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部屋まで運んでくれたくーくんに抱き付いたまま、されるがままで、部屋に戻った途端にあんなことをした自分が恥ずかしくなってバタバタと離れた。
……帰ってきた彼はいつも通りだった。
特に何かをおれに言うわけでもなく、言い訳することもない。
(…何、してたの、って)
聞きたい。
だけど、
……何故かすっごく疲れたようにぐったりと部屋の隅に腰を下ろして、壁に背を預けているから、
だからこそ余計に…何してきたの、なんて聞ける雰囲気じゃなかった。
ので、
じとー。
いつもみたいに飛びつかずに、ただひたすら疑いの目で見つめるばかりのおれに、くーくんは普段と変わらず片膝を立て、そこに腕を預けながら、首を傾げる。それに応じて、少し伸びた黒髪がさらりと揺れた。
「…何?そんなにじっと見て。」
「……」
「それに、凄い距離遠いし」
「…じとー」
疑ってるんだぞ、っていうことをアピールする為にわざと声に出す
…と、
「…嗚呼、もう…なんでそんなに可愛いの」
「か、かわ…っ?!」
ふわりとあまりにも甘すぎる笑顔を向けられて、心臓がドク、と跳ねた。
そして、警戒するように少し離れた場所から体育座りで見上げていたおれに、手を差し伸べてくる。
「こっちにおいで」
「……、やだ」
「なんで」
む、と不機嫌そうに眉を寄せるくーくんから、ぷい、と顔を背ける。
だって、…いつもと違う匂いがする、…なんて口が裂けても言えない。…言いたく、ない。
「…まーくん」
「…や、やだ!」
そ、そそそんな縋るような目で見られても、言うことなんか聞かない!と果てしなく動揺しながら、今度は身体ごと背を向けた。
こんなことしてるくせに、背中ではビンビンにくーくんセンサーを敏感にしていて、彼の気配を感じ取っていた。
「……俺のこと、嫌いになった?」
「…っ、ちがう…!けど、」
微かに低くなった声音に、後ろを向いたまま首を振る。
むしろ嫌いになったとしたら、こっちじゃなくて、くーくんがおれのことを嫌いになったんじゃないのか。
(…香水、みたいな…確実に誰か、女の人の…匂い)
そんな匂いつけてきて、何もしてなかったわけがない。
「…っていうか、俺が限界だから来て欲しいんだけど」
「…ッ、」
言葉通り、
彼の普段より大分余裕のなさそうな声音に、ぴくっと身体が反応する。
狡い。くーくんは狡い。
……そんな風に言われたら、凄く凄く嬉しくなっちゃって、抱き付きたくなってしまうじゃないか。
だけど、「…い、いかない!」と幼稚園児みたいに首を振って拒絶した。
「もういいや」
「…ぁ、」
深い息を吐いた後の、台詞。
突き放されたように感じて、泣きそうな、慌てた声が意識するより先に唇から零れ落ちた。
(…呆れられた…?)
しまった。わがまま言いすぎた、と焦って振り返って引き留めようとした瞬間、
後ろから、体重をかけるようにして首に回された腕。
「あー…やば、……抱き心地、最高…」
「っ、く、くーくん、変態くさい!」
その吐息まじりに囁きが、なんだか凄くかっこよくて、色気が漂いすぎてて、真っ赤になる。
熱い頬に、あばばばと泡を吹きそうになっていると、「ぎゃ、」右腕を引っ張られて床に引き倒された。
な、何事か、と振り返ろうとすると、後ろからお腹に回された腕で、ぎゅうううとお腹がぺちゃんこになりそうな程腕で締め付けられた。
ぐ、ぐぐ、苦しい。
それに、首の後ろに顔を押しつけられて、吐息がかかって凄くくすぐったい。
最近、くーくんこの体勢すごい好きだな…。おれもこうしてぎゅってしてくれるの好きだけど。
…というか、
「へ、変なこと…しない、よね?」
「…してほしいの?」
「っ、ち、ちが、」
変な前フリみたいになってしまった!と慌てる。
いや、そうじゃなくて、嫌ってわけでもないんだけど…!
「…これでも、後悔してるんだよ」
「…こう、かい?」
「………うん。まーくんのことになると、いつも余裕なくなるから」
ちょっと言いづらそうに口ごもって呟く彼の声に、俯いた。
別に、こうやってくーくんにぎゅってしてもらうのとか、触られるのとかが、や、ってわけじゃなくて、
そうじゃなくて…ただ、恥ずかしかったから。
だからさっきあんなこと聞いたんだよ、って言いたいけど、言うタイミングもなくて、どう言葉にすればいいかわからないから口を噤んだままになる。
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