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視線を、そこから離せない。


「…何、まだ足りない?」

「足りない…っ、ねぇ、嫌なの…ッ、私は、蒼くんがいいのに…っ、もう、他の人はいやぁ…っ、蒼くん…っ、蒼くんがいい…っ、」

「気持ち悪いから名前で呼ぶな」

「ごめ、んなさ…っ、ぁ…っ」


それは、中学三年生どうしのやりとりとしては、異常だった。

世間でどうかなんてわからない。でも、少なくともおれにとっては、異常以外の何物でもなかった。

机に軽く腰をかけて冷たい瞳で紫苑を見下ろす蒼くん。
それと床に這いつくばって泣きじゃくって、なのに頬を上気させながら服が乱れていて、どうみても明らかにおかしい雰囲気を漂わせている紫苑。


「でも…っ、私が好きなのは蒼くん、なんだよ…っ、好きなの…っ、ねぇ…っ、私のこと、好きになってくれたんじゃなかったの…っ?」


………その肩口には無数の傷があった。血の滲んだ痕。

いつできたものかわからないけど、前に紫苑に会った時はそんな傷はなかったはずだ。

よく見れば、脚にもいくつか打撲や刺し傷のような跡があった。
見てて痛そう、なんてものじゃない。抉られたような刺し傷に、一瞬で目を背けたくなった。


(……?)


何か透明なものがぼたぼたと紫苑のスカートの中から床に垂れている。


(…あれ、は…)


ヴヴヴと機械音のような音が微かに聞こえる。


「…う、」


変なにおいが漂ってきた。
一瞬吐きそうになって、口を手でおさえる。


なに、なんなんだ、これは。

こんなの、普通じゃない。


いつも優しく笑ってくれる蒼くんが、別人のように冷たい表情をその綺麗な顔に浮かべて。

蔑むように紫苑を見下ろして…。


「…(あおい、くん…?)…」


心臓が嫌な感じに跳ねた。

本当にあれは、蒼くんなのか。


それとも、ただ似てるだけの赤の他人なのか。

その光景は目に映っても、脳がその現実を受け入れようとしない。受け入れることが、できない。


「これ以上付き纏うなよ。どうでもいいやつに構う時間なんかない」


勝手にやってれば、と吐き捨てるように呟く蒼くんに、紫苑が泣きそうな顔で縋り付いた。
最初会った時とは雰囲気も、格好も変わり果てた、紫苑の姿。


「待って、待ってよ…っ。置いていかないで…っ、」

「………」


服にしがみつく紫苑を見下ろす顔は、全く温度を感じさせないほど冷え切った表情だった。
完璧に整った外見を更に際立たせるような冷酷な目つきで一瞥され、凍りついたことが手に取るようにわかる。

同時に、紫苑と同じように自分の身体に起こった反応に震え上がり、呼吸が乱れた。
遠くから見ていたおれでさえ、ゾクっとするほど…何か異様な迫力に満ちている。

顔面蒼白になった紫苑が何を言われるまでもなく自ら手を離した。

蒼くんがこっちに近づいてくるのに、身体が動かない。


(…い、今すぐ、ここから離れないと)


震える身体が、びくともしない。
逃げないと。今すぐここから逃げないと。
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