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手の平から消えた温度。


「…蒼、様…」


聞こえてくる
魅了され、見惚れているような声音に

ぐちゃり、と心臓を握りつぶされたような感覚がした。

彼女の方に近づいたんだろうくーくんに、全身が足元から一気に冷たくなる。
真っ暗な視界のまま、一人取り残される。



…他の人に対する態度と、なにかが違う。



さっき二人が話してるのを聞きながらそう感じた原因が今になって、やっとわかった。
その瞬間、呼吸が止まりそうになる。


「…(……なんで、)」


問いただしたい。この痛くて苦しい胸から広がる感情を、今すぐでも彼にぶつけてしまいたい。
唇を噛み締める。


なんで

なんで

なんで


(……その人には、そんなに優しい声を出すの。)



――ズキ、


「……っ、」


胸が、引き裂かれる。
痛い場所を上からぐっと指を立てて引っかくと、痛みが治まるどころか余計に酷くなった。
ジャラ、と手首から伸びている鎖だけが空しく揺れる。



「…ぁ、…や、だ…っ、」


狭い喉の奥から小さく零れる悲鳴にも似た声。
離れていった手を、手探りで必死にみっともないくらいに慌てておいかけた。

どこにも触れない手に焦る。

場所がわからないことに、くーくんが今何をしているのかわからない状況に泣きそうになりながら、バクバクと煩くなる心臓に急き立てられるように目隠しを外した。ぼんやりと見えた視界の中、彼の手を掴む。

触れて握ることのできた手に、ぶわっと涙が目いっぱいに広がった。



「だめ…っ、」


掴んで、力の限りこっちに引き戻す。
振り向いた彼の瞳が驚いたように見開かれた。



「……まーく、」

「お風呂……っ、早くお風呂行こ!」


ぎゅうっと手のひらを握って、ね、くーくん。と呼び掛けながらへらりと笑う。
笑いながら涙が頬に零れているような気がしたけど、今はそれよりも大事なことがあった。

きゅ、と祈るようにその手を両手で握る。

少し骨ばった彼の手。
震える手に汗が滲んだ。

その女の人にこれ以上近づいて欲しくない。
話してほしくない。

…優しく、してほしくない。


「なんで、泣いて…」

「…っ、わ、わかんな…っ、」


ぶんぶんと首を振る。
おれが知りたい。なんていうのもおかしいけど、自分でもわけがわからなかった。
ただ胸が苦しくて、痛くて。

…だから怪我なんかしてないはずなのに、どうしてか勝手に涙が溢れてくる。

ひぐ、と喉を痙攣させるおれに、くーくんが困ったように眉尻をさげた。


「…本当、まーくんは昔から泣き虫だな」

「…っ、ぅ、」


次々に頬を伝っていく涙を拭うように触れてくる手。

くーくんに自分を見てもらえるこの瞬間が何よりも大切で、失くしたくなくて、奪われたくなくて。

もっと、って思う。

どんどん欲張りになっている感情に戸惑って濡れた瞳をぎゅっと閉じる。


(…ああどうしよう。こんなことでいちいち泣いて、迷惑をかけてる…)


わかってはいるのに、どうしても止まらなかった。
こんなんじゃ、呆れられても仕方がない。


「泣いて、ばっかで、ごめ…っ、」

「そんなこと気にしなくていいんだよ。…それに、どっちかっていうと…多分今謝らないといけないのは俺の方だと思う」


その予想外の言葉にえ、と驚いて声を上げた。


「…な、なんで…っ、」


くーくんは何も悪くないのに。と言葉を零すと、緩く首を横に振った。

彼は憂いを帯びた瞳を軽く伏せる。
そして、まるで何か悪いことをしてばつが悪い子どものような表情を浮かべた。


「…だって、まーくんが俺のことで泣いてくれてるんだと思ったら凄く嬉しくなっちゃったから」


…酷いこと考えてごめん、と声に申し訳なさそうな色を滲ませる。
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