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さっき安堵したような表情は一瞬で、すぐにそれは焦ったような表情に戻った。
「そんなところにいたら危ないよ」とこっちを見上げながら声をかけてくる彼に、「…くーくん、」と呼びかける。
返事を待たずに、両手を伸ばした。
「だっこ」
呟いた声が震えている。
…寂しかった。
なんて自分がそんな感情を抱えていたことに、今更気づいた。
(…おれは、こんなにちょっとの間でもくーくんがいないとだめで、寂しくて、胸が苦しくて、)
ほとんど泣きそうな顔になっているだろうおれの顔に、彼がふ、と酷く可笑しそうに微笑む。
「…いいよ。抱っこ、してあげる」
仕方ないなぁというように優しく笑って「おいで」と同じように右手を伸ばしてくるくーくんの首元に、抱き付くようにして木から降りた。
「…っ、と」
「ばか、くーくんのばぁか」
おれの体重を受けて軽くよろめいた彼の耳元で、毒突いた。
もっと素直な言葉がかけられないのか、って自分でも思う。
だけど、
…顔を押しつけた彼の髪からする、香り。彼の体温。
それを感じるだけで嬉しいと思う感情に、強く瞼を瞑った。
(知らない、おれを置いていこうするくーくんなんか、…知るもんか。)
だけど、そんな心とは正反対に、腕は彼を離そうとすることなんかできない。
きゅ、と唇を結んで、もう一度小さく罵る。
「…ばか」
「…、うん」
「………もう、おれをひとりにしないで」
だっこされたまま、部屋に戻ろうとする彼の首にぎゅっと縋りついて、熱くなる瞼をその首筋に押し付けた。
「寂しい思いさせて、ごめん」と謝る彼に何も答えない。
だって、
…彼の香りに混じって、知らない匂いがした。
―――――――
(今、…くーくんは、)
(…誰と、何をしてきたの?)
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