どうして、君じゃないと駄目なんだろう。
……
……………
ぽたり。ぽたり。
額を伝って汗や水とは別のものが唇におちてくる。
「…っ、はは、…ッ、」
乾いた笑みを浮かべた瞬間、口の中に混じった血で噎せて軽く咳き込む。
…当たり前だけど、無理だった。あの人数に敵うわけがなかった。
最初から全員殺せるわけないと思っていただけに諦めるのも早かったけど、当然のようにいつもの場所で、いつものように拘束される。そして頭の上からぶっかけられた氷水がぼたぼたと流れてきた。
「……、」
寒さによって体温が下がり、ガチガチと歯が鳴った。
それを唇を噛み締めることで堪えようとして、不可能に気づく。
身体中傷つけられまくったのと頭を殴られたせいで途方もない量の血が上から下に蛇のように肌を伝っておりていった。
…”あの人”はいなくなったのに、どうしてまだこんなことになってるんだろう。
色を失くした瞳で、少しだけ俯かせていた顔を上げる。
そんな些細な行動だけで痛みに呻いてしまった。
生活感のない部屋。
長い間掃除をされていないせいで、まだ壁にこびりついている血の色。
見慣れすぎる景色に、最早何も思う所もない。
「…っ、」
ただでさえナイフを容赦なく突き刺された腕は無造作に上から鎖で持ち上げられていて、今すぐにでも死にそうな程の激痛で。
唇の隙間から吐いた息は熱い。
「…どうせなら、殺してほしかったんだけどな」
…息が、苦しい。
傷のせいじゃない。
この部屋の空気が悪いせいでもない。
そうじゃなくて、違う意味で胸が苦しかった。
まーくんのいない世界なんか、なんの価値もない。
生きている意味もない。
そんな世界なら要らないし、死んだ方がマシだ。
しかし残念ながら、願いは叶えられなかった。
死ぬことができていたら…そうしたら、もう追いかけなくて良かったのに。
…こうしてまた、思い出さずに済んだのに。
「……まーくん、」
…嗚呼、やっぱり手放しておいてよかった。
傍にいないことに、安堵の息を漏らす。
今もし近くに居たら無理矢理にでもどうにかしそうだった。
…だって、今更勿体ないような気がしてくる。
どうせ心が手に入らないくらいなら、俺のせいでまーくんの心がどれだけ傷ついて傷ついてぼろぼろになって泣いたって気にせずに、
おかしくなって壊れてしまったとしても、傍にいてもらえばよかった…なんて、
今でも思ってしまうから。
(…どっちにしろ他の誰かのものになるくらいなら、壊れてしまった方がいいはずなのに)
…あのまま傍にいられたら、こんな気持ちにはならなかっただろうか。
少なくとも今すぐに抱きしめて、キスすることは容易にできたはずだ。
たとえそれが”まーくん”と呼べないものに変わり果てていたとしても、…多少は満たされたかもしれない。
…でもやっぱりそうなるのは、変わってしまうのは嫌だったから離れたんだけど、
「…やっぱり勿体ないことしたかな…」
吐息まじりの後悔。
なんて、未練がましい台詞を小さく言葉にして、持て余した。
……”ばいばい”って告げたときの顔が脳裏に焼き付いて離れない。
どうやっても、忘れられなかった。
”…なん、で…ッ、”
瞼を閉じると浮かんでくる。
記憶に残る愛しいまーくんの、顔。
まさかあんな表情、してくれると思わなかった、から。
(…結構、堪えた)
うまく表現できないけど、息が詰まるような…凄く変な感じで。
別れを告げることはまーくんにとっては嬉しいことだと思ってたから、そんな反応に、どうしていいかわからなくて。
湧き上がる感情をただどうすることもできずに持て余して、困惑して、瞳を伏せた。
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