何度泣かせたことだろう。…数えきれないぐらい、脳裏に浮かんだ恐怖に涙を流す顔を思い出し、胸が潰れそうになった。



―――――――――――


部屋に戻って、すぐにベッドを目に映した。

出ていった時と何一つ変わらない。
眠っているその姿にほっと吐息を漏らす。
でも、それでもまだ完全には安堵しきれずに警戒を解かないまま傍に近寄っていく。

ある程度動けるように鎖を長くしておいたから、何度かベッドの上で体勢を変えた形跡があった。
寝返りを打ったのか身体の上から剥ぎ取られてしまっていた布団をかけ直して、名を呼んでみる。



「…まーくん」

「……ん、…」



横を向いて、少し身体を丸めた状態で眠っている。
目の辺りにかかっている髪を指先で軽く退けた。
綺麗な額が晒されるとまーくんは途端に実年齢よりだいぶ幼く見える。

その透き通るような白い頬に軽く手の甲で触れてみた。

できるだけ血で汚さないように、そっと触れた瞬間、それがわかったのか唇の隙間から零される小さな寝息。
嫌な夢を見ているのか、眉を寄せて瞼を閉じていた。
髪が濡れて肌に張り付いている。

とりあえず見たところ、怪我をした様子も、乱暴された雰囲気もない。
目も眩むような安堵感が身の内に広がった。



「…はー…っ、良かった…」


一気に広がった安心に、崩れ落ちそうになる。
目尻が下がって、頬が緩む。
緊張が緩みすぎて、そのベッドの横にへたへたと力が抜けて座り込んだ。
振動で身体の傷が結構痛むけど、今は安堵感でそれどころじゃない。


こんなんだから、俺はあの人に弱みを握られてしまうんだろう。

そう自覚していても、これだけは変えられる気がしなかった。


「…ぅ、……ぁ、…」


その唇が何かを言おうと形作られて、しかし明確な単語にはならない。
何の夢を、見ているのだろうか。
ずっとうなされているような表情で心配になる。

とりあえず何かせずにはいられなくて、よしよし、とその頭を撫でてみる。
少しだけ表情が柔らかくなったような気がして、それがわかって頬が緩んだ。


飽きもせず、しばらく寝顔を眺めながらそうしていると

不意に寝言まじりに、


「ぁ、お…」

「…っ、…何?まーくん」


無意識だろう。
手が何かを探すように動いた。

自分の手を重ねて優しくそれに応えながら、俺はここにいるよ、と小さく囁いて顔を綻ばせる。



と、


「…ッ、!」


手を伸ばしたせいで、傷を負った腕から電撃のように痛みが伝わって全身に広がってきた。
そのせいで苦痛に声が漏れて少し強く握ってしまう。


「…ぁ、」


起こしてしまったらどうしようと、少しだけ身構えた。
…まぁ、その瞼に目隠しをしてるから、たとえ今目が覚めても俺の姿は見えないんだけど。

それでも、そのまま一瞬だけ意識を浮上させてまた眠りに入ってしまった様子にちょっとだけ泣きたくなるような、よくわからない感覚。


(…起きない方が良いに決まってるのに)


何を期待してるんだろう。


”このまま、傍にいて何事もなく幸福に終われるとは思うな”


…あの人の、声。


「……、」


(…最初から、)

(自分が幸せになれるだなんて、考えたこともないよ)

絡めた指に力を入れて、きゅ、と握った。
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