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(…なんでそんなに気さくに)

話しかけてくれるんだろう、と戸惑う。

でもとりあえず、その姿を認識しようとジッと目を凝らしてみた。

…黒い髪を束ね、桜の模様を彩った浴衣を着ている。
おれが驚いたのをみて、ふふ、とその唇が三日月のような形になった。



「なら、ちょうどよかった」

「…へ?」

「ちょっとだけ、くーくんかりたいの」

「…っ、…」


(…”くーくん”って、)


その呼び方を、さっき仲良さげに話していた人の口から聞いたことで、さっきよりだいぶマシになっていた気分が一気に落ち込んだ。


「ね、いいでしょ?」


慣れたようにくーくんの腕にきゅ、と腕を絡めながら笑顔を浮かべる女の人に、ぎゅうううと胸が締め付けられる。

(痛い、痛い…っ、)

ああもうこの心臓どうにかできないかな。
握り潰せたらどんなに楽だろうと思う。



「…触るな」

「もうっ、蒼様ったら、照れ屋さんなんですから」


くーくんが腕を振り払う。
でも、女の人はその行為すらむしろ楽しそうに受け入れていて、とても幸せそうに笑う。

…それは凄く好きな相手を見るように可愛らしく、恥じらいを含んだ笑顔で


「…っ、」



心臓が、ドク、と再び気持ちの悪い音を立てて跳ねる。

さっきの予感が気のせいじゃないことを知って、ぐらりと視界が揺らぐ。


しかもこんなふうにわかりやすいくらいに
くーくんに想いを寄せている女の人の表情を間近で見て、心が壊れそうになる。


だけど、


(だいじょうぶ。くーくんも腕を離そうとしてたし、大丈夫)


何が大丈夫なのか自分でもわからないけど、とにかくこう考えてないとまた泣き出してしまいそうだった。


それでも、まだじくじくと蛆が湧いたような胸の痛みは消えてくれない。


「く、くーくんに、…なにか、用事、ですか…?」

たどたどしい敬語で聞くと、その女の人が不思議そうに首を傾げた。
じいっと間近で見つめられて、う、と身を引く。


「…敬語はやめようって言ったのに。…もしかして、私のこと…また忘れちゃった?」

「…?」


また…?と首を傾げた。
そうすると、その人はもー!と不満そうに頬を膨らませる。



「真冬ってばすぐに忘れてばっかりで、傷つくわ」

「…っ、ぁ、ご、ごめんなさい…っ、」



ぺこん、と頭を下げて謝る。
女の人に強い口調で言われてると、どうしても頭で何かを考えるより先に脳がきゅ、て縮んだように委縮した感じがして反射的に謝ってしまう。

それでも、…相手のことが分からずに鈍い反応しか返せないおれに対して、眉間に寄った皺がますます濃くなる。


その表情の変化を見て焦る。


「…ッ、ぁ、あの、ほ、本当に、ごめんなさ…っ、」

「ううん!いいの!」


笑顔で首を振ってくれる。
そして、んー…困ったなーと呟いてもう一度覗き込むようにして聞いてくる。



「何度か障子越しに話したし、妃 澪って自己紹介したと思うけど…もう一回挨拶した方がいい?」

「…きさき、れい…」



”妃 澪”


その名前に覚えがある。
確か、最近教えてもらった。

何度か聞いていた鈴のような声。
…それに、よく見ると前に閉じ込められた時に助けてくれた人だった。

その二つが一致して、ぁ、と声を上げる。


「澪…、ともだち…?」

「うん!思い出してくれたみたいで良かった!」


確かめるように不安げに呟くと、満面の笑顔で元気に頷く。
それから、可愛らしい表情で首を傾げた。



「それで、…ね、真冬」

「…っ、」

「くーくんかりていいよね?」


…いやだ。

本音を言えば、今すぐくーくんを連れて全速力でここから逃げたかった。
さっきみたいにだめって言いたかった。

けど、もしかしたら大事な用かもしれないし。
……もしそうだったらおれはくーくんの邪魔をすることになるかもしれない。
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